沖縄再併合から50年

ヤマトンチュとして沖縄に向き合う

イェール大学生 西尾 慧吾

 2019年2月24日に行われた辺野古新基地建設の是非を問う沖縄県民投票を呼び掛けた元山仁士郎さんが、5月9日から東京でハンガーストライキを始めた。私は「ヤマトの無関心が沖縄の人を犠牲にしている」と痛感した。県民投票では7割を超える人が反対の意思表示をした。憲法の定める地方自治に反して新基地建設を強行する国の強権政治に抗議し、一刻も早く元山さんの要求事項の3点(①辺野古新基地建設の即時断念、②普天間飛行場の数年以内の運用停止、③日米地位協定の運用にかかるすべての日米合意を公開し、沖縄県を含む民主的な議論を経て見直すこと)の履行を求めたい。


 沖縄を米軍占領下に入れることと引き換えにヤマトが独立を獲得した1952年のサンフランシスコ条約締結から70年、ヤマトが沖縄を「再併合」「再植民地化」した1972年の沖縄施政権返還から50年の節目の今年、沖縄の方々が自分たちの生存権を守るために命懸けになることを強いられる状況は異常だ。国の沖縄差別政策を黙認し続けたヤマトンチュの一人として、申し訳なさが募る。

 先日、遺骨収集ボランティア・具志堅隆松さんを招いた集会が大阪で行われ、私も参加した。ウチナーグチでのあいさつで講演を始めた具志堅さんは、沖縄が元々独立国であったこと、言葉も文化もものの考え方の中にも、日本とは違う琉球的な何かがまだ残っていること、「自分たちは日本人なんだろうか?」という自問自答が続いていると強調された。

 50年前、具志堅さんは日本政府への不信と米軍が核を放棄するわけがないとの疑念を抱きつつ、日本国憲法の下に入れば平和で二度と戦争に遭わない沖縄が実現できるとの期待を捨てなかった。具志堅さんが学生時代、親戚が集まれば戦争の話題になった。市場で主婦同士が再会すると、お互いが沖縄戦をどう生き抜いたかを延々と話し込み、那覇の街なかでは戦争トラウマで泣きながら徘徊する人をよく見かけたとのことだ。

 沖縄戦では沖縄を皇土防衛のための捨て石にし、10万人以上もの沖縄県民が犠牲にされたが、そんな凄惨な体験を経たからこそ、沖縄の方々は日本国憲法の平和主義の力を信じていたのだ。具志堅さんの語りは恐ろしい迫力を伴っており、沖縄を裏切り続けたヤマトの罪深さを痛感させられた。

目に余る政権の傲慢さ

 昨年3月、具志堅さんは、辺野古新基地建設の埋め立てに沖縄戦戦没者の遺骨が染み込んだ沖縄島南部の土砂を用いる計画に抗議するハンガーストライキを断行された。それから1年以上経過し、全国200以上の地方自治体議会で計画中止を求める意見書が可決された。その多くは全会一致か、圧倒的多数の賛成によるものだ。

 それでもなお、国は「辺野古が唯一」との姿勢に固執し、遺骨土砂問題に関しても、「土砂採取業者の配慮次第」との菅政権以来の不誠実対応を改めない。具志堅さんは、「こんな計画を立てた時点で、国は人道上の大きな過ちを犯した」と厳しく非難された。5月14日、岸田首相は沖縄の平和祈念公園や国立戦没者墓苑を訪れたが、いかなる神経だろうか。

 市民の抗議を完全無視する現在の政権の傲慢さは目に余る。戦没者遺族が直接交渉に訪れても、国政に抗議するハンガーストライキが繰り返されても、軍拡路線に猛進する国政は人の心を失っている。民心から乖離した政権の存在意義は皆無だ。

