日本の食料危機と安全な食料の自給  鈴木 宣弘

日本は独立国家たりえているか

東京大学大学院教授 鈴木 宣弘

ウクライナ危機で激化する食料争奪戦

 ただでさえ食料価格の高騰と日本の国際社会での「買い負け」懸念が高まってきていた矢先に、ウクライナ危機が勃発し、小麦をはじめとする穀物、原油、化学肥料原料などの価格高騰が増幅され、食料やその生産資材調達への不安は深刻の度合いを強めている。シカゴの小麦先物相場は本年3月8日、ついに2008年の「世界食料危機」時の最高値を一度超えてしまった。


 ロシアとウクライナで世界の小麦輸出の3割を占める。ウクライナは4月の播種ができなかった。日本は米国、カナダ、オーストラリアから買っているが、代替国に需要が集中して食料争奪戦は激化する。
 また、わが国は化学肥料原料のリン、カリウムが100%輸入依存で、その調達も中国の輸出抑制で困難になりつつあった矢先に、中国と並ぶ大生産国のロシアなどで紛争が起こり、今後の調達の見通しがますます暗くなっている。リン鉱石の生産は1位中国、4位ロシア、カリウムは2位ベラルーシ、3位ロシア、4位中国である。
 最近顕著になってきたのは、中国など新興国の食料需要の想定以上の伸びである。コロナ禍からの中国経済回復による需要増だけではとても説明できない。例えば、中国はすでに大豆を約1億トン輸入しているが、日本が大豆消費量の94%を輸入しているとはいえ、中国の「端数」の300万トンだ。
 中国がもう少し買うと言えば、輸出国は日本に大豆を売ってくれなくなるかもしれない。今や、中国などのほうが高い価格で大量に買う力があり、日本の「買い負け」(1億vs300万では、そもそも勝負になってないが)、コンテナ船も相対的に取扱量の少ない日本経由を敬遠しつつあり、日本に運んでもらうための海上運賃が高騰している。
 一方、「異常」気象が「通常」気象になり、世界的に供給が不安定さを増しており、需給逼迫要因が高まって価格が上がりやすくなっている。原油高がその代替品となる穀物のバイオ燃料需要(トウモロコシのエタノール、大豆のディーゼル)も押し上げ、暴騰を増幅する。
 国際紛争など不測の事態は、一気に事態を悪化させるが、ウクライナ危機で今まさにそれが起こってしまった。

食料危機が迫るのに「食料自給率」が欠落

 総理の施政方針演説では「経済安全保障」が語られた。だがそこには、「食料安全保障」「食料自給率」についての言及はなく、農業政策の目玉は、輸出振興とデジタル化のように言及された。これだけ食料や生産資材の高騰と中国などに対する「買い負け」が顕著になってきて、国民の食料確保や国内農業生産の継続に不安が高まっている今、前面に出てくるのが輸出振興とデジタル化というのは、政府の危機認識力が欠如していると言わざるを得ない。
 輸出振興を否定するわけではないが、食料自給率が世界的にも極めて低い37%という日本にとって、食料危機が迫っているときに、まずやるべきは輸出振興でなく、国内生産確保に全力を挙げることであろう。
 しかも、農産物輸出が1兆円に達したというのは「粉飾」で、輸入原料を使った加工食品が多く、本当に国産の農産物といえる輸出は1000億円もない。デジタル化も否定するわけではないが、デジタル化で全てが解決するかのような夢物語で気勢を上げることにどれだけの意味があるのだろうか。
 はたして、食料自給率が37・17%(カロリーベース、2021年度)と、1965年の統計開始以降の最低を更新した日本は独立国と言えるのか、今こそ問われている。不測の事態に国民を守れない国は独立国とは言えない。

輸入前提の「経済安全保障」はすでに破綻

 お金を出しても買えない事態が現実化している中、お金で買えることを前提にした「経済安全保障」を議論している場合ではない。
 与党や農林水産省にも食料安全保障の検討会が立ち上げられた。しかし、当面の飼料や肥料原料を何とか調達するためにどうするかの議論が先に立っている。それはわかるが、根本的な議論が抜けている。
 今突き付けられた現実は、食料、種、肥料、飼料などを海外に過度に依存していては国民の命を守れないということである。それなのに、貿易自由化を進めて調達先を増やすのが「経済安全保障」かのような議論がまだ行われている。
 根幹となる長期的・総合的視点が欠落している。国内の食料生産を維持するために自給率を高めるのは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、飢餓を招きかねない不測の事態の計り知れないコストを考慮すれば、長期的・総合的コストははるかに低く経済合理的なのである。それこそが安全保障である。
 そして、狭い視野の経済効率だけで市場競争に任せることは、人の命や健康にかかわる安全性のためのコストが切り詰められてしまうという重大な危険をもたらす。特に、日本のように、食料自給率がすでに37%まで低下して、食料の量的確保についての安全保障が崩れてしまうと、安全性に不安があっても輸入に頼らざるを得なくなる。つまり、量の安全保障と同時に質の安全保障も崩される事態を招いてしまうのである。

