米国発の金融危機は 世界的な大不況の始まり
今こそ、対米従属政治にピリオドを
『日本の進路』編集部
サブプライムローンの焦げつきに端を発したアメリカの金融危機は、ヨーロッパを巻きこんで世界に波及し、底なしの金融危機に発展した。巨大金融機関が次々に破たんした。世界同時株安が頻発し、世界中で株価が大暴落した。企業倒産が急増した。労働者は賃金を減らされ、さらに首を切られて職場から追い出された。1930年代の世界恐慌以来の、あるいはそれを上まわるかもしれない世界的な大不況の始まりである。
アメリカの威信、ドルへの信認は失われた。アメリカの国内通貨であるドルを基軸通貨として、アメリカが特権を享受する「ドルの世界」は末期に入った。
世界経済が直面しているこの事態を理解するためには、目前に起こっている現象だけでなく、時間の軸をさかのぼって歴史的な変化の中で見なければならない。
ぼうだいな経常収支赤字
戦後の世界経済はブレトン・ウッズ体制で始まった。実際には、アメリカが圧倒的な経済力によって、イギリスから基軸通貨国の地位を奪い取ったのである。ブレトン・ウッズ体制の柱は、第1に、金1オンスを35ドルに固定して、要求があればアメリカがいつでもドル札を金と交換する金ドル本位制、第2に、ドルに対して各国通貨の交換レートを固定した対ドル固定相場制であった。円は1ドルあたり360円と定められた。こうして、ドルはいつでも決まった量の金、決まった額の自国通貨に変えることができるようになり、世界の通貨、基軸通貨として世界で流通した。
この時期がアメリカの絶頂期であった。言いかえれば衰退の始まりでもあった。敗戦から立ち上がった日本やドイツがしだいに競争力を強め、アメリカからドルが流出した。ベトナム戦争がそれを加速し、戦争初期に赤字だった日本の対米貿易収支は、後期には大幅な黒字に転換した。アメリカは流出したドルと金との交換を求められ、アメリカの金庫に残る金は減り続けた。
かくして、アメリカは1971年、一方的に金ドル交換の停止を宣言し、対ドル固定相場制も変動相場制に移行して、ブレトン・ウッズ体制は崩壊した。それにもかかわらず、ドルは国際貿易の決済に使われ、基軸通貨として世界で流通した。ドルに代わる国際通貨がなかったからである。
変動相場制によって、円高ドル安が進んだ。だが、アメリカの経常収支赤字(おおむね貿易赤字に等しい)は拡大し、85年には最大の債務国に転落した。アメリカは輸出競争力の復活をもくろみ、プラザ合意で円高ドル安の協調介入を日本に受け入れさせた。1年後には1ドルが235円から120円へ半減した。89年の日米通商交渉で、包括貿易法「スーパー301条」を発動して、日本に衛星、スーパーコンピューター、農産物の市場を開放するよう迫った。さらに90年の日米構造協議で、日本に10年間で430兆円(後に630兆円に拡大)の公共投資の実施、米国企業の参入を約束させた。これが、国と地方をあわせて800兆円を超えた借金の原因である。
図1は、アメリカの経常収支の変化を示したグラフである。98年から数年間は経常赤字が縮小し、91年に、わずかだか29億ドルの黒字となった。しかし、黒字になったのはこの年だけで、翌年から再び赤字にもどった。97年以降は急速な勢いで赤字が拡大し、2006年には7900億ドル(約79兆円)にふくれあがった。97~07年の赤字を単純に合計しただけで5兆3000億ドル(530兆円)、途方もない赤字である。
普通の国ならば、このように経常収支赤字を拡大し続けていくことはできない。外貨は底をつき、対外支払いはできず、とっくに破産である。だが、アメリカはこれほど巨額の赤字を拡大し続けながら、繁栄を謳歌してきた。それができた要因の一つは、アメリカの国内通貨であるドルが、貿易の決済に使われ、世界で流通する基軸通貨だからだ。アメリカは外貨を準備しておく必要がない。いざとなれば、ドル札を印刷すればよい。さらに重要な要因は、海外から経常収支赤字を埋めてあまりある巨額の資金が還流してきたからである。