 1995年の少女暴行事件以降、米軍への抗議が全国化した際、国は一応アメリカと交渉し、SACO「合意」というパフォーマンスでガス抜きを図った(もちろん沖縄の代表者を議論にも加えず、密室で作られた「最終報告」は「合意」の体をなさない)。そんなパフォーマンスすらしない現政権は、その時よりはるかに傲慢さを増したと言える。庶民を愚弄する現政権への怒りは、今や沖縄県内外の差異を超えて日本の全市民で共有できるのではないか。

「戦没者」となる危機感

 今や問題は辺野古新基地建設にとどまらない。中国との戦闘を念頭に置く自衛隊の南西シフトにより、沖縄は再び地上戦の戦場にされようとしている。ウクライナ問題に乗じた軍拡・憲法改悪策謀が進み、核兵器共有論まで飛び出すなか(ウクライナの人々の苦しみを「政治利用」するのも人道上の大問題だ)、具志堅さんは「自分たちが戦没者になる」との危機意識を訴えられた。

 いたずらな脅威論で軍事化を進め、周辺諸国との対立を深めれば、日本中の基地・原発などが攻撃の標的にされるリスクが高まる。ロシアを国際協調の場から叩き出すことが正義かのような国際的風潮が広まっているようにも感じるが、特定の国を一方的に敵視し対話を拒絶した結果どれほど凄惨な被害が出るかは、日本が一番よく知っているはずだ。満州事変以降、一国主義的に無謀な戦争を繰り返した先の大戦の教訓を真摯に学び直すべきだ。

 人々の平和を希求する心に全的信頼を置き、対話による外交を貫くことの普遍的価値を謳う憲法を持つ日本が、その理念を破り、強権的な軍拡路線を歩んでいるのは、国際社会に対する背信だ。日本政府にプーチン大統領を批判する権利はない。

 沖縄に対する生存権侵害や地方自治の蹂躙を放置することは、日本の全市民の普遍的人権を犠牲にする国政の容認を意味する。朝日新聞・沖縄タイムス・琉球朝日放送の合同調査によれば、8割の沖縄県民が「本土の人たちが沖縄のことを理解していない」と答えたそうだが、これ以上沖縄の犠牲を人ごと視すれば自分たちの生存も危うい。具志堅さんや元山さんをはじめとする沖縄の方々の訴えは、日本の全市民の人権を守るための訴えなのだ。

いつか変わると信じて

 国が市民の声を完全無視する今、これ以上何ができるか心底悩んでいる。その悩みをぶつけた際、具志堅さんは「間違えていることは間違えていると言い続けるべき」とおっしゃった。現行憲法下最後の国政選挙になるかもしれないと言われる参院選が刻一刻と迫り、焦りも募るが、市民集会や街頭行動で粘り強く世論喚起に努めることが肝要なのだろう。

 ハンガーストライキ決行直前の元山さんにインタビューした際、元山さんは「女性や黒人の権利運動同様、いつか変わることがあると信じて取り組み続けるしかない」とおっしゃった。幾度となくヤマトに裏切られた沖縄の方々が声を上げ続けている以上、ヤマトンチュの自分が諦念や無力感に駆られてはいけない。

 大阪での集会で、具志堅さんが何度も強調されたのは、メディアの役割と、市民が主権者との自覚を持つことの重要性だった。国政への抗議を全国世論にするため、メディアや地方議員の方々には、問題の可視化と市民運動の後押しの先頭に立ってほしい。「遺骨土砂問題」意見書を可決した都道府県議会の議員の方々は、知事に全国知事会でこの問題を議論し、国に埋め立て計画の中止を求めるよう要求していただきたい。

 市民の側も、国政のあり方を決めるのは自分たちとの主権者意識を持ち、憲法を活かす政治の実践者になるべきだ。具志堅さんからは、「ヤマトンチュは一度も主権者としての自覚を持ったことがないのではないか」との厳しい指摘もあった。国政を変える力は市民が持っている。立憲主義・平和主義・民主主義・普遍的人権を守るための草の根の民主主義運動を、ヤマトンチュの精神革命を行う気概で育みたい。

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