どうして今、コメも酪農も減産要請なのか

 有事突入で国産振興策こそが急がれるはずの今、それをしないばかりか、逆に政府は在庫が増えたからと言ってコメや生乳を減産要請している。そんなことをして農家の意欲を削いでいる場合か。
 コロナショックでの在庫増は余っているのでなく、食べたくても買えない人が増えた側面が強く、実は足りていないのだ。世界の飢餓人口も7億人に上る中、抜本的増産支援と国内外への人道支援も含めた需要復元・創出で消費者も農家も共に助ける出口対策に財政出動しないと食料危機は回避できない。
 驚くべきことに、国産振興こそが不可欠なことは誰の目にも明らかな今、政府は、コメを作るなと言うだけでなく、その代わりに麦、大豆、野菜、そば、エサ米、牧草などを作る支援として支出していた交付金をカットすると決めた。
 このままでは農業をあきらめる人が続出し、耕作放棄地がさらに拡大し、食料自給率は急降下し、食料危機に耐えられなくなることは火を見るよりも明らかである。この期に及んで目先の歳出削減しか見えない亡国の財政政策が最大の国難とも言える。

経済制裁強化で日本自身が経済封鎖されるリスク

 もう一つは、ウクライナ紛争で、経済制裁強化の議論があるが、それが自国に対する実質的「経済封鎖」につながり、食料も、資源も、エネルギーも自給率が極端に低いわが国国民を窮地に追い込む危険も考慮する必要がある。ウクライナ紛争は、食料、その生産資材、エネルギーを極度に海外依存している危うさを改めて浮き彫りにしている。しかし、現実には、その危機認識があるのかが問われる。
 食料自給率、エネルギー自給率の向上のための抜本的な議論が必要なのに、それが行われていない問題とともに、それが一夜ではできない中で、経済制裁の強化の議論が行われている危険性である。
 食料も、資源も、エネルギーも自給率が極端に低い中で、それを大きく依存している国々に経済制裁を強化したら、日本に食料や資源が入ってこなくなる。食料・資源・エネルギー自給率が相当に高い欧米諸国に追随した場合、それらの国と違って、日本は自身が経済封鎖されてしまうリスクが高い。日本自身がABCD包囲網で窮地に追い込まれたような事態を自らつくりだしてしまいかねない。
 ロシアと中国やアジア諸国などが結束しつつあり、欧米と対峙している。どちらのブロックも食料、資源、エネルギーを自前で確保できる。その対策を怠って、金で買えることを前提にした失策を続けてきたツケが今の日本の惨状である。米国に追随して西側陣営にいるつもりでも、経済制裁強化に単に同調し続けていたら、真っ先に国民の命のリスクにさらされるのは日本である。
 さらに、仮にも、紛争が拡大してしまうようなことにでもなれば、日本が戦場になる危険も考えなくてはならない。米国と日本の関係についても冷静に見ておく必要がある。以前、米国のCNNニュースでは北朝鮮の核ミサイルが米国西海岸のシアトルやサンフランシスコに届く水準になってきたことを報道し、だから韓国や日本に犠牲が出ても、今の段階で北朝鮮を叩くべきという議論が出ていた。
 つまり、米国は日本を守るために米軍基地を日本に置いているのではなく、米国本土を守るために置いているとさえ言えるかもしれない。米国が守ってくれるから追随するしかないという思考停止的な従属のリスクをしっかりと認識しなくてはならない。
 そうしたことも全て視野に入れて、日本が独立国として、自身の力で国と国民を守るための国家戦略・外交戦略を大局的・総合的に見極めて、対策を急ぐ必要がある。

農家の踏ん張りこそが希望の光

 今こそ、国内農家の踏ん張りに期待がかかる。食料危機が現実になりつつある中、農の価値がさらに高まっている。特に輸入に依存せず国内資源で安全・高品質な食料供給ができる循環農業を目指す方向性は子供たちの未来を守る最大の希望である。
 世界一過保護と誤解され、本当は世界一保護なしで踏ん張ってきたのが日本の農家だ。その頑張りで、今でも世界10位の農業生産額を達成している日本の農家はまさに「精鋭」である。誇りと自信を持ち、これからも家族と国民を守る決意を新たにしよう。
 お金を出しても買えない事態が現実化している中で、お金で買えることを前提にした経済安全保障は破綻している。日本にまともに食料が入ってこなくなる可能性が高まっているときに、かつ、コロナ禍や、それ以前からの格差増大で食べたくても食べられない人が増えている中では、増産して人道支援し、学校給食にも使用し、迫り来る食料危機にも備えることこそが安全保障だ。
 しかし、現場はさらに苦しんでいる。肥料、飼料、燃料などの生産資材コストは急騰しているのに、国産の農産物価格は低いままで、農家は悲鳴を上げている。こんなに輸入小麦が高騰して入ってきにくくなっているのに、国産小麦は在庫の山だという。
 今こそ、「食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うこと」だと肝に銘じて、食料安全保障確立のために農水・防衛・文科予算を総動員した国家戦略として、国内資源を最大限に活用した循環的な農業生産とその出口対策を一気に加速しなくてはならない。コメや生乳や砂糖の減産要請をしている場合ではない。諸外国では当たり前なのに日本にはない、農家の損失補塡、政府買い上げによる人道支援、まず子供たちを守る学校給食の公共調達などを総合パッケージで実現したい。
 農林水産業は、国民の命、環境・資源、地域、国土・国境を守る安全保障の柱、国民国家存立の要、「農は国の本なり」である。政府だけでなく、加工・流通・小売業界も消費者も、国産への想いを行動に移してほしい。全国民が農家とともに生産に参画し、食べて、未来につなげよう。
 今こそ、みんなで支え合わなくては、「有事」は乗り切れない。

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