図2は、アメリカに流入した海外資金の変化をあらわしたものである。たとえば2006年を見てみよう。この年の経常収支赤字は8000億ドル弱である。それに対して、海外資金の流入は2兆ドルを超えている。対外支払いをすませても、1兆2000億ドル以上の資金が手元に残る。カネの心配なんかいらない。豪勢にやろう、ということになる。なぜ、これほど巨額の資金がアメリカに流入したのか、こんなことがいつまでも続けられるだろうか。そんな疑問が残る。
この疑問はひとまず横におき、少し視点を変え、アメリカの産業構造を見てみよう。
凋落したアメリカの製造業
次ページの図3は、アメリカの主要産業がGDP(国内総生産)に占める割合の変化を示したものである。一目でわかることは、製造業のすさまじい凋落である。製造業は1953年にGDPの28・3%を占めていたが、この時期をピークに下降線をたどり、2006年には11・7%に落ち込んだ。アメリカを世界最大の経済大国に押し上げたのは製造業だが、今や見る影もない。アメリカが世界に誇っていた自動車産業について言えば、2006年の構成比はわずか0・7%にすぎない。ビッグスリーのGMも破たん寸前である。
競争力が衰えて凋落する製造業に代わり、GDPで大きな比重を占めるにいたったのは金融・不動産業である。1953年に10・4%だった金融・不動産業は、1986年に製造業を追い越し、2006年には20・9%に拡大して、アメリカ最大の産業となった。専門的サービス(法律、コンピュータ・システムの設計、企業経営・管理など)も2006年に製造業を上回るにいたった。弁護士、会計士、経営コンサルタントなどの専門的サービスは金融・不動産業と深く結びついた産業である。
最大の産業となった金融業の中核は投資銀行だった。投資銀行は、個人などから預かった預金を元手に企業に融資を行う普通の銀行(商業銀行)と異なり、個人預金を扱わない。
商業銀行は監督当局の監視や規制を受け、財務内容を開示しなければならないが、資金繰りが困難になれば当局から救済資金を受け、破たんすれば預金者は保護される。他方、投資銀行は破たんしても当局から救済されないが、当局の監視や規制を受けることなく自由に活動できる「私」型金融機関、「陰の銀行」である(『日本の進路』8月号の本山論文参照)。投資銀行は当局の規制を受けず、金融工学を駆使してデリバティブや各種の複雑な証券などの金融商品を開発し、わずかの資金でその何十倍もの資金を動かすレバリッジ(てこ)の手法で荒稼ぎし、またたくまに金融界を席巻した。
ビル・クリントン大統領は1995年、製造業に代わる基幹産業として金融・不動産業を発展させるため、大手投資銀行ゴールドマン・サックスの会長をしていたロバート・ルービンを財務長官に抜てきした。ルービンがとった「強いドル政策」のねらいは、経常収支赤字で流出したドルをアメリカに還流させることである。アメリカが先行する金融工学を駆使した金融商品、IT技術を駆使したグローバリゼーション、内外の金利差維持。こうした政策により、ハイリターンを求めるマネーがアメリカに還流した。還流したドルは経常収支赤字を穴埋めし、さらに新興国などに投資されて、アメリカに高い収益をもたらした。実力以上の消費、過剰消費で繁栄を謳歌し、金融はますます肥大化した。
だが、金融が富を生み出すわけではない。株価が上がったからと言って、新たに富が生み出されたわけではない。富を生み出すのは人間の労働だけである。自分たちが作り出した以上の富を勝手に消費することは許されない。それを超える消費、実力以上の過剰消費は、他人がつくったものを盗んだか、後でごそっと請求書が来て返さなければならなくなるか、その両方か、いずれにしても最後は代償を迫られる。
ドルの世界はもう終わりだ
