日米安保条約の破棄へ、国民的な議論を

日米安保条約の破棄へ、国民的な議論を

月刊『日本の進路』編集部

日米安保に縛られ、米軍基地問題 に決定権をもたない政府

 鳩山政権は、「自立した外交」、「緊密で対等な日米同盟関係」を唱え、普天間基地の移設は「国外、最低でも県外」と約束して登場しました。
 在日米軍基地の75%を押しつけられ、日常的に生活や安全をおびやかされて、米軍基地の縮小・撤去を求めてきた沖縄県民の期待は一挙に高まりました。普天間基地の閉鎖・返還を要求し、辺野古への移設を許さない闘いは、保革を超えて沖縄がひとつになり、巨大な闘いに発展しました。
 9万人の沖縄県民大会で、高嶺県議会議長は「沖縄は日米安保で基地を押しつけられた。安保改定から50年たったいま、日米関係はどうあるべきか、全国で解決しなければならない問題だ」、翁長那覇市長は「日本の自立なくして沖縄の自立なし」と訴えました。米軍基地の根源は日米安保だから、全国で力をあわせて従属的な日米関係を変え、日本の自立を実現しようと、闘いの方向を示したのです。訓練移転先に名指しされた徳之島の人びとは、1万5千人が参加する反対集会を開き、「沖縄の基地負担をなくすには軍縮以外にない」、「沖縄の痛みは分け合うものではなく、なくすものだ」と訴えました。米軍基地そのものをなくすことが解決の道だと、問題の本質を鋭くつきました。

 沖縄や徳之島の人びとの発言は、テレビを通じてお茶の間にも届き、多くの国民の胸に響きました。これまで米軍基地問題、日米安保に無関心だった人びとの中でも、普天間基地問題が話題となり、日米安保の是非を考える機会になりました。
 他方、沖縄県を除く46都道府県の知事の中で、米軍基地を受け入れる知事は一人もいませんでした。知事のほとんどが日米安保を容認しながら、米軍基地の受け入れは嫌だと言っているわけです。米軍基地の受け入れなくして日米安保は成り立ちません。知事たちのところでも、日米安保が崩れています。
 米国のオバマ政権はいらだちを強めながら、自公政権と合意した辺野古への移設案の実行を鳩山政権に迫りました。その姿勢は一貫して変わりませんでした。
 鳩山首相は迷走のすえに、結局、「勉強したら、抑止力が必要だとわかった」と言って約束を反故にし、沖縄県民を裏切りました。米国の要求どおりに辺野古への移設を明記した日米共同声明を政府方針として閣議決定し、最後は政権を投げ出しました。
 鳩山政権の8ヵ月で明らかになったことは、わが国は独立国でありながら、自国領土にある米軍基地の縮小や撤去について、わが国政府には何の決定権もないということです。日米安保条約にしばられて、最終的には米国政府の言いなりになるしかないという、従属的な日米関係があからさまになりました。

敗戦時の米軍占領、従属を固定化した日米安保

 日米安保条約が締結されたのは、1951年のことでした。日本は第2次世界大戦で敗戦し、米軍の軍事占領下におかれていました。すでに米ソ冷戦が始まっており、米国は日本を「反共の防波堤」、「米国の前線基地」と位置づけ、日本の基地を自由に使用するため、対日早期講和の方針を決定していました。その年の9月、サンフランシスコで、吉田首相が講和条約に調印しました。講和条約には、占領軍の撤退と共に協定に基づく外国軍隊の駐留を認め、沖縄を本土から切り離して米国の直接占領下におくことが明記されていました。日本が侵略したアジア諸国や「東側」諸国は事実上排除され、米国を中心とする「西側」諸国だけとの単独講和でした。同じ日、米軍に日本の基地を使用する権利を認める日米安保条約が調印されました。日米安保条約はその後、1960年の改定で、経済政策の一致なども盛り込まれ、日本が軍事だけでなく、外交、経済面でも米国に従属する関係が法制化されました。
 単独講和と日米安保によって、米国は講和後も日本を前線基地として自由に使用できるようになりました。日本は、形式的には独立国となりましたが、国家主権に大幅な制約を受け、自国の進路も自主的に決定できない事実上の従属国となりました。国内では単独講和に反対し、全面講和を求める声が高まりましたが、吉田首相は従属国の道を選択しました。
 このように、今日の日米関係は敗戦後の米軍による軍事占領下で始まり、戦勝国と敗戦国、占領国と被占領国という従属関係が日米安保条約の形をとって固定化されたのです。その後、米ソ冷戦時代が終わりました。さらに、唯一の超大国だった米国の力も弱まり、世界の多極化が進みました。しかし、米軍占領下で始まった従属的な日米関係は半世紀を超えて今も続き、米軍は日本に居座り続けています。日米安保条約による従属的な日米関係は、米軍基地問題にとどまらず、アジアの近隣諸国との関係でも、経済でも日本の国益を損ね、国民の暮らしに深刻な影響を及ぼしています。

日米安保破棄の国民世論と国民運 動が日本を変える

 わが国の政治指導者たちは、日米安保条約により日本が米国の事実上の従属国になっていることを知っています。ならば、それを変えるため、闘ってきたでしょうか。
 保守政界の長老だった後藤田正晴氏は、「首都東京の玄関である横須賀が、今もなお米海軍の基地になっている。あまりにも情けない」と朝日新聞に書いていました。中曽根元首相は、その著書『二十一世紀日本の戦略』の中で、「日本は米国の植民地ともいえるような状態」と自嘲しています。それにもかかわらず日米安保堅持です。「あまりにも情けない」ではありませんか。
 鳩山首相に代わって登場した菅首相も同じです。民主党幹事長だった2001年、菅氏は参院選で「日本は米国の51番目の州、小泉首相は米国の51人目の州知事になろうとしている」と、小泉首相を批判しました。しかし、首相になると「日米同盟が日本外交の基軸であることは大原則」、「辺野古への移設を明記した日米合意を踏襲する」と述べ、対米従属の政治家に君子豹変しました。G8首脳会議の機会に行われた日米首脳会談で、オバマ大統領に「日米合意の実現に向けて真剣に取り組みたい」と約束しました。米国の機嫌を損ねて政権からすべり落ちるのを恐れたのか、菅首相も「米国の51人目の州知事になろうとしている」ようです。
 従属的な日米関係を改め、真に独立した国家を実現することは、党派を超えた国民全体の要求です。そのためには、日米安保条約や関連諸協定を破棄し、在日米軍基地を一掃し、対等平等な日米関係を打ち立てなければなりません。それができるのは、日米安保条約の破棄を求める広範な国民世論と、それに支えられた国民運動だけです。沖縄では、そうした県民世論と県民運動が発展してきました。5月末に行われた県民世論調査によると、日米安保条約について「維持すべきだ」とした人はわずか7%に激減し、「破棄すべきだ」あるいは「平和友好条約に改めるべきだ」とした人があわせて68%を超えました。
 沖縄のように、日米安保条約破棄へ国民世論を盛り上げていく必要があります。辺野古への移設を明記した日米合意の撤回を求める沖縄県民を支持し、連帯して闘いましょう。同時に、日米安保条約が本当に必要なのか、国民の中で大いに議論しましょう。従属的な日米関係が、アジアの平和、日本の外交、政治、経済、労働者の暮らし、農家の暮らし、中小零細業者や商店の暮らしにどんな影響を及ぼしてきたのか。アジアの視野からも、足もとの国民の暮らしからも、日米安保条約について大いに議論しましょう。

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