第20回追悼集会
強制連行・犠牲者を追悼し、運動の発展と碑の再建を誓う
「群馬の森『記憶 反省 そして友好』の碑」第20回追悼集会が群馬県前橋市内の群馬県教育会館で5月11日、開催された。碑が県の行政代執行で破壊された後の最初の追悼集会だったが200余の人々が参加した。
この追悼集会は2004年4月に同碑が建設され除幕式が行われて以降、群馬の森公園で毎年開催されてきた。しかし、今回は山本一太県知事によって今年1月29日、行政代執行で碑が破壊、撤去されたために会場を屋内に移して開催された。
追悼碑は「わが国が朝鮮人に対して、多大な損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ」「過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたい」(同碑文より)として市民運動で建立された。当時の群馬県知事および県議会も碑の設置を認めてきた経過がある。
集会の冒頭、参列者全員はこの碑の建立に献身し、追悼碑を守る会(以下「守る会」)の弁護団の団長を務め今年2月亡くなった角田義一さん(広範な国民連合代表世話人)に黙とうを捧げた。
宮川邦雄・「守る会」共同代表は、「2014年から歴史修正主義が強まった。群馬県は右翼に扇動されて碑の更新不許可を決定。これに抗して裁判闘争を闘ってきたが、敗訴。1月29日、群馬県はついに行政代執行で追悼碑を撤去した。群馬県知事の暴挙に憤慨し抗議する。政治も司法も危険な道を突き進んでいる」として「追悼し、平和に向けて活動することを誓う」とあいさつ。加藤昌克・共同代表も、「表現の自由を守らなくてはならない。二度と戦争をしない。それが真の意味で追悼することになる」などと訴えた。
朝鮮総聯群馬県本部常任委員会・李和雨委員長は「幾多の困難を乗り越え追悼碑が建立された。追悼碑は群馬の良心。これから新たな運動をより広くつくっていこう」と今後の運動への期待を表明した。
石川眞男・玉村町長は「日韓『併合』そして植民地支配の36年間があり、残虐の歴史がある。強制連行がなかったなどとどうして言えるのか。追悼碑の撤去は私たちに新たな試練を課している、日朝・日韓友好親善の未来のため運動を続けよう」と引き続きの運動の発展を訴えた。
現代美術作家の白川昌生さんは2014年の碑の更新不許可の際に抗議して作ったオブジェを披露した。また、情報科学芸術大学の前林明次教授はARを使い破壊された追悼碑を公園で再現できるアプリを作り、同日の午前中に現地で公開したことを報告した。
その後、参列者全員が献花して追悼集会を終えた。
次いで、「守る会」の総会が川口正昭・共同代表の司会のもと開催され、追悼碑訴訟の総括を同弁護団事務局長の下山順弁護士が行い、藤井保仁事務局長が、①「守る会」は今日解散するが新たな会を立ち上げ、運動は継続していく、②追悼碑は必ず再建する等を今後の方針として提起し、討論のうえ承認された。
この集会および「守る会」総会には兵庫県や愛知県、首都圏などからも参加、全国的な大きな課題となっていることを示した。