地域主権改革は財界の積年の要求
住民の要求を基礎に、住民と一緒に闘おう
広範な国民連合事務局長 加藤 毅
鳩山首相は地域主権改革を「鳩山政権の一丁目一番地」と位置づけ、所信表明演説で「地域主権改革を断行します」と表明した。菅内閣はこれを受け継ぎ、「地域主権戦略大綱」を閣議決定した。地域主権改革とは何か。それは誰のための改革か。そのねらいは何か。住民の暮らしはどうなるのか。地方の疲弊がますます深刻になる中で、地域住民の暮らしを守るために頑張っているみなさんと一緒に考えたい。
地域主権改革にいたる経過
「地域主権改革」はあまり耳なれない言葉である。だが、これは「地方分権改革」と意味は同じだ。言いかえて耳ざわりをよくし、新しさを装っているにすぎない。それを知るには、地域主権改革にいたる経過をふりかえってみる必要がある。
地方分権が政治の議論に登場するのは1980年代後半からで、90年代に入ってそれが本格化した。87年に設置された第2次行革審(会長=大槻文平・元日経連会長)は、90年の最終答申において、行政改革の主要課題として「地方分権の推進」を掲げた。最終答申は「地方への権限委譲等を進めて、住民に身近な行政はできる限り、住民に身近な地方公共団体において処理されるようにする」と述べている。90年代に入ると、財界が組織した民間政治臨調(後述)、経済同友会、経団連があいついで、地方分権について提言や声明を発表した。
この時期に地方分権が政治の課題として登場してきた背景には、戦後の世界史を画する国際的な地殻変動、国際情勢の大激動があった。それが国内の政治・経済に深刻な影響を及ぼし、財界は対応を迫られていたのである。
1985年、最大の経済大国であるアメリカが債務国に転落した。アメリカはニューヨークのプラザホテルで開かれたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)で、日本とドイツにドル安への協調介入を要求した。ドイツは拒否したが、対米従属の日本はこれをのんだ。わずか1年で、1ドルが235円から120円に下落し、すさまじいドル安・円高が進んだ。だが、急速な円高の進行にもかかわらず、アメリカの対日貿易赤字は減らなかった。アメリカは日本に市場開放を厳しく迫り、日米経済まさつは日を追って激しくなった。政府も財界も経済構造の転換を迫られた。その方針書、アメリカに対する公約が「前川レポート」である。大企業の海外進出を促進し、国内市場をいっそう開放して、国際競争力のない農業などの第一次産業や中小商工業はつぶれるのにまかせる、というものであった。こうした経済構造の転換は、農民、商店主、中小零細業者に打撃を与え、国民の不満と怒りが高まった。89年の参議院選挙で社会党が大勝し、自民党一党支配が大きく揺らいだ。国と地方をあわせた借金が862兆円(10年度末見通し)にふくれあがった原因のひとつである日米構造協議もこの時期のことである。日本は10年間で430兆円(後に630兆円に拡大)の公共投資の実施、米国企業の参入を約束させられた。
1990年、冷戦体制が崩壊し、国際政治の構造も大きく変わった。新たに広大な市場が広がり、これをめぐる先進諸国間の市場争奪戦が激しくなり、世界経済は大競争の時代に入った。日本は湾岸戦争で130億ドルの戦費を支出させられたが、自衛隊を派遣しなかったため無視された。何の発言力もないことに財界はいらだった。さらに、国内経済はバブルの崩壊である。財界は多国籍企業の海外展開を後押しする国際的発言力の強化、行財政改革による国内コストの削減、金のかからない「小さな政府」の実現を望んだ。そのために、崩れだした自民党一党支配に代わる安定した政治、二大政党制へ、政治改革を熱望した。
