熱気に包まれた島民集会
―米軍基地移転に反対する徳之島―
鹿児島県護憲平和フォーラム・元鹿児島大学教員 荒川 譲
2010年3月7日夕刻、人びとは続々と徳之島町文化会館に集まってくる。今夕は住民団体「徳之島の自然と平和を守る会」が主催する「普天間基地徳之島移設反対集会」の開催である。600席ある会場の椅子はほぼ埋まっている。男女の参加者の中で高齢の女性も目につく。島内の大久幸助・天城町長、大久保明・伊仙町長、高岡秀規・徳之島町長の3氏も前方の列に並んで座を占めている。定刻の18時50分、椛山幸栄会長の主催者挨拶で集会の幕が切って落とされた。続いて筆者・荒川が「長寿・子宝の島に基地はいらない」、山田義勝氏(沖縄民医連)が「米軍基地被害の状況」、前泊博盛氏(琉球新報社)が「基地依存経済という神話」と題して順次講演した。それを受け質疑及び意見表明では会場から10指に近い人びとが発言した。最後に島内の3人の町長が揃って登壇し、それぞれに米軍普天間基地移転に反対する決意を表明し、会場の全員で「がんばろう」を三唱して集会を閉じた。実に時刻は21時半を回っていた。参加者の総数といい、男女さまざまな年齢層の人びとの参加といい、住民と行政が一体となったことなど、まさに町あるいは島をあげての熱気に包まれた米軍基地移設反対の意思表示であった。
徳之島が普天間移設の候補地とされているのが表面化したのは今年1月下旬であった。2009年秋に民主党の衆議院議員(静岡選出)が徳之島出身者からの希望があるとして3回にわたって来島し、3町長に官房長官と会談することを勧めたのに対し、3町長は米軍基地移設に反対であるとしてみの申し出を拒否したとのことである。そこで3町の住民が「徳之島の自然と平和を考える会」を立ち上げ、米軍基地移設反対運動が発足した。会は島内3町の町長、議会議長、徳之島教育長に米軍移設反対の要望書を提出し、会の意見書を新聞折り込みとして住民に届けたりした。3月7日の集会は最初の大規模な集会であった。
その後、「奄美の自然を守る会」が奄美市で反対を表明、大島郡(奄美諸島)内12市町村の議会すべてが反対を決議するなど、反対運動は奄美全域に拡がった。戦後8年間日本から切り離され、米軍に統治された苦難の記憶の故であろう。さらに鹿児島県議会が米軍移設反対を決議し、伊藤県知事も「現状では受け入れる環境にない」として反対を表明、3月25日に知事、県議会議長、3町長が上京して平野官房長官に反対の意見書を手渡した。
私たちは基地の島沖縄の人びとの痛みを十二分に認識し、それを長年放置してきたことを恥じる。さりとてその痛みを肩代わりすることで問題解決とはなるまい、痛みに苦しむ人びとを新たに生み出すだけだから。米軍海兵隊は日本の安全保障にとって必要不可欠なのか。米軍事戦略の都合だけではないか。いま重要なのは軍縮による東アジアの緊張緩和ではないか。沖縄の負担を軽減するとしながら普天間の代替移設を辺野古に新設するとしたSACOの結論が旧自公政権の誤りであった。現政権はその誤りを正すべきだ。「米軍再編」に盛り込まれた海兵隊8000人のグアム移転を普天間基地閉鎖と結びつけて在日米海兵隊を削減するのが東アジアの段階的軍縮の最大の好機ではないか。沖縄はもちろん、徳之島にも馬毛島にも、九州にも日本のどこにも米軍基地の新設を絶対に許してはならない。
私が属する組織が加盟している「鹿児島に米軍はいらない県民の会」は従来、海自鹿屋基地への米海兵隊空中給油機の訓練移設反対、馬毛島(西之表市)への空母艦載機離発着訓練施設設置反対の運動を現地運動体と協力して行ってきた。いま新たに徳之島への米海兵隊施設設置・訓練移設問題が課題として加わった。私たちの任務はこれからの反対運動を支援し、鹿児島県民全体の課題とすることだと認識し、運動を強化し
たい。
追記。この原稿を書き終えた3月28日に徳之島では3町長、JA、観光や自然保護団体で構成する「米軍基地及び訓練場徳之島異説反対郡民大会実行委員会」主催の反対集会で天城町営グランドで開催され、4200人が結集した。同時に徳之島での集会に直接参加できない奄美大島の人びとのために、奄美市で反対運動に連帯する緊急市民集会が「奄美の自然と平和を守る会」と「奄美憲法9条の会ネットワーク」の主催で開催された。