いま、世界を震撼させている底なしの金融危機、株価の大暴落、世界的な大不況の始まりを引き起こしたのは、サブプライムローンを証券化した金融商品である。それをあみだし、世界中にばらまき、ぼろもうけしようとしたのは、アメリカが製造業に代わる基幹産業として発展させようとした金融・不動産業、その中核をなす投資銀行であった。つまり、「ドルの世界」を守ろうとして打ち出した起死回生の策そのものが、ドルの世界を終えんに追い込んだのである。ブッシュ政権の財務長官ヘンリー・ポールソンも、ルービンと同じく、投資銀行ゴールドマン・サックスの会長をしていた男である。そして、金融・不動産業、その中核をなす投資銀行を守ろうとするポールソンの政策そのものが、投資銀行を追いつめた。
投資銀行のリーマン・ブラザーズは倒産した。ベアー・スターンズは商業銀行JPモルガン・チェースに、メリルリンチは商業銀行バンク・オブ・アメリカに身売り合併された。残ったモルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスは、アメリカの中央銀行、FRBに懇願して、「私」型金融機関、「陰の銀行」をやめ、当局の監視、規制のもとにおかれる銀行持ち株会社になった。ウォール街で隆盛を誇った5大投資銀行は、ことごとく消滅した。
金融機関を救済するための大量の資金供給は、金融機関を投機に走らせ、原油などの原材料、飼料・穀物の価格を暴騰させた。それが世界中の貧しい人々を苦しめ、インフレが実体経済を痛めつけ、金融危機を加速した。
7000億ドルで金融機関の不良債権を買い取る金融安定化法案が、アメリカの民衆を激怒させた。「なぜ、暴利をむさぼってきたウォール街の大金持ちのために、われわれの税金を使わなければならないのか」。選挙を目前にした下院議員はびびって法案を否決した。その後、やっと法案が成立したが、逆に金融機関の破たんがヨーロッパに広がり、世界中で株価が大暴落した。ドルとアメリカの威信は地に落ちた。
ポールソンが何をやっても、うまくはいかない。この事態の根本的な原因は、競争力が低下し、基軸通貨国にふさわしい経済力を失ったアメリカが、あくまでその地位にしがみつき、膨大な経常収支赤字を積み上げ、自分の稼ぎを上まわる過剰消費をつづけてきたことにある。何も富を生産しない金融をいじくりまわして、アメリカの富が増えたかのように錯覚したのが大間違いだった。「ドルの世界」はすでに現実の経済力からかけ離れている。アメリカはまじめに働いて経常収支の赤字を減らして黒字に変え、ふくれあがった借金を返し、身の丈にあった生活に戻るしかない。道理に合わぬ悪あがきは傷を大きくするだけである。バネが元にもどるように、今、有無を言わさぬ暴力的な修正が始まっているのである。
図2の「米国への海外流入資金」の最後の年は「08推定」となっているが、この部分は、2008年1~6月の数値を2倍にした推定値である。さらに立ち入ってみると、4~6月は民間部門の資金流入がマイナス、つまり流入ではなく1180億ドルの流出になっており、逆に公的部門すなわちどこかの国の政府がアメリカの国債を大量に買っている。実際の流入額は、民間部門で流出が激しくなり、推定値よりも少なくなるだろう。否応なしに、経常収支赤字は縮小される。
みんなが力をあわせよう
ブレトン・ウッズ体制の崩壊から37年たった。この間に蓄積されたひずみを是正する過程は、アメリカだけでなく、世界をまきこむ大不況で多くの国に激しい苦痛と困難をもたらすだろう。
この期に及んでも、対米従属にしがみつく日本が受ける苦痛と困難は、特に激しいものになるに違いない。金持ちはそれでもやっていけようが、われわれ庶民はたまらない。我慢せず、大きな声をあげなければいけない。否、痛みが来る前に、アメリカに尻尾をふり多国籍大企業の利益ばかりはかる政治を変えなければいけない。そのためには、労働者も農民も商店主も中小企業家も、若い人も年とった人も、みんな手をつなぐことが大切だ。そういう世論をみんなでつくろう。そういうことをやらなければいけないし、できる時代が始まったのだ。
今こそ、対米従属の政治にピリオドを打とう。