[パレスチナ問題]イスラエルの狙いは、住民の「追放」"> [パレスチナ問題]イスラエルの狙いは、住民の「追放」"> <span class="em08">[パレスチナ問題]</span>イスラエルの狙いは、住民の「追放」

[パレスチナ問題]イスラエルの狙いは、住民の「追放」

追い込まれていたガザ地区

東京経済大学教授 早尾 貴紀

 イスラエル軍は、パレスチナのガザ地区に対して、無慈悲なジェノサイド(大量虐殺)を仕掛けている。死者1万4500人以上、うち子供が5500人以上という大惨事で、この数はますます増えている。
 パレスチナ問題を理解するためには、歴史的経過を押さえなければならないが、直近の状況からさかのぼって述べたい。
 ハマース(イスラーム抵抗運動)などによる10月7日の武装蜂起について、パレスチナに理解を示す人でさえ、冒頭に「ハマースによる民間人への攻撃は不当であるが……」と言わないとダメなような雰囲気がある。
 この蜂起をスタートラインにすることは、大きな誤りである。
 蜂起直前、ガザ地区は何が起こってもおかしくない状況にまで追い込まれていた。直視できないほどの惨状、極限状態にあった。
 ガザ地区は、イスラエルが建設したフェンスで封鎖され、物流が制限され、医療なども破綻した「監獄」であった。イスラエル軍は、パレスチナ人のデモ行進を容赦なく弾圧していた。経済活動は阻害され、社会は「存続不可能」といってよい状態である。
 イスラエル国内、国際社会でも、それを止めようとする動きはほとんどなかった。
 パレスチナの立場からすると、「武装蜂起までしない限り、世界はガザ地区に注目しなかったではないか」ということだ。

平和的デモへの弾圧

 大きなターニングポイントは、2006年の自治政府選挙である。「オスロ合意反対」を掲げたハマースが勝利したが、国際社会は選挙結果を押しつぶして自治政府から排除し、ハマースをガザ地区に押し込んだ。結果、ヨルダン川西岸地区=ファタハ、ガザ地区=ハマースという分断政治構造が成立した。
 ハマースがガザ地区にいるのはその結果にすぎず、「ガザ地区を実効支配するハマース」というマスコミの表現も誤りである。
 こうして、イスラエルは容赦なくガザ地区を攻撃できるようになった。イスラエルは08、09、12、14年と、ガザ地区を繰り返し攻撃した。
 パレスチナ側では連立政権樹立の試みが続いたが、「ハマースの参加する自治政府を認めない」との態度を取り続けたのが、イスラエル、米国、欧州そして日本である。
 武装蜂起の直接の伏線は、18年の「帰還の大行進」である。多数のガザ地区住民が、イスラエル支配下にある故郷への帰還権を主張し、非武装のデモに立ち上がった。住民はイスラエルとの境界線に向けて行進したが、イスラエル軍狙撃手に次々に撃たれた。狙撃手による攻撃で、1年で約200人が殺され、7000人近くが負傷させられた。
 平和的デモに対する弾圧がこれである。当時の米トランプ政権は、大使館のエルサレム移転や「入植地をイスラエル領土として認める」などの言動を繰り返し、パレスチナを挑発していた。
 ガザ地区住民の「限界」を突破させる仕打ちが、イスラエルと米国など国際社会によって強行された。これが、今回の事態に至らしめた短期的な原因である。

「オスロ合意」は実質がなかった

 ハマースが反対する「オスロ合意」とはどのようなものか。
 オスロ合意は、1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で行われた。ノルウェーが仲介、米国が立ち会い、国際社会は「新しい中東和平」と「歓迎」した。
 建前は「2国家による解決」で、PLOがイスラエルを国家承認して闘争を終える見返りに、「パレスチナ国家」の前段階としての自治政府発足が決まった。
 問題は、その内実がなかったことである。
 国家化のために必要な取り決めは「今後の検討課題」として、無限に先送りされることになった。具体的には、東エルサレムの帰属や、入植地の返還とそのための活動の停止、国境管理や難民帰還権などのすべてが「棚上げ」されていた。
 入植活動はこんにちも止まらず、パレスチナの土地はどんどん奪われている。入植地をつなぐ道路などのインフラ建設も進んでいる。パレスチナ「自治」の実際は、イスラエルによる占領行政の「下請け」にすぎない。
 第2次インティファーダ(2000年〜05年)は、これに対する抗議行動であった。イスラエルは「和平をつぶす気か」と、PLOを攻撃する口実にした。イスラエル
は自治政府機関を空爆し、自治政府機能を徹底的に奪った。
 PLOがイスラエルの従属物と化すなか、台頭したのがハマースである。パレスチナ住民が「イスラム原理主義化」したわけではなく、ハマースの掲げる「東エルサレムを返せ」「入植活動をやめ撤去せよ」「帰還権を認めよ」という主張が支持を受けたにすぎない。
 もちろん、これはイスラエルには絶対に認められないことである。
 つまりオスロ合意は、PLOを無力化させて「パレスチナ独立」を不可能にさせ、他方で「和平」の建前で国際社会をひきつけ、占領負担を軽減するというイスラエルの狙いに沿ったものであった。