そこで、財界は91年12月に民間政治臨調を発足させ、民間大労組、マスコミ、与野党議員を巻き込んで、政治改革に乗り出した。会長は国鉄の分割・民営化を推進した住友電工会長、日経連副会長の亀井正夫氏であった。当時、亀井氏は「政治家に政治改革をやれというのは、泥棒に刑法を改正しろと言うのに等しい」「政治改革が進まないと行政改革も進まない。行政改革のほうは鈴木永二さんが第3次行革審で頑張っておられる。私は政治改革、鈴木さんは行政改革ということで二人三脚で行こうということになっている」(『週刊東洋経済』92年11月28日号)と述べている。
民間政治臨調に呼応して、細川護煕氏が日本新党を、小沢一郎氏が自民党を割って新生党を結成し、財界主導の政界再編が一挙に進んだ。自民党の一党支配は終わり、93年8月に細川連立内閣、94年6月に村山連立内閣が誕生した。小選挙区制を主軸とする衆院選挙制度の導入、コメ市場の開放、規制緩和、消費税増税など、自民党単独政権では遅々として進まなかった財界の望む改革が次々に実現していった。
亀井氏が述べているように、行政改革を担当したのは、90年に発足した第3次行革審で、会長は元日経連会長の鈴木永二氏である。第3次行革審は、行革と地方分権が一体のものであり、国際化に対応する国家体制づくりのために地方分権の推進が必要であるとして、「国際化対応・国民生活重視の行政改革に関する答申」を行った。これを受けて、衆参両院は93年6月に「地方分権の推進に関する決議」を全会一致で採択した。第3次行革審は10月の最終答申で、地方分権に関する立法化の推進を求めた。
94年5月、細川連立内閣は行政改革推進本部を設置し、その中に地方分権部会を置いた。村山連立内閣は12月に「地方分権の推進に関する大綱方針」を閣議決定し、95年5月に地方分権推進法を公布した。同法によって、7月に諸井虔・日経連副会長を委員長とする地方分権推進委員会が発足した。地方分権推進委員会は中央集権型システムから地方分権型システムへの転換、機関委任事務の廃止などを打ち出して、96年12月から98年11月にかけて5次にわたる勧告を行った。これにそって地方分権一括法案が作成され、99年7月に小渕内閣のもとで地方分権一括法が成立し、機関委任事務が廃止された。だが、財界にとっては不徹底なものであった。
この一括法で合併特例法も改正され、合併特例債など強力な財政支援措置が盛り込まれた。政府はこれにより、自主的とは名ばかりで半強制的な市町村合併を進めた。平成の大合併である。その結果、99年3月末に3232あった市町村数は、2010年3月末に1727にまで激減した。
2001年4月に小泉内閣が登場した。一方、経済界では金融持ち株会社の解禁で、銀行の再編・統合、金融寡頭制が進んでいた。これを背景に、02年5月に経団連と日経連が統合して日本経団連が発足し、初代会長にトヨタの奥田碩会長が就任した。小泉首相は森内閣で設置された経済財政諮問会議に強力な権限を与え、ここで内閣の重要政策「骨太の方針」が決定された。民間議員として参加した奥田日本経団連会長が諮問会議を事実上主導し、国家機関における財界の発言権は従来と比べてはるかに強化され、自民党政調会の役割は小さくなった。
経済財政諮問会議は、「骨太の方針2002」で「国庫補助負担金、地方交付税、税源委譲を含む税源配分のあり方を三位一体で検討」する方針を打ち出し、「骨太の方針2003」で三位一体改革の具体的な工程を示した。その結果、04~06年度予算で、約4・7兆円の国庫補助負担金、約5・1兆円の地方交付税が削減された。だが、地方への税源委譲は約3兆円にすぎなかった。約7兆円の地方財源が失われ、その犠牲は住民に転嫁された。都市部と農村部の地域間格差が拡大し、地方の疲弊が急速に進んだ。
06年12月、安倍内閣のもとで地方分権改革推進法が成立し、07年4月に地方分権改革推進委員会が発足した。委員長は伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長で、経済財政諮問会議の民間議員も兼務した(菅内閣では中国大使に就任)。同委員会は08年5月から09年11月までに、4次にわたる勧告を行った。第3次と第4次の勧告は鳩山内閣に提出された。鳩山首相は「今後、現政権が目指す地域主権を実現していく上で、提言として参考とさせていただきたい」と約束した。
