敗戦80年 ■ 日中労交第9次「日中不再戦の誓いの旅」に参加して

南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参列

日中労働者交流協会・全労協女性委員会 中原 純子

 中国全国人民代表大会は、2014年2月27日、南京大虐殺犠牲者に対する「国家公祭日」(National Memorial Day)として正式に12月13日を定めた。私は昨年12月12日から15日まで、日中労働者交流協会(日中労交)第9次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団(団長は伊藤彰信・日中労交会長、元全港湾労働組合委員長)の6人の一員として江蘇省南京市を訪問し、13日の南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参列した。その他、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)はじめ南京大虐殺関係施設を見学し、南京師範大学の学生たちと交流を行った。短期間だったが学生二人も参加して「日中不再戦を誓う」意義ある訪中となった。

日本人としてこの場に
立つ重みを実感

 12月13日8時半、南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参列するため服装を整え、左胸に白い花を着け身分証カードを持ちホテルを出発した。厳しい警備の南京大虐殺記念館に入り、整備された庭園に日中労交の「誓いの碑」を確認した。
 記念館集会広場には中国国旗が反旗で翻る厳かな光景が広がっていた。中国内外各界から8000人が参列した国家公祭である。日本からの参列者は日中友好団体代表5人と日中労交6人のみであった。
 指定された前列から3列目に立つと、リハーサル中の中学生歌唱団のバックに設置された巨大スクリーンに日本軍による南京大虐殺の殺戮が映し出され、日本人としてこの場に立つ歴史の重みを強く感じた。
 中国国歌斉唱後、10時のサイレンと同時に黙禱。人民解放軍儀仗隊の兵士16人が8基の花輪を掲げ入場、祭壇に捧げた。
 その後、李書磊中国共産党中央委員会宣伝部部長が演説を行った。「歴史を記憶し、過去を忘れず、平和を大切にし、未来を創造するという確固たる立場を宣言し、共産党の姿勢を示さなければならない」「歴史を記憶することは、より良く前進するためである。習近平同志を核心とする党中央にさらに団結し、強国を建設し中国の国家復興の偉業に奮闘しよう。人類の平和と発展の崇高な事業に大きく貢献しよう」などと表明した。
 その後、青少年代表87人が「平和宣言」を読み上げた。さらに「平和の鐘」が鳴らされ3000羽の鳩が放たれた。こうして約40分間の追悼国家公祭は終了した。
 終了後、移動中の庭内で江蘇省テレビ局からインタビューを受けた。「どちらから? 参加して感じたことは?」と急に聞かれ戸惑った。「日本から来た。南京大虐殺について学習して参列したが、この地に立ち、改めて日本の責任を痛感している。日本が中国と二度と戦火を交えることのないよう、日中不再戦のため奮闘したい」と答えるのが精いっぱいだった(冒頭写真)。

日中労が建てた「誓いの碑」前での団員6人(左から3人目が団長の伊藤さん)

南京大虐殺関連施設を見学

 南京市内には虐殺現場二十数カ所に記念碑が建てられている。市民が10時のサイレンと同時に黙禱し、各記念碑で献花と追悼式が行われた。
 その一つ、長江のほとりの中山埠頭記念碑を訪れ黙禱した。日本軍が市民など数千人を機関銃で殺害し長江に投げ捨てた虐殺現場であり、私は立ちすくんだ。
 昼食後、ジョン・ラーベ国際安全記念館と南京大虐殺記念館を見学したが、移動の車中で日本国内の「中国の南京大虐殺国家追悼会が反日感情を煽る懸念」などの報道を聞き、怒りの声が上がった。
 国家公祭のため休館の南京大虐殺記念館を特別に見学させていただいた。静まり返った館内の展示を熱心に見ていた学生たちはショックを隠せず、言葉もなかった。私は沖縄の摩文仁の丘の平和祈念資料館を思い出した。夕方、国際平和キャンドル集会に参加した。

利済巷慰安所旧跡陳列館

 12月14日、若者でにぎわう繁華街にある利済巷慰安所旧跡陳列館を見学した。1937年の日本軍南京占領後に慰安所とされた建物を資料館に建て替え、2015年に開館し保護文化財に指定されている。日本軍がアジアに設置した約40カ所の慰安所で最大規模という。
 日本政府と日本軍が中国侵略後、中国、朝鮮、東南アジア、欧米等各国の女性たちを性奴隷にした慰安婦制度は、重大な戦争犯罪として世界から糾弾されている。2003年、利済巷慰安所旧跡に「慰安婦」とされた朝鮮籍の朴永心さんが訪れ、3年間「慰安婦」として働かされていた建物であることを確認している。
 私たちは陳列館の前面に建てられた3人の慰安婦像に献花し黙禱した。痩せた妊娠中の慰安婦が片方の手でおなかの胎児を守り、もう片方の手を別の女性の背中に置き、助けも希望もないことを表している。私は同館の陳列と詳細な展示を文字にしたくはない。日本軍国主義の人道に対する蹂躙と罪なき女性たちの人生を踏みにじった悪行に怒りが抑えられなかった。
 日本政府は、過去に犯した事実を突きつけられ否定しようもないはずだ。戦後80年何も変わっていない。思わず12・22沖縄県民大会を準備する沖縄女団協の女性たちに思いを馳せた。日本政府の女性に対する性暴力への対応は許せないままだ!

南京師範大学で学生交流

 その後、南京師範大学を訪ねて林敏潔教授をはじめ日本語学科の大学院生(高校生が一人)と訪中団の学生二人が主に戦争記憶の継承について意見交換した。
 「日本に比べ戦争記念館に若い世代が多いが、なぜ中国の若者は近代史に興味を持つのか」との問いに、「中国では小学校から歴史教育、特に近代史を重要視している。近代史がなければ今の中国はありません」「歴史教科書の内容が違うのでは? 中国では日本との戦争や南京事件がきちんと書かれているが、日本の教科書には、まだそうした事実が載っていますか」と指摘され、日本の学生は正しい指摘に驚いていた。
 日本被団協のノーベル平和賞受賞について、「ノーベル平和賞は中国にとってどうでもよいことだ。加害者の痛みと被害者の感じた痛みは同じでなく、その被害者も加害者の一員である」と、厳しい意見も聞かれた。一方、「『中国には羊が一匹逃げてからその囲いを修理しても遅くない』という故事もあります。一度の苦い教訓から学び、そこから繰り返さないことでも遅くない」とも言ってくれた。さらに、「侵略者の国にもさまざまな立場の人がいる。しかし、私たち若い世代が戦争の悲しみを忘れると、また侵略国と被侵略国、双方の普通の人々が悲しみを受ける」とも言っていた。意義ある意見交換が行われた。

帰国後の報告会で
決意新たに

 今年に入って1月13日、日中労交主催の訪中報告会に中国大使館からお二人が参加され、「国家公祭に参列されたのはうらやましい」と話された。改めて公祭参加が貴重な体験だったことを実感した。
 この経験を伝えながら、戦後80年の今年、「日中不再戦」のためにいっそう奮闘したい。