野菜は人間に食べられるためではなく、子孫を残すために生きている
野口のタネ店主 野口 勲さん
西武池袋線飯能駅の西北西7キロ、秩父山地のふもとに、手塚治虫の『火の鳥』と『野口のタネ』の看板を掲げた、野口勲さんの野口種苗研究所があります。タネ屋に生まれた野口さんは手塚治虫のそばにいたい一心で大学を中退して虫プロに入り、『火の鳥』の初代担当編集者となりました。虫プロが倒産した後、家業のタネ屋を継いだ野口さんは、『火の鳥』を看板に使う許可をもらい、看板に恥じないタネ屋になろうと決意しました。「生命の尊厳と地球環境の持続」です。
野口さんは今、「タネが危ない」と、F1種のタネを大量生産するために「雄性不稔」の株を利用する技術があらゆる植物に広がっていることに警鐘を鳴らしています。野口勲さんのお話を聞きました。(編集部)
固定種とF1
日本では江戸時代に、良いタネを選抜し、形質を固定して販売する専業のタネ屋が現れました。一般の農民は、形質が固定した野菜のタネ(固定種)を買い、何年も自家採種して、その土地に合った野菜にしていきました。1960年頃までは、販売される野菜のタネのほとんどはこの固定種でした。
しかし、今売られている野菜のタネのほとんどは、F1(一代雑種)という交配種になっています。Aという品種とBという品種を掛け合わせて、一代限りの雑種のタネを作っており、それが世界中の人が食べている野菜のタネになっています。
このF1を作る技術は、初めの頃は、自分の雄しべの花粉で雌しべが受粉しないように、雄しべを取り除いて雌しべだけにし、全然違う別の種類の雄しべの花粉を付けて、F1を作っていました。それがある時、雄しべのない植物が見つかりました。男性機能がないから雄性不稔と言います。雑種を作るのに都合がいいので、雄性不稔の植物をどんどん増やし、それに別の種類の雄しべの花粉をミツバチに付けさせたタネができるようになりました。
それが最初に売り出されたのは1944年で、タマネギから始まりました。アメリカで見つかった技術ですから、アメリカン・スタンダードがグローバル・スタンダードになり、世界中の野菜がどんどん雄しべがない植物に変わっていきます。やがて世界中の人間がそればかりを食べるようになるのではないか。そういう男性機能がない植物ではなく、子孫が生まれて生命がつながる自然なタネを栽培した、昔から食べていた固定種の野菜を食べるべきだというのが僕の出発点です。だから、僕は固定種のタネだけを売っています。しかし、農家の間では固定種はほとんど栽培されていませんし、そういう昔のタネでできた野菜を作っても、市場は買ってくれません。
固定種はなぜ売れないのか
メンデルの法則により、雑種の一代目は両親の対立遺伝子の顕(優)性形質だけが現れ、見た目が均一にそろいます。また、系統が遠く離れた雑種の一代目は、雑種強勢という力が働いて、生育が早まったり、収量が増大したりします。だから、箱に入れたF1の大根はみな同じ大きさでそろい、同じ価格で売りやすい。これに比べて固定種の大根は同じ品種でも大きさや重さがまちまちで、昔はいちいち秤に掛けて売っていました。これでは大量流通に向かず、現代では八百屋もスーパーも買ってくれません。
農家にすればお金になることが農業の目的です。今は野菜ごとに箱が決まっていて、その箱に同じ形にそろった野菜を入れないと、市場で買ってもらえず、セリにもかからず、お金になりません。だから、農家が使うタネは、固定種ではなくF1という一代限りのタネばかりになりました。
しかし、見かけがそろったり、収量が増したりするのは、雑種にした第一世代だけです。二世代目のタネをまいても商品になりません。また雄性不稔で作られたF1は、雄しべがないからタネが採れません。毎年、高いタネを買わなければなりません。雄性不稔で作られたF1は、後述しますが、それだけでなく心配なことがあります。
固定種でできた野菜はふぞろいで市場出荷には向かないけれど、味や形などの特徴が世界各地で長年かけて固定されたものですから、F1よりもおいしく、自家採種できますから、毎年タネを買う必要はありません。
タネ採り農家の激減
F1作りは、日本でも1950年代から始まりました。日本には、大根、白菜、カブ、菜っ葉など数十、数百種類ものアブラナ科野菜があります。そこで、日本に多いアブラナ科野菜のために、自家不和合性利用という独特の交配技術が開発されました。ところが国内のタネ採り農家がほとんど壊滅状態になって、海外にタネ採りを頼むことになりました。しかし、日本独特の技術では海外のタネ屋は引き受けてくれず、世界標準である雄性不稔による交配に変えられました。
だから、今売られている大根を下だけ食べて、葉っぱの根元の部分を庭などに生けておくと、春に花が咲きます。その花をよく見るとみんな雄しべがありません。日本中の人間がそういう雄性不稔の大根や白菜を食べるしかなくなっています。