このように、地方分権改革は財界が提唱し、推進してきた積年の要求であり、鳩山政権に受け継がれた。
地域主権改革のねらい
鳩山内閣は09年11月、閣議決定で内閣府に地域主権戦略会議を設置した。地域主権戦略会議は「地域主権戦略大綱」の作成を進めた。そして、10年6月に発足した菅内閣が地域主権戦略大綱を閣議決定した。「地域主権戦略大綱」は冒頭の「地域主権改革の全体像」で次のように述べている。
地域主権改革は、明治以来の中央集権体質から脱却し、この国の在り方を大きく転換する改革である・・・
地方公共団体は住民に身近な行政を自主的かつ総合的に広く担い、国は国際社会における国家としての存立にかかわる事務を始めとする本来果たすべき役割を重点的に担えるようにし・・・
94年10月の経団連声明「地方分権の実現に向けた政治的決意を期待する」は次のように述べている。
明治以来の官主導・中央集権型の国家システムを、今こそ民主導・地方分権型に抜本的に改革すべきである・・ 国は国家の存立にかかわる政策、・・・ 必要不可欠な施策・事業を重点的に担うこととし、それ以外の行政は地方に移管すべきである。
地域主権戦略大綱が述べていることは、経団連声明とまったく同じである。自民党中心から民主党中心に政権が変わったが、財界積年の要求を実現しようとしていることに変わりはない。
そのねらいについて、92年12月の民間政治臨調の「地方分権に関する緊急提言」は次のように述べている。
(近代化過程でつくられた国内の政治・行政構造)が中央政府の行動の足かせともなり、国際社会への対応を遅らせている。国内政治・行政構造の分権化こそ、中央政府の国際社会への対応能力を高める手法である。政府は外交・防衛・司法と国土の根幹にかかわる計画調整・予算・立法など限定した行政を受け持ち、それ以外の各省庁の事務事業を都道府県と市町村に移行すべきである。
小沢一郎氏も「日本改造計画」(93年5月発行)で、
国政改革の第一歩は、国民生活に関する分野を思い切って地方に一任することだ。その結果身軽になった中央政府は、強いリーダーシップの下に国家として真剣に取り組むべき問題、たとえば国家の危機管理、基本方針の立案などに全力を傾けて取り組むのである。・・・現行の市町村制に代えて、全国を300ほどの自治体に分割する基礎自治体の構想を提唱したい。・・・将来は、いくつかの 県にまたがる州をおくことも考えられよう。
と述べている。
財界や小沢氏は、中央政府の行動の足かせとなっている国内政治・行政構造を分権化し、身軽になって、国際社会に対応できる、強力な統治機構をつくれと言っているのである。小沢氏は道州制にも言及している。
ただし、この十数年間に情勢はさらに変化した。とりわけ、国家財政の危機は深刻で、国と地方をあわせた借金の残高は862兆円にふくれあがり、GDPの2倍近くにのぼる。これが世界経済危機、激しい市場争奪戦という「国際社会への対応」の「足かせ」となり、多国籍大企業を制約している。
だから「鳩山政権の一丁目一番地」である地域主権改革は、自民党政権では不徹底で歩みも遅かった改革を急速に押し進めることである。財界が熱望する金のかからない「小さな政府」を実現し、国と地方の統治機構を効率化・強化して、市場をめぐる先進諸国間の市場争奪戦がますます激しくなっている国際社会に対応できるようにすることである。
住民の暮らしはどうなるか
「地域主権戦略大綱」は冒頭の「全体像」で、さらに次のように述べている。
「依存と分配」の仕組みを「自立と創造」の仕組みに転換しなければならない。・・・
