インタビュー ■ 新しい社会を展望する

 分かち合う社会を求めて

働くのは何のためですか?

日本労働者協同組合連合会
(ワーカーズコープ)理事長
 古村 伸宏

雇用労働とは異なる働き方
=協同労働

 労働者協同組合を説明するときには大きく二つあって、一つは働くということをどうしたいのかということ、もう一つは協同組合というのは何を大事にする仕組みなのかということです。労働という言葉は明治以降に登場したといわれますが、労働というと雇われているのが前提になるんですね。私たちが実践している雇用労働でない働き方。これをどういう言葉で語ろうかということで出てきたのが「協同労働」という言葉です。


 協同組合は、集まった人たちが対等な関係でお互いの持っている力を出し合って、共通のニーズを実現するという仕組みです。まずみんながお金を出し合って組合員になるとか、話し合って物事を決めていくとか、みんなで一つの仕事をやり遂げるために協力し合って働くという組織形態というか働き方です。世の中には生協とか農協とかいろいろな協同組合あるので、思い浮かべてみてもらうとイメージしてもらえると思います。
 人類史的にいうと、本来働くというのは自然に働きかけて、その恩恵を手に入れることで、人間が生き続けていくための営みですよね。人間という生き物の最大の特徴は、一人一人が孤立して働いていたのではなく、協力し合って働くことが原点でした。ですから労働者協同組合というのは、ある意味人間の働くという営みを取り戻していくことだと思っています。

関係のあり方を見直す

 「働く」ことをどういうふうに考えていくべきかということですが、結論的に言うと、今は自分が生きていくためには、お金を手にしてはじめて生きていけるという仕組みが大きくなっている。多くの人たちもそう信じて、実際にその側面が大きいんですが、そうやって働くということをとらえてきたわけです。
 でもお金だけですか? お金だけでなく、働く意味とか、働くことがもたらす恩恵を一人一人がどう感じるかということが大事で、それを労働協同組合の仕組みを使って育て、広げていきたいと思っています。
 具体的に何に取り組むことで、あるいは何にこだわることで、そういった考え方を実際の形にしていけるかということですが、そのためには世の中のあらゆる関係のあり方を見直してみる必要があると思います。人間関係とか人と自然の関係とか、職場で働いている人同士の関係とか、いろんな関係を見直してみるということをベースに置くことがすごく大事です。
 たとえば、戦後の日本の対米従属ということも国際社会における日本とアメリカの関係ですが、何を大事にしてどういう価値でつながっており、どういうことを実現しうる関係なのか――たどっていけばいくほど、関係のあり方にたどり着く大きな問題です。
 労働者協同組合とか協同労働という取り組みは、関係のあり方を見直しつつ改善し、改革していくというところに、たえず視点を置きたいと思っています。

協同の広がり
  ――豊岡の経験

 手ごたえを感じている事業の一つに兵庫県豊岡市の事業があります。厚生労働省の地域若者サポートステーションというニートやひきこもりの就労支援が出発点ですが、若者たちがいざ就職となった時、豊岡市の場合は就職先が少ない。だったら自分たちで仕事をつくるプログラムも加えようというので、兵庫県から公共職業訓練の委託を受けました。東日本大震災後にはエネルギーを地産地消する仕事を立ち上げる職業訓練もやりました。そこに集まった若者たちが全員一致して、「これからは森の仕事を自分たちでやっていきたい。森を守って未来につないでいく。しかも森にはたくさんの仕事が眠っている」と、ネクストグリーン但馬というグループを立ち上げたんですね。
 私たちのいちばん核にあるのは働く人たち同士の関係ですが、自然から全てを収奪するのではなく、自然界の共生関係を意識した仕事がここから始まったんです。小規模林業ですが、森や里山に関わるいろんなことに取り組んでいます。森林を子どもたちの育ちの場とか学びの資源として捉え直すということで、日本でもだいぶ広がってきた「森のようちえん」をつくろうという話になってきています。
 豊岡のもう一つの関係づくりのテーマは、自治体や住民との関係づくりです。豊岡市はコウノトリの野生復帰をなしとげた市です。人間がコウノトリを絶滅させましたが、農薬を使わない農業に取り組んで、見事にコウノトリが殖える地域をつくってきました。また豊岡市は子どもたちが自然体験を通じて、学びや体験の機会を地域として保障していきたいということで、子どもの野生復帰事業にも取り組んでいました。こうした自治体の動きもあって、事業者と自治体がお互いに意見を出し合える関係性をつくり始めています。
 「森のようちえん」にしても林業にしても、事業を利用する人がいないと成り立ちません。子育てしている人たちや子どもたちとの関係、広い意味で住民たちとどういう距離感で一緒に仕事をつくっていくのか、イベントやったりして少しずつですが進んでいます。協同労働という考え方が、職場にとどまらず地域に広がり、協同をテーマにした関係のあり方をつくり出していると思います。

