岩国
愛宕山に米軍住宅は絶対にいらない
岩国市民5万人、合計10万を超える署名
愛宕山を守る市民連絡協議会代表世話人岡村 寛さん
米軍再編と米軍住宅建設
米軍岩国基地の沖合移設工事は、基本的には完了しています。滑走路を沖合に1キロ移設するために国民の税金が2400億円もかけられました。沖合移設工事は、騒音軽減と安全対策という岩国市民の声に応える形で進められました。沖合移設工事のための土砂をどこから持ってくるか、愛宕山を削ってその土砂を埋立てに使うことになりました。
愛宕山は鎮守の森、氏神様として地域の信仰がある由緒ある愛宕神社があります。愛宕神社の例大祭は毎年花見の時期に当たり、私が子どもの頃は学校が休みになるほどのにぎやかな祭りが行われてきました。標高120メートルあった愛宕山は土砂が削られ、標高60メートルの高さで102ヘクタールの更地にされました。
土砂を搬出した愛宕山は、県が主導して21世紀型の住宅、学校やスポーツ施設など総合的な宅地開発を進める計画でした。県の住宅公社が事業主体となり、851億円の費用は県が2、岩国市が1の割合で負担する。山口県の東部地区の発展のためにという名目で地主の人たちから買い上げました。
愛宕山からの土砂搬出が終了したのは2007年3月ですが、2006年に米軍再編の話が持ち上がりました。現在の米軍機60機体制に加えて、さらに厚木基地の「空母艦載機部隊」(59機)を移駐するというとんでもない話です。2007年1月末、県は愛宕山開発がうまくいかないので開発地の転用を国に打診、国は「米兵住宅の有力な候補地」と回答。「住民の騒音軽減や安全確保」という目的で進められてきた基地の沖合移設工事はなんだったのか。井原市長や市民の強い反対の声を上げました。
われわれとして、米軍再編で岩国に59機の空母艦載機部隊が来るとか、愛宕山が米軍住宅の予定地という話は絶対に認められません。県や市、防衛省の岩国事務所に、地元自治会としては「反対」の要請文を提出して意思表明を行ってきました。県が愛宕山開発中止を正式表明する直前の2007年2月5日に私が住んでいます牛野谷地区自治連合協議会(1300世帯)の総意として、「米軍住宅転用反対」の要望書を提出しました。また牛野谷地区を含む愛宕山自治会連合会(1万3千人)でも2007年3月2日に、「米軍住宅転用反対」の要望書を、市議会、県、国(防衛省)に提出しました。
4月に入って県が岩国市に対して「愛宕山開発」の中止を提案しました。「社会情勢が変化した」「住宅需要の減少や価格の下落」が開発計画中止の理由です。県が当時、岩国市長をされていた井原さんの意向を無視して開発中止を決めた。最終的には2007年6月に県と岩国市で開発中止が合意しました。
県の方針は「沖合移設という国家プロジェクトに協力した。このままでは愛宕山開発に投資した260億円が赤字として残る、赤字解消を図るには国に買ってもらうしかない」というものです。そして「土地の使用を地元の意向を見ながら決めてほしい」という要望を国に出しています。県の住宅供給公社は、地主から土地を買って、山を削って土砂を搬出しただけで何もやっていない。
愛宕山の開発事業を着手する以前から開発地を、米軍住宅にするという話が国と県の間でできていたのではないかと指摘されています。こうして、米軍住宅転用の流れが作られました。
また、2008年2月には「公有水面埋立承認取り消し訴訟」を提訴しています。「公有水面の埋立は、基地の沖合移設が安全・安心対策として行われたはずなのに、厚木の米空母艦載機部隊の移駐という米軍再編の受け皿になっている」のは目的が違うという行政訴訟です。この裁判は現在も訴訟中です。
市民の3人に1人が署名
このままでは、国の思惑通り米軍住宅転用の流れが進んでしまうという危機感を持ちました。そういう思いをもった人たちが、2008年7月9日に「愛宕山を守る会」を発足し、私が世話人代表となりました。その運動をサポートするものとして7月14日に「愛宕山を守る市民連絡協議会」が発足しました。これは地元の平和運動などをされている8団体で構成されています。岩国市の中心地に米軍の管理する地域ができることは絶対に許されないという強い思いがありました。
「愛宕山米軍住宅反対」の一点で一致して行動していこうと確認し、活動してきました。「守る会」としては都市計画変更(愛宕山開発中止)の公聴会や縦覧のたびに、我々の要望書を市議会議員に送ったりしました。また米軍住宅反対の意見書約1600を山口県に提出しました。そういう過程の中で、岩国市長と山口県知事に対して抗議する団体行動を行い、防衛省に対する要請文を出しました。米軍住宅反対のステッカーを5000枚作って、市民に一枚100円で買ってもらいました。その資金で「愛宕山に米軍住宅はいりません!」というのぼり旗を500本作って立てました。
そういう運動の中で、昨年12月中旬から「米軍住宅反対」の署名活動を開始しました。5万人の署名を目標にしました。そして今回、3月23日で締め切りました。集まった署名は、全体で約10万3千筆、うち岩国市民の署名は5万747筆で、当初目標を突破しました。3月25日にそれをもって、岩国市と山口県に報告と要望に行きました。市長も知事も公務という理由で会ってくれませんでした。岩国市の人口は約15万人、つまり3分の1の市民が米軍住宅反対の署名をしてくれたのに、市と県の対応は疑問です。
こうした市民の動きに対して、市民のかく乱をねらった動きもあります。米軍再編・米軍住宅容認派の県議や市議などかかわった「岩国の明るい未来を創る会」の動きです。この団体は現在の福田・岩国市長を担ぎ出し、市長選のときは井原さんに対して「岩国が夕張市のようになる」などとひどい中傷ビラを大量にまいた団体です。彼らは「赤字解消」「国による土地買取」「土地利用は米軍と市民が共用できる施設をつくってほしい」という署名活動を行っています。この署名は、私たちの署名とはまったく違う内容ですが、紛らわしものです。「米軍住宅反対」という世論の高まりをかく乱しようというものです。
署名とは別ですが、騒音問題で岩国基地としては始めての提訴されます。地元住民476人が原告団となり、米軍機の騒音被害の賠償、夜間の飛行禁止、将来の米空母艦載機の移転差し止めなどを求めた訴訟です。
今後ですが、4月7日には上京し、集まった署名を防衛省に提出し、「米軍住宅転用反対」を要望します。そして4月12日には「愛宕山に米軍住宅や米軍施設はいらない!」という5000人規模の大集会を予定しています。4月12日は愛宕神社の春の例大祭の後、午後3時から愛宕山神社前公園で開催します。2007年12月1日の市民大集会は錦帯橋近くの河川敷で開き1万人が集まりました。
この運動は、政治主張や思想信条に関係なく、「愛宕山に米軍住宅を絶対に作らせない」という強い地元民の思いが結実したものです。そのことでマスコミの方々が非常に注目し、取材していただいています。米軍住宅はいらないという市民の強い思いが、市民の3分の1である5万人の署名となって表れたんだと思います。したがって、空母艦載機部隊の岩国移駐による基地機能強化に反対だ、という市民の思いは、2007年12月の1万人集会当時と同じだと思っています。
米軍住宅反対の署名にご協力いただいた全国の皆さんにお礼を申し上げるとともに、今後もご支援、ご協力をお願いします。