日本のタネ採り農家はほとんどが林業地帯の林業農家でした。平地でタネ採りすると、他の花粉が混ざるからです。しかし、林業もだめになって、山に住んでいる林業農家が食っていけなくなった。家と墓を守るために、爺さん、婆さんが残ったけれど、子育ての人たちはみんな山を下り、平地に家を借りたりして、子どもを塾へやり、いい大学に入れてサラリーマンにしようとしています。そうしないと生きていけないからです。そして、山に残った爺さん、婆さんもどんどん死んじゃって、山は限界集落になり、そういう所でタネ採りをしていた人たちがいなくなっちゃったのです。
昔からの固定種のタネだけを取り扱っているタネ屋は日本で一軒、うちだけです。うちでは辛うじてカブのタネ採りをやってますが、小松菜や白菜のタネは花粉が混ざるので、うちの畑では採れません。昔からのタネを地元の農家に頼んで採ってもらっているタネ屋がまだあっちこっちにあるので、日本中から集めて、手に入るうちはそれを売っています。こういう自家採種できるタネしか売らないのはうちだけです。他はどこも、雄性不稔を含めたF1で、海外で採ってもらったタネが多くなっています。そうしないと、農家は売れる野菜が作れないからです。人間は今、子孫がつくれないようにされた、命の続かないものが殖やされて、そればかり食べ続けています。植物は、食われるために生きているのじゃないのにね。
雄性不稔、無精子症はミトコンドリアの遺伝子異常
今、世界中の男性の精子が減り続けています。1年ごとに右肩下がりで減り続けています。でも、何が原因だか分からない。環境ホルモン説が否定されてから、誰も調べていないからです。
動物も植物も、細胞でできており、どちらの細胞の中にも、ミトコンドリアという小器官があります。ミトコンドリアの中にも、核と同じように遺伝子の役割をするDNAがあります。ミトコンドリアの遺伝子の異常が植物では雄性不稔を、動物(マウス)では無精子症を引き起こしていることがはっきりしています。
ただし、雄性不稔という男性機能を失った植物ばかり食べていて、それが動物に影響があるかどうかということを調べている人間は一人もいません。安全だということでもなく、誰も調べていないだけです。
ミトコンドリアは砂粒一つに1億個入るというくらいものすごく小さい。身体の細胞の中にあるその小さいミトコンドリアを全部集めると、体重の1割になる。ミトコンドリアは身体にそれだけ大量にあり、生命エネルギーの発電所と言われています。そのミトコンドリアの遺伝子が一つおかしくなると、男性機能がなくなって、無精子症が起こったり、雄しべのない植物が生まれたりする。今、世界中の人間がタマネギやニンジンを代表とする多くの雄性不稔のF1野菜を食べ続けているのに、人間に影響がないのかどうか、誰一人調べていません。
多様性が命をつなぎ生物を進化、発展させた
同じ固定種のタネでできた野菜はそろわない。なぜそろわないかと言うと、同じお父さんとお母さんから生まれた子でも、ませたガキが生まれたり、のんびりおっとりした子が生まれたりする。みんな同じに生育して多様性を失ったら、ある時台風が来たり、大雨が降ったりすると全滅して子孫が残らない。多様性があるから、どれかが子孫をつないでくれるようになっているのが、自然なんです。だから、うちのタネをまくと、早く育ったませたガキから収穫していけば、のんびり育つのがその後で収穫できて、1回タネをまけば数カ月にわたって長い間順々に食べられる。それが家庭菜園のいいところでしょう。
生物はみんなそういう多様性があるから、進化し、発展してきたわけです。どんな気候変動が起ころうと、こんな異常高温になろうと、そこをうまく乗り切ったものからタネを採れば、そういう環境にどんどん適応していくのです。いろんな環境変化があっても、生き物は必ず乗り越えていく。
今みたいに、タネはみんな買うものになってしまうと、それも海外で採ったタネが日本に入ってきて、それで栽培された野菜ばかりを食べている時代になると、植物が進化できなくなっています。
昔のタネは一粒万倍と言って、一粒のタネがあれば、1年後には1万粒に増える。2年後にはさらにその1万倍で1億粒に増える。3年後には1兆粒になり、4年後には1京粒になる。そういう無限の命というか、未来への可能性をもっていたのが、昔のタネなんです。
しかし、今はその1万、1億、
1兆、1京の中から、たった1個体見つかった雄しべのない、男性機能がなくなった植物が選ばれて、そのミトコンドリア遺伝子の異常が母系遺伝で全ての子孫に引き継がれ、異常な植物だけを世界中の人間が食べるようになっている。植物の遺伝子がものすごくタイトになっていて、どこで何が起こってもおかしくない状況です。だから、これは危険じゃないですかと言っているのが僕で、自家採種して命のつながるタネを増やしましょうと売っているのが野口のタネなんです。