私たちは何を目指しているのか
東アジア不戦推進機構 代表 西原春夫
私たちは77年前、1945年に太平洋戦争、第二次世界大戦に敗れ去った日本の、戦争の時代を直接体験したいわば最後の世代に属する者です。
他国に巨大な損害を与え、自らも大きく傷ついたあの戦争がいかに悲惨なものであったか、いかに愚劣なものであったかを身にしみて感じている者です。戦争は理由のいかんを問わず絶対にしてはならない、そう考えて生きてきました。
そういう私たちから見て、最近の国際情勢の中に大国同士の戦争の危険が含まれていることに大きな危惧の念を抱くようになりました。そのようなとき、「戦争はいけない」と世界に向かって声を上げるのは、戦争の何たるかを知り尽くしている私たち世代の責務ではないかとさえ考えるに至ったのです。それは2019年初夏のころでした。
私たちは、もっと若いたくさんの支援者の方々と共に意思表示の方法、時機、背景となる思想などについて討議してきました。その結果、翌2020年8月12日、①2022年2月22日22時22分22秒という、2の数字が12重なる千年に一度の特異日に、少なくともまず私たちが属する「東アジアを戦争の無い地域にする」という宣言を、東アジアの国々の首脳が共同で、又は単独同時に発出する、②そのことを私たちが提案する、という企画を公表いたしました。
その後私たちが計画し努力してきたのは、東アジア各国に政府とつながりをもつキーパーソンを見つけ出し、その方を通じて政府の賛同を得ようという方法でした。私たちの企画が時代の要請に合っていたからかもしれませんが、いろいろな幸運も働き、この計画はかなり進みました。しかしそこに立ちはだかったのが新型コロナのパンデミックでした。
海外出張ができないため、キーパーソンと直接お会いして賛同を求める機会が失われてしまったのです。その結果として、今年の2月22日に当初の目的を達することは不可能になりました。
ただ私たちの願望はこれで断たれたわけではなく、むしろその後の世界情勢は私たちの課題をさらに深いものにするよう要請していると思わざるを得ないようになりました。
そこで、今日皆さまにお集まりいただき、私たちの提案とその趣旨を改めて聞いていただくため、この記者会見となった次第です。
私たちがこの記者会見を日本の記者クラブではなく、日本外国特派員協会で行ったについては、それなりの理由があります。
第一に、私たちの当面の目標はたしかに「東アジアを戦争の無い地域にする」ということに凝縮しており、一見すると単に東アジアの平和を願望しているだけのように見えます。
しかし実は私たちは世界全体に通用する独特な政策論を背景としてこの企画を進めてまいりました。
一口で申しますと、戦争の原因となる意見・利害の対立は簡単に「解決」できないことが多い、そこでその対立の次元より一つ高い次元に立ち、対立している両者に共通の利益を見いだせば対立は「超克」できるという方法で、私たちは「対立超克の理論」と呼んでおります。内容についてご質問があれば、後の質疑応答で説明いたします。
第二に、私たちの提言はとりあえず自分たちの所属する東アジアに限定したけれども、世界を見渡してみますと、「この地域ではもう戦争は起こらない」と言えるような地域がいくつも存在します。もしそれらの地域が、あるいはその所属国の首脳が、私たちの東アジアへの提言に倣って、ある共通の特定の期日に「自らの地域を戦争の無い地域にする」という宣言を改めて発することができれば、その歴史的意義は絶大です。
本日の記者会見を日本外国特派員協会で行った趣旨は、これでお分かりいただけたと存じます。
ここで提言者のお一人である元国際連合事務次長の明石康さまから「提言」を読み上げていただきます。明石さま、よろしくお願い申し上げます。
提言
私たち18人は、第二次世界大戦の時代を直接体験した最後の世代の一員として、「戦争はいかなる理由があろうとも絶対にしてはならない」という信念に基づき、ここに以下の提言を発表する。
少なくともまず、私たちの所属する東アジアの国々の首脳が、特定共通の日を期して、共同または単独同時に、「東アジアを戦争の無い地域にする」という宣言を発出することを切望し、ここにこれを提言する。
2022年2月22日22時22分