基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざす
沖縄の施政権返還(日本復帰)50年を目前に那覇市で4月30日、「復帰50年・基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざすオンライン県民大会~屋良建議書は実現されたのか~」(同実行委員会主催)が開催された。
実行委員会は、県議会与党各会派が呼びかけ形成され、共同代表に平良亀之助氏(復帰当時の元琉球政府職員)、石川元平氏(屋良朝苗秘書、後に沖縄県教組委員長)、元山仁士郎氏(元「『辺野古』県民投票の会」代表、一橋大学大学院生)、新川秀清氏(第4次嘉手納爆音訴訟団団長)、大城貴代子氏(前県女性団体連絡協議会会長)、オーガニックゆうき氏(作家、京都大学生)の6人、事務局長は山内末子氏(沖縄県議)。当初、奥武山公園で1万人規模の集会形式で開催する予定だったが、折からのコロナ感染症感染拡大を考慮して、急遽オンライン開催に切り替えられた。
実行委員会は5月6日県庁を訪れ、玉城デニー知事に大会決議を手渡した。
今も変わらぬ基地の島の現実
大会は比嘉京子県議が、「沖縄戦で県民の4分の1が死亡した。『復帰』で県民は基地のない平和な島を願ったが、かなわなかった」などと開会あいさつを述べた。
続いて、復帰実現のために当時闘った4氏が問題提起した。
平良亀之助氏は、琉球政府職員として「屋良建議書」の作成に関わった経験を述べ、「日本政府は琉球政府の『異議申し立て』である『建議書』を門前払いした」と厳しく指摘した。さらに、「『沖縄県』になって半世紀となるが、そこに住む人たちが納得し、同意したものではないということを改めて痛感する。『建議書』前文は屋良朝苗行政主席が自らしたためたもので、『県の要求が十分反映されていないうらみがあります』と明記されていた。門前払いで日本政府に届かなかった形だが、沖縄が本土並みの状況にならない限り建議書は有効だ」と指摘。米軍と自衛隊の基地機能強化が進み、宮古、八重山への自衛隊ミサイル基地建設は「台湾有事を煽るもの」と批判した。
石川元平氏は、「屋良主席の『沖縄が二度と国家権力の手段となって利用されて犠牲となってはならないんだ。復帰の中身を勝ち取るのは君たちの大切な責務だよ』という言葉が今も頭から離れない」と話し始めた。「復帰50年に、対米従属を絶って、真の独立と主権回復をするという決意を全国民が持つ年にしてほしい」と檄を飛ばした。
続けて、新川秀清氏、大城貴代子氏が発言した(別掲)。
その後、復帰後生まれの元山仁士郎氏(30)とオーガニックゆうき氏(29)が対談形式で思いを述べた。元山氏は、米軍基地が返還されない限り、沖縄の復帰、戦後は終わらないとし「一日でも早く、沖縄の人々が望んだ復帰後を実現するために、私も含めて一人ひとりが、できることをやっていけたらと思う」と述べた。その上で、「答えるべきは沖縄の人ではなく、日本の人だ」と厳しく指摘した。
オーガニック氏は理想の復帰50年について「基地のない平和な沖縄が実現していたら良かった」と強調した。その上で、「『建議書』に託された思いを私たちが受け継ぎ、大切にしていきたい。私たちの世代に重くのしかかっている。私たちが運動を続けていくことが重要」だと決意を述べた。
大会はその後、平良昭一県議が「大会決議」を、喜友名智子県議が「大会スローガン」をそれぞれ読み上げ提案し、拍手で確認した。閉会あいさつは、仲村未央県議。
最後に、瀬名波奎那覇市議の音頭で、「基地のない平和で誇りある豊かな沖縄のため頑張ろー」と意気高くガンバロー三唱し閉会した。
先輩たちに復帰闘争について質問する元山仁士郎さん(右端)、その隣はオーガニックゆうきさん