米中激突の東アジア、問われる日本の進路 2-7

第17回全国地方議員交流研修会 ■ PART2 パネルディスカッション

アジアの共生を進める

金沢市議会議員(石川県)  森 一敏

 金沢大学の教育学系の学生たちと討論する機会がありました。金沢市では育鵬社の歴史教科書を採択、再採択しており、この問題について議論したら、ある学生から、「韓国のように反日の教科書を編集して使用させている国は他にもあるのか」という問いが私に投げかけられました。
 これが一般的な現在の学生の認識かどうかは分かりませんけど、金沢市の教科書採択の動向などが影響を与えている可能性があるのかなと思っています。
 歴史問題について、「植民地支配は合法であった」という日本政府の頑迷なまでの歴史認識、これが問題の解決を遠ざけていると思っています。
 この歴史認識の問題については、韓国が軍事独裁から民主化闘争の闘いを経るなかで、その取り扱いも変わってきましたし、日本がそれにどう立ちはだかってきたのかということも明らかになってきている。この間の韓国での裁判の判決の結果から、十分に私たち、学んでいく必要があると思っています。
 さて、金沢市での私たちの取り組みについて、「平和のための連帯を求めて」という表題で申し上げたいと思います。
 金沢市には1932年、第一次上海事変のときに、上海で韓国臨時政府の軍事要員として、尹奉吉という独立運動家が爆弾を投げまして、4人の死傷者を出したという歴史に残る事件があります。金沢の第一師団が上海派遣軍の中核となって、上海で戦勝祝賀式典を行ったために、そこで捕らえられた尹奉吉はその年に最終的には金沢に護送されて12月19日に銃殺に処せられ、そして、陸軍墓地の崖下に秘密裏に埋められた暗葬という事実が金沢には刻まれております。
 この歴史的事実に基づき、金沢の市民団体が在日韓国人の方々と協力して1992年にこの暗葬の場所に「暗葬の跡」という記念碑を設置しました。当時の市長が「日韓親善に役立つのであれば」ということで、右翼団体の反対がありましたが、この地上部分の使用を黙認するという形でこの碑がスタートしました。
 それ以降、尹奉吉の生地である韓国の禮山郡にある農村の夜学団体「月進会」と私どもは毎年相互交流を行っています。
 残念ながらここ2年は新型コロナウイルスでお互いに渡航ができないということで、SNSを使って情報交換をしたりしています。引き続きこの交流事業によって、金沢市民に歴史の事実の共有、それから植民地支配というものの意味、その清算がどうなっているのか、このことを通じて、教科書問題、日韓の政治対立の問題など冷静に判断ができるような土壌を養成したいと考えています。