イスラエル追い詰めたインティファーダ

 そのオスロ合意は、なぜ成立したのか。
 イスラエルは1967年の第3次中東戦争で、ヨルダン川西岸とガザを含むパレスチナを全面占領した。直後から、エルサレムや交通の要衝となる地域を中心に入植活動が始まった。西岸をヨルダンから切り離すため、生産や物流の統制も強化され、パレスチナ独自の経済活動はつぶされた。パレスチナ人にできる経済活動は、イスラエルへの「出稼ぎ労働」だけで、安価な労働力として収奪された。
 占領地を「領土化」する戦略で、これが87年までの20年間続いた。パレスチナ人の怒りは、第1次インティファーダ(87年〜93年)として爆発した。長期的、組織的な闘いに、イスラエルは手を焼いた。イスラエルは国際世論上も孤立し、オスロ合意で占領体制を刷新する方向を選んだ。
 PLOも、中身のない合意でも妥協せざるを得ないほど追い詰められていた。
 90年の湾岸危機と戦争を通じて、フセイン・イラク大統領はクウェート占領とパレスチナ問題を結びつけ、国際社会の「ダブルスタンダード」をアピールした。アラファト・PLO議長をはじめとするパレスチナの人びとからすると、これは「歓迎」できるものだった。
 だが、この態度は湾岸「穏健派」諸国の怒りを買った。サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦(UAE)などはPLOへの資金提供をやめ、パレスチナからの出稼ぎ労働者を強制送還した。冷戦崩壊の影響もあった。
 PLOは一気に困窮し、オスロ合意に追い込まれた。

全土支配狙うイスラエル

 1948年の第1次中東戦争(アラブ側では「ナクバ=大災害」)で、イスラエルはパレスチナの8割弱を確保した。イスラエルのシオニストは、元々、残り2割強を奪うことも「目標」としていた。この2割とは、ヨルダン川西岸とガザ地区である。
 全土占領のために実行しているのが入植活動で、最初から返還するつもりなどないのだ。
 ただ、西岸とガザは異なる。西岸は土地が広く、エルサレムがあり、水資源がある。ガザは水資源が乏しく、住民のほとんどが難民である。イスラエルがより欲しいのは西岸で、ガザはパレスチナ人を無力化するために、さまざまな統治方法を試みる、いわば「実験場」となっている。
 ガザ地区は、オスロ合意の時点でフェンスで囲まれ、出入りを監視されている。物流は規制され、労働許可もコントロールされている。この手法が、次第に西岸に導入されている。
 西岸をすべて支配するのは、イスラエルにとっても容易ではない。実現するには、パレスチナ社会を分断し、無力化・崩壊させる必要がある。入植地とインフラによってパレスチナの土地を切り刻むことで、「残り2割」を支配する狙いなのである。

起きているのは、ガザ住民の追放

 英国は第1次世界大戦を通じて、オスマン帝国からパレスチナを「委任統治領」として奪った。
 シオニズム運動は、この統治領を「ユダヤ人によこせ」というところから始まった。この時期から、入植活動とさまざまな手段を使ったアラブ人の追放が始まっている。
 国連による「パレスチナ分割決議」(1947年)は、ユダヤ人国家に土地の6割弱、アラブ人国家に4割強を与えるというものだった。
 だが、「全土支配をめざす」点で、シオニスト内部に違いはなかった。第3次中東戦争で全土を占領したことを契機に支配に乗り出すのは、かれらには「当然」のことだった。
 現在起きていることは、この一貫した思想に基づく、ガザ地区住民の追放である。住民の一定数を虐殺し、住めない環境にまで破壊し、恐怖を与え、追放する。「人道危機」を引き起こし、国際社会に「援助」させ、住民を二度と戻らせない。この手法は、第1次中東戦争のときと同じである。
 イスラエルは、どの程度殺せば住民全体に恐怖を与えられるか、国際社会が容認するか、自国内で支持を得られるかを、綿密に検討して実行しているようだ。過去の事例を調べると、イスラエル人死亡者の20倍前後のパレスチナ人を殺害している。
 最近リークされた文書によると、イスラエルは2000年代はじめから、ガザ地区住民の追放計画を検討していた。ハマースによる蜂起は打撃にはなったが、この計画を実行する「好機」ととらえて実行しているのだ。

日本はイスラエルを見習うな

 日本政府、メディアは、相変わらず「欧米志向」だ。かれらの言う「国際社会」は基本的に先進7カ国(G7)だが、実際のところは少数派である。
 国連総会は11月27日、ヨルダンが提案した「人道的休戦」求める決議案を121対14という圧倒的多数で採択している。これを見るだけでも、イスラエルを支持するG7こそ、孤立している。
 イスラエルの蛮行を認めることは、一時的にはともかく、中東地域に「安定」をもたらすことにはならない。イスラエルとの「和平」を選んだアラブ諸国も、米国が後ろ盾になっているからこそで、それが永続する保証はない。何より、アラブ諸国の民衆がその方向を支持しているわけではない。「アラブの春」のような政変が起きれば、どうなるか分からない。
 米欧と行動を共にすることが、日本にとってプラスなのか。上川外相はイスラエルに「連帯」し、その「自衛権」を明言している。岸田政権は東アジア情勢に備えて、米国と同じ方向を向いていたいのだろう。だがそれは、イスラエルと同様、防衛力増強を際限なく進める道である。そうなれば諸外国の不信感を高めて信頼を失い、自らはどこまでいっても「安心」できない状況に陥る。
 現在のイスラエルの状況を見ても、軍事力を強化するだけでは国民の安全を守れないことは明らかだ。岸田政権がイスラエルに「倣う」とすれば、愚かなことだ。

はやお・たかのり
東京経済大学全学共通教育センター教授。東北大学文学部卒業、同経済学研究科博士課程を経て現職。著書に『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)など。