パレスチナ戦争 ■ 日本は今やイスラエルとそっくり

イスラエルから沖縄へ

共立女子大学文芸学部教授 村井 華代

 筆者は都内の女子大で西洋演劇史などを教える教員で、ここ10年ほどはイスラエル演劇を研究している。だが2024年3月に開催したのはイスラエル関係ではなく石垣島の自衛隊基地と住民投票の問題を伝えるトーク&ライブだった。それで『日本の進路』にお声がけいただいたのだが、ここでは筆者がこうなった事情をお話ししたいと思う。

多文化国家イスラエル

 イスラエル演劇研究を始めた経緯から始めよう。
 ヨーロッパにおけるキリスト教神学と演劇理論の関係を研究していた2010年、実際のエルサレムを見ようと団体旅行でかの地に初めて足を踏み入れた。第一印象は「面白い国」。紛争国、「犯罪国家」、そんなイメージとは裏腹に、多様な文化圏の人々が行き交い、にぎやかな街にシナゴーグとモスクと教会が同居する。一方で戦争と占領を続けるこの国の劇場で、どんな舞台が上演されているのか。そこで、演劇を見るため12年から通い始めた。
 演劇の話に特化すれば、うらやましいとすら思えた。人口900万、四国ほどの大きさの国土にレパートリー劇場が八つ、いつでもほぼ満席の客席。意欲的な小劇場、真摯な作品づくり、魅力的な俳優、社会における演劇の大きな存在感。意外にも演劇に対する検閲法はなく(1989年撤廃)、おしなべて表現の自由への意識が驚くほど高い。
 第二次インティファーダ(2000年)のあと、イスラエル社会の右傾化が始まったと言われる。それでも筆者の見た2010年代前半、俳優は入植地の劇場への出演ボイコットを表明し、パレスチナの作家ガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って』が上演され、劇作家が首相とSNSバトルを繰り広げることすらあった。そして国民の2割がアラブ系(実質的にパレスチナ人)であるイスラエルでは、社会融和のため、アラブ人劇団の舞台を学校で鑑賞させるプログラムすらあった。
 もちろん、そういう劇場や演劇人を攻撃する右派はいる。だが、左派メディアと劇場・演劇人は連帯して表現の自由を守っている。当時は「中東唯一の民主主義国」の看板は偽りではないと信じられたのだ。

まず標的にされた劇場

 だが多くの国と同じく、10年代中頃からイスラエル社会は露骨に右傾化した。まず標的にされたのが劇場である
 第四次ネタニヤフ内閣が発足した2015年、30年近く収監されているパレスチナ人ワリード・ダッカ(今年4月、収監38年で獄中死)の詩に基づく劇を上演していたアラブ人劇団への助成がカットされ、活動停止に追い込まれた。当時の文化スポーツ相ミリ・レゲヴは「テロリスト、売国奴、テロ支援団体は助成しない」と言い放った。先述の学校プログラムで既に多くの生徒が見た作品だったが、当時の教育相ナフタリ・ベネット(後に第18代首相)もレゲヴに同調、ユダヤ人とパレスチナ人の恋愛を描いた小説『ボーダーライフ』も高校の教材から削除した。当然ながらリベラル層は反発した。が、この風潮はやがて定着してしまった。
 そして2017年、決定的な事件が起こった。北部アッコー市の演劇祭で初演予定だったエイナット・ヴァイツマン作・演出の劇『占領の囚人たち』が、プログラムから排除された。これもパレスチナの囚人を描くセミ・ドキュメンタリー演劇だが、市の実行委員会がタイトルだけ見て排除を決めたのだった。

そして10月7日が来た

 翌年「ユダヤ人国家法」が制定され、「イスラエルはユダヤ人の国」という排外性は法的に確定されてゆく。そして3年半に総選挙5回という迷走を経て22年末に成立したのは、レゲヴが穏健に見えるほど過激な宗教的極右内閣だった。23年は、毎週数万人規模の市民による反ネタニヤフデモで始まった。だが西岸では極右の国家安全保障大臣を後ろ盾に入植者の暴力が過激化の一途をたどっていた。
 そして、10月7日が来た。
 あの日、筆者は東京で拙訳イスラエル戯曲、モティ・レルネル作『イサク殺し』の朗読再演の準備中だった(演出・小林七緒)。音楽劇で、劇中歌のひとつの歌詞はこうだ。
 僕らは生ける屍 見えない顔
 48年の戦争から 56年の戦争から
 僕らは皆死を恐れる でも生きるのはもっと怖い
 67年の戦争から 73年の戦争から
 四つの年代は、第一次から第四次の中東戦争を指す。『イサク殺し』は、その戦場のトラウマで何十年も精神病棟にいる人々が、オスロ合意をなしとげたイツハク・ラビン首相暗殺(1995)を音楽劇で上演するという仕立てになっている。ラビンを殺し、ネタニヤフを選び、戦争を選んだ国家を巨大な精神病院になぞらえるというあまりの挑発性のため、戯曲は1998年に完成して海外で上演されたが、今でも本国では上演する劇場がない。

見なければハッピー

 沖縄の話に入ろう。
 「イスラエル国民は占領の現実をどう考えているのか」と質問されると、「わかっていてもどうにもできなくて、見ないでいればハッピーでいられることってありますよね。日本なら、沖縄みたいに」
 筆者はそう答えていた。
 コロナ禍でイスラエル渡航を控えた2022年、その沖縄に通い始めた。
 「慰霊の日」はなぜ沖縄だけ休みなのか。本土の人間こそ沖縄の犠牲を悼む「国民の休日」であるべきではないか。そう考えて、6月23日周辺に仕事を休んで本島へ行き、慰霊祭や慰霊ライブに参加することにした。離島に足を延ばすことになったのは、23年春、全国の私大教員のオンラインイベントで「石垣や与那国ではミサイルが一般道を走っていますよ。なのに本土のメディアは報道もしない」という発言を耳にしたからだ。羽場久美子先生だった。6月、自分の目で確かめるべく島々を訪れた。名刺を交換したばかりの元山仁士郎氏にご仲介をお願いし、石垣島では花谷史郎市議に基地問題の詳細をうかがった。
 この先は『日本の進路』読者諸氏に説明は不要であろう。筆者がイスラエルにおける右傾化に心を痛めている間に、我邦の国境地帯は自衛隊の要塞と化していた。「敵」に対する恐怖を煽る政府、恐怖から権力と武力を恃む人々、左派を嘲りミリタリズムを礼賛する極右ポピュリズム……日本は今やイスラエルとそっくりだ。
 かの地では数十万人が何カ月も反政府デモを行う社会基盤がある。それでもあの蟻地獄に落ちた。報道なく、抵抗せず、ハッピーな日々にしがみつく日本は、このまま飲まれてしまうしかないのか?

目に見える行動を

 イスラエル演劇を研究するノンポリ女子大教員が、この3月、「石垣島の明日はどっちだ!?」と題して、ジャーナリスト川端俊一氏、花谷市議、石垣島のミュージシャンYoshitoo!氏を迎えたイベントを個人プロデュースしたのはそういう事情である。
 今は劣勢も劣勢だが、イスラエルのかつての表現の自由は、演劇人が常に戦って守ってきたものだった。それに対する敬意は、日本の有権者・教員として、目に見える行動で返そう。少なくとも将来、今の学生に「先生はあの時わかっていたのに、なぜ行動してくれなかったのですか」と言われるのだけは御免である。

(見出しは編集部)