沖縄県知事選勝利へ全国から支援を
参議院議員 伊波 洋一
2022年7月10日の参議院選沖縄選挙区ではオール沖縄の私、現職イハ洋一候補が僅差で勝利した。全国では沖縄を含む1人区で自民党が28勝4敗と改選過半数の63議席を獲得する大勝で自公で改憲発議の3分の2を維持し、自民党が求める憲法9条改憲に大きく近づく危険な状況だ。立憲野党の大敗は野党共闘が構築できなかったことにある。
「新基地建設NO」の民意が勝利したオール沖縄の取り組みを報告し、間近に迫る9月11日投開票の沖縄県知事選挙への支援を訴えたい。
「腹八分、腹六分」でお互いを認め合って
2016年7月参議院選挙では翁長県政を支えるオール沖縄の県政与党と労働団体および経済団体で構成する「調整会議」の候補者検討会議から出馬要請を受けて立候補して当選した。
オール沖縄の「調整会議」は、各級選挙で対立してきた保守側と革新側が14年沖縄県知事選挙では保守の翁長雄志氏を予定候補者として取り組む過程でできた。「腹八分、腹六分」を合言葉に、お互いの考えや主張を理解し折り合いをつけて行動を共にすることを基本とした。かつて、「保守」は『生活や経済』を重視し、「革新」は『尊厳や人権』を重視してきたことをお互いが認め合い、戦後の米軍統治下や復帰後の経済発展のために「保守」が生活や経済のために米軍基地を受け入れてきたことを「革新」は理解し、「革新」が『尊厳や人権』を重視することで沖縄県民の尊厳が保たれてきたことを「保守」も理解した。辺野古新基地建設に反対するにあたって、保守も革新も、これ以上の新基地建設による米軍基地負担を拒否し、普天間飛行場の閉鎖・返還を求め、跡地利用を通して沖縄の経済発展を実現しようとする意志を明らかにしたのが、翁長雄志沖縄県知事の誕生だった。
沖縄における革新側の共闘は、沖縄返還前の三大選挙「公選主席選挙」、「立法院選挙」、「那覇市長選挙」での革新共闘以来、ずっと続いてきた。その際には候補者は党籍離脱した。一方、オール沖縄では、翁長知事選挙の翌月に行われた衆議院解散総選挙で沖縄小選挙区1~4区の全選挙区にオール沖縄候補を擁立する際に、党籍離脱は行わず、それぞれの党籍のまま立候補し、各小選挙区での選挙体制は「革新共闘」のように小選挙区内のオール沖縄参加団体が参加して当該候補者を応援した。そして、1~4区で全員が当選した。
今回の私の参議院選への立候補に向けては、どのようにしてオール沖縄の合意を得るかということが課題だった。3月6日には調整会議参加12団体が参加する全体会議を開催し、沖縄の声を国会に伝えて辺野古新基地建設を止めるため、さらに市長選4連敗を参議院選勝利で払拭し、9月の県知事選挙勝利と宜野湾市・豊見城市・那覇市の3市長選と21市町村議会議員選の沖縄統一地方選に臨むために参議院選に2期目をめざして立候補する意向を表明して参加団体の合意を得た。
その後、 4月29日には正式に参議院選挙出馬表明を行った。
今回の那覇市内への選対本部事務所設置と各支部設置は、参議院選挙後の県知事選挙と連動させることを前提に1~4区総支部づくりと各市町村支部づくりを取り組んだ。知事選が21市町村の議会議員選挙と同日になることから、各支部の役員構成を県議や市町村議員だけでなく、オール沖縄の各市町村島ぐるみ会議等の参加も求めた。
取り組みとしては、定石通りのやり方で公示前の後援会集票や2回のチラシ配布、公示後の法定チラシ2回配布を取り組んだ。新型コロナの感染の蔓延で集会ができないなどの制約があるなか、真夏の暑い日ざしの中を各地域の方々が頑張ってくれた。18日間の選挙期間、その前の後援活動期間も含めた頑張りが最終的に当日の投票、あるいは期日前の投票に着実に結実したことを実感した。
私は6年ぶりの選挙だった。前回は「期日前投票してきたよ」と語る人たちはいなかったが、今回はあちこちの遊説、集会で、会う人ごとに「期日前入れてきたからね」という言葉をかけられた。通りがかりの方からの声も多かった。期日前投票も拮抗して競り合って、徐々にこっちが上回っていったことにも結びついた。
「二度と沖縄を戦場にさせない」思いを結集
競り合いの中で、最後まで危機感、緊張感があった。投票日当日の出口調査でこのままでは厳しいという情勢分析も出て、あちこちで、最後の午後8時まで投票行動を呼びかけていただいた。開票速報でも、最終的に2888票という僅差で、深夜零時を過ぎて当選確実が出るという状況はそうした各地の闘いを反映したものだった。
今回の参議院選では自民党は本部主導で38歳の沖縄県出身の元官僚を候補者にして、さまざまなメディアを通して知名度を上げ、産業界や若者世代から30代、40代への浸透を図っていた。岸田首相も来県し、沖縄市、宜野湾市、那覇市で合計約4千人を集めて街頭演説を行った。菅前首相や閣僚級の自民党国会議員が連日来県した。茂木幹事長は4度来県し最終日は街宣車のマイクも握った。岸田首相や茂木幹事長の派閥からは数十名規模のスタッフが派遣されていたと地元紙は報じた。
一方、私を支えて取り組んでくれた各市町村支部を支えたのは、各市町村の島ぐるみ会議の皆さまだった。多くがシニア世代で、米軍統治下の沖縄で育ち、沖縄戦を生き抜いた方々も参加していた。「二度と沖縄を戦場にしてはならない」との思いを強く持ち、沖縄で進む米軍基地や自衛隊基地建設に危機感を持って頑張ってくれた。その結果が、沖縄市や恩納村、八重瀬町など保守系首長の地域でも勝利し、岸田首相が街頭集会した3市でも勝利した。
オール沖縄から企業グループが離脱し、翁長さんのような「オール沖縄」の主柱や旗振り役はいないが、大事なことは「オール沖縄」が県民の中に定着していることを各地の取り組みで実感した。若い世代にも「オール沖縄」への共感を広げるために街頭演説会で若い世代に登壇してもらい率直な思いや意見を発言してもらったことも良かった。短く編集されたメッセージは各種SNSで広く拡散され、若い世代への浸透のみならず、LINE(ライン)等を通して信頼感のある拡散につながった。
予断を許さぬ知事選
参議院選勝利の余韻の間もなく、県知事選挙体制の構築が始まった。7月31日に県知事選対本部「ひやみかち・うまんちゅの会」(全員でがんばろう)を結成し、事務所開きを行った。8月25日の告示前に事前2号のチラシ配布に入っている。
参議院選以上に政府・自民党が攻勢をかける勢いだが、自民党の予定候補は旧統一教会が名称変更した団体が台湾で開催した集会にも参加しあいさつしており、SNSなどで批判が広がっている。下地幹郎・元衆院議員も出馬表明し保守分裂にも見えるが、玉城デニー県政に批判の矛先を向けており、予断を許さない。ぜひ、全国各地からも玉城デニー県知事再選に向けた取り組みへの支援をお願いします。
(8月11日)