地域で循環する経済構造へ

 働くことをどう変えるかということと経済構造をどう変えるかということは、当然ながら深く結びついています。たとえば狩猟時代に男手衆が狩りに行って獲物を仕留めて、コミュニティーに持って帰って、お母さんとか子ども・高齢者と一緒に食べる。ところが今の資本主義社会というか経済や労働のあり方からいえば、狩りに行った人でその獲物を分けてその場で食べちゃえばいちばん儲けが大きいわけですよね。そうやって分け前を個人がたくさんもらうというベクトルでつくる経済みたいなことになってきている。
 独り占めするとか、他人よりちょっとでも多くという考え方は、結果的にお金に換算した経済のボリュームをどんどん大きくします。格差がどんどん大きくなり、ものすごくたくさん持っている人と、全く持っていない人との分断構造ができる。まさにそういう道を目指すことがいいことなんだというふうに思い込まされてきた結果です。今のグローバルな市場の原理に基づく経済とは違う経済のあり方を、どこで誰がどうやってつくるかということが勝負の分かれ道なんじゃないでしょうか。それが具体的に見えていちばん体感できる単位は地域だと思います。
 地方が疲弊しているといわれますが、ほとんどの地域経済は赤字構造になっている。お金が全部地域の外に吸い取られている。地域で循環する経済を大事にして、お金が地域の中でぐるぐる回れば回るほど、働くということにつながるわけです。それがコミュニティー経済ということだと思います。
 視点を変えると、協同労働というのは民主主義をどう考えて、どう形づくっていくのかという、探求の意味合いもすごく強いと思っています。僕は先輩から「徹底民主主義」という言葉を何度も言われました。徹底するとは「みんなが納得する」ということです。だから話し合いを尽くさなきゃいけない。それを企業経営とか仕事という場面に入れ込んでいったのが労働者協同組合なので、それは地域のあり方だとか社会のあり方、個人のあり方にも当然ながら深く関係していると思うんですよね。

人類はコミュニティーで存続してきた

 人間がなぜコミュニティーを必要としているかということですが、人間という生き物だけが子ども、お父さんとお母さん、おじいちゃんとおばあちゃんの3世代が同時期に生きている。全ての生物の生きるというのは、子孫を残すということですよね。そこから考えると人間は、子孫を残す能力の獲得にたくさんの時間を要し、能力がなくなっても長く生きているわけです。これが3世代という構造の特徴です。
 人類史的なコミュニティーをたどっていくと、高齢者が孫の面倒、子育てや高齢者のケアを結んで、コミュニティーを通じて営むことで人間は存続してきたということです。コミュニティーは他の動物や自然災害から自分たちを守っていくということからも、非常に合理的で理にかなっていると思うんですよね。
 人間は弱い生き物だからこそ、単一の関係性ではなく外の自然などとの関係も見据えて、いろんな個性で構成されていたんじゃないかと思います。人間とのコミュニケーションはすごく苦手だけども、動物と話ができますとか、植物をずっと見て観察しているのが大好きとか、気象変化を肌で感じるとか、そういう自然界とのコミュニケーションの方が得意な人たち。これを私たちは障害があると考えがちなんですけども。本来コミュニティーは、そういう個性的な人がいないと守られてこなかったんですね。
 だからワーカーズコープの職場も、いろんな人がいるから、いろんな人が分かり合って「同じになりましょう」ではなくて、違いをもっと肯定的に認め合う。だから時間がかかるんです。これは非効率の極みだけども、効率に支配されたらどんどん切り捨てていくことになるので、そういうことを地道にやっているという側面もすごく大事だなと思っています。

子どもを侮っちゃいけない

 それを社会論に置き換えていくと、日本の自治体はどこもかしこも同じような地域ばかりつくろうとしている。地域の発展のためには企業誘致、企業が来ないんだったら原発誘致、新幹線通してくださいと。個性のある地域のあり方というのは本来あったはずだし、徹底して地域の個性を磨いた方が世の中に通用する。
 豊岡市のコウノトリの野生復帰の取り組みは、農薬を使わない農業が「コウノトリ育むお米」というブランド米につながりました。一つのエポックになったのは、子どもたちが農薬を使わないお米を食べるのが当たり前という世界をつくるために、自分たちの学校の給食にこのお米を使ってほしいと市長に交渉したんです。そして実現しています。
 地道だけれども、本質的なインパクトを持った仕事の価値は、そういうところから生まれる。子どもたちの方が素直な人間性に基づく価値観を持っているんですね。それを教育と称してどんどん人間性を削ぎ落としていくような教育のあり方、これもまた大きなテーマになっていくと思います。
 さらに言えば、あらゆる経済は戦争と切っても切り離せない関係があります。日本の経済成長も、誤解を恐れずに言えばほとんど戦争に絡んで成長してきたという側面がものすごく大きいと思う。今や戦争の危機や気候変動の危機さえも営利目的にすり替えている。そういうふうにつながっているというのをみんなが知ったり感じたりする場面をつくっていくとなると、教育がどう変わるかはすごく大きいと思いますね。
 今はまだ圧倒的にそういう世界ですけども、少しずつですがオルタナティブというか、そうではない教育のあり方とか、労働のあり方、暮らしのあり方が局所局所で見えるようになってきているという雰囲気はすごく感じていますね。

 (本稿は、インタビューをもとにまとめたもの。見出しとも文責編集部)