地域主権改革が進展すれば、おのずと地方公共団体間で行政サービスに差異が生じてくるものであり、地方公共団体の首長や議会の議員を選ぶ住民の判断と責任は極めて重大になる。地域主権改革は、単なる制度の改革ではなく、地域の住民が自らの住む地域を自らの責任でつくっていくという「責任の改革」であり、民主主義そのものの改革である・・・
これが何を意味しているのか。同じことをあからさまに述べている02年10月の経済同友会の「地域主権確立への行財政改革の提言」を紹介しよう。経済同友会はすでに「地域主権」という言葉を使っていた。
これまでのような「ナショナル・ミニマムの実現」や「国土の均衡ある発展」といった画一的な政策目標では対応しきれない・・・
地域でできることは地域に委ね、財政移転による再分配をはじめとする中央政府の役割を最小限にとどめる。地域主権を確立し、地域の自立と競争による活性化を図る・・・
地域で足らざるを国が財政移転によって補填する政策は、地域が自ら努力する意欲を削ぎ、国は地域に関与し、地域は国に依存するもたれ合いと甘えの構造を定着させた・・・
このようなもたれ合いと甘えの構造から脱却し、地域が自立し、自ら努力することなしには、個性と活力ある地域を作ることはできない。しかも、国に頼ろうにも、最早、国に「打ち出の小槌」はない・・・
その結果として生まれるであろう地域間の差は受け入れることが基本でなければならない・・・
仮に地域が破綻すれば、その処理も地域の責任において行なうことが基本であり、行政サービスの内容・水準は大幅に切り下げざるをえない。地域住民にはそうした意識改革が求められる・・・
国に「打ち出の小槌」はない。「ナショナル・ミニマムの実現」や「国土の均衡ある発展」はめざさない。地域の自立と競争で活性化を図る。地域間格差の拡大、地域の破綻と行政サービスの切り下げは当然のこと。経済同友会はこのようにはっきり言っているのである。「地域主権戦略大綱」が言う「責任の改革」、「民主主義そのものの改革」とはこういうことであろう。
第1回地域主権戦略会議議事録から地域主権戦略会議メンバーの本音も紹介しておこう。
原口一博総務相「間違ったリーダーを選べば、そのツケがリーダーを選んだ地域の人に来るのは当たり前。そうしなければ、この国はもたない」
橋下徹・大阪府知事「現在の地方 財政計画制度を貫くのなら、首長は官選制にすべきだ」
上田清司・埼玉県知事「1日も早く権限・財源を地方へ移譲して、全体としての国家の財政コストを減らしていくべきだ」
「大綱」では「全体像」に続いて「義務付け・枠付けの見直しと条例制定権の拡大」、「基礎自治体への権限委譲」、「国の出先機関の原則廃止」、「ひもつき補助金の一括交付金化」、「地方税財源の充実確保」、「直轄事業負担金の廃止」を述べている。いずれも地方分権改革推進委員会が4次にわたって勧告した内容だ。
これらが実行に移されれば、保育園の1人当たり最低面積基準、特別養護老人ホームや障害者施設の防火・防災基準、学校の教員定数、工場団地造成や農地の整備・利用計画など広範囲の基準が、国の許認可をはずれ、自治体が自由に決めることになる。自治体のコスト削減や激しい自治体間競争でこれらの基準は引き下げられ、住民の安全や福祉などに影響を及ぼすものとなる。
「大綱」はさらに「地方政府基本法(地方自治法の抜本見直し)」や「道州制」なども取り上げている。地方政府基本法について言えば、総務省は「大綱」と同時に「地方自治法抜本改正に向けての基本的な考え方」を発表した。いくつかの選択肢を示す形をとっているが、1月の発表では都道府県や市町村の首長が議員を在職のまま副知事や副市長などに任命できるようにすると述べている。いずれにしても、地方政府基本法を制定するねらいは、首長の権力を強化し、地方議会を無力化することである。首長と議員が、住民の直接選挙で選ばられて対等の立場に立つ「二元代表制」の否定である。
道州制については、「道州制についての検討も射程に入れていく」と明記した。御手洗前日本経団連会長が「究極の構造改革」とうたった道州制の実現が、地域主権改革のねらいであることを明らかにした。
地域主権改革と成長戦略
菅内閣は6月に成長戦略を発表し、その中で「地域のことは地域に住む住民が決める、活気に満ちた地域社会をつくるための『地域主権』改革を断行する」と述べ、地域主権改革を成長戦略の中に位置づけた。
これまでの国の地域振興策が、「選択と集中」の視点に欠け、ハコモノ偏重で、地方の個性を伸ばし自立を促してこなかったから、地方都市が空洞化した。・・・これからの国の地域振興策は、NPO等の「新しい公共」との連携の下で、特区制度等の活用により、地方の「創造力」と「文化力」の芽を育てる施策に転換しなければならない。
だが、地域主権戦略のねらいは金のかからない「小さな政府」だ。振興策に国の財政は投入しない。
「財政に頼らない成長』を大原則とした上で、これまでの再配分政策であった地域振興策からの脱却を図り、成長の足かせとなってきた各種規制の緩和やルールの変更を大胆に進め、「選択と集中」の観点と「民間の知恵と資金」を積極的に活用した仕組みを導入して、埋蔵需要の掘り起こしを図る。
規制緩和とルールの変更で企業が公共サービスに参入できるようにし、民営化で自治体合理化を進めることになる。
これだけでは活性化につながらないから、自治体は企業の誘致や引き留めのために走らざるを得ない。自治体の支援・優遇策は、「選択と集中」で輸出大企業の技術高度化に「集中」する。資本力が弱く、技術高度化についていけない中小企業は滅ぶにまかせられる。少ない財源の下、支援・優遇策を競い合えば、住民福祉もサービスも、地場の中小・零細企業などへの支援策も切り捨てられることとなる。地域の雇用は厳しいものとなる。
輸出大企業が立地するのは、高速道路、港湾、既存の産業集積など、輸出環境のいい地域に限定され、選択するのは個々の企業である。そうした輸出環境のない自治体は、「特区」などを利用しても、企業を誘致できない。しかも、輸出大企業は研究、技術開発部門まで海外展開を早めている。部品その他関連産業もアジア生産に切り替えられ、逆輸入での生産システムが進んでいる。流通、小売など内需型産業ですらアジアなど海外に向かっており、地域では空洞化が進んでいる。だから、どれほど優遇したところで地域が発展する保証はない。
成長戦略はさらに言う。
国際レベルでの競争優位性を持ちうる大都市等の特定地域を対象とする「国際戦略総合特区(仮称)」を設け、わが国経済の成長エンジンとなる産業や外資系企業等の集積を促進するため、必要な規制の特例措置及び税制・財政・金融上の支援措置等を総合的に盛り込む。その際、法人税等の措置についても検討を行う。
大都市だけが優遇され、大都市への再集中が加速する。地方圏の疲弊は放置され、地域間格差はいっそう拡大する。
菅内閣は地域主権改革を成長戦略に位置づけたが、活気に満ちた地域が全国に広がる保証はない。むしろ自治体間の格差が拡大し、多くの地域で疲弊がさらに進むことが予想される。一定の効果が見られる地域でも、それで潤うのはごく一部の地域支配層あるいは中央資本である。多くの住民は行政サービスを切り下げられ、地場の中小・零細企業の営業が苦しくなることが予想される。零細商店や商店街は、中央資本のアウトレッド、小規模店舗展開戦略で駆逐される。土木・建設業者は自治体の公共事業がさらに削減され、廃業・倒産に追い込まれる。なにより労働者は働く場がない。すでにある輸出大企業でも事業所の統廃合や新たなリストラが避けがたい。農家も農外収入が減っている上に、米価の下落で農業収入も減る。地域の経済、雇用情勢はかつて経験したことがないほどに深刻となろう。
地域主権改革は大銀行や多国籍大企業の利益のための改革だ。地域の活動家、地方議員は、地方切り捨ての地域主権改革に反対し、住民大多数の利益を守るため、住民の切実な要求を基礎に、住民といっしょに闘わなければならない。