国防の要は食料・農業だ
「日本型直接支払い」の実現に向けて
東京大学特任教授・名誉教授/食料安全保障推進財団理事長 鈴木 宣弘
はじめに
日本の食料自給率は種や肥料の自給率の低さも考慮すると38%どころか最悪10%を切るとの試算もある。海外からの物流が停止したら世界で最も餓死者が出るのが日本との試算もある。
国際情勢は、お金を出せばいつでも食料が輸入できる時代の終わりを告げている。片や、日本の農家の平均年齢は68・7歳。あと10年で日本の農業・農村の多くが崩壊しかねない深刻な事態に直面している。しかも農家は生産コスト高による赤字に苦しみ、廃業が加速している。これでは不測の事態に子どもたちの命は守れない。私たちに残された時間は多くない。
長年、「日本農業過保護論」がメディアなどで刷り込まれてきたが、実態は、日本の農家に支払われている直接支払額は所得の30%程度で、フランスやスイスのように、所得のほぼ100%が直接支払いで成り立っている欧米の現状とはかけ離れた低さである。
今こそ、長年削減され続けてきた農業予算を拡充して、「日本型直接支払い」の確立が急がれる。ここで「日本型」と称したのは、欧州のような「固定支払い」と米国のような「変動支払い=不足払い」を組み合わせることをイメージした。「固定支払い」では生産コストの上昇や価格低下による所得減に対応できないので、その部分を「不足払い」で補完するのである。
農業政策を放棄した
新基本法
しかし、昨年25年ぶりに改定された「食料・農業・農村基本法」の議論における政府側の説明は、これ以上の直接支払いの拡充は必要ないというものだった。
では農業の疲弊が加速しているのをどう説明するのか。政策が不十分だから農業危機に陥っているのは明白ではないか。そもそも自給率向上のための抜本的な施策強化は必要ないとの認識なのだからあきれるしかない。輸出振興、スマート農業、海外農業投資、農外資本比率を増やすことなどだけで現場農家の疲弊を救うことにつながるわけがない。
農家がつぶれていくから一部の企業などに任せていくしかないような議論は、前提が根本的に間違っている。今の趨勢を放置したらという仮定に基づく推定値であり、農家が元気に生産を継続できる政策を強化して趨勢を変えれば、流れは変わる。それこそが政策の役割ではないか。それを放棄した暴論である。
いや、一つ考えてある目玉は「食料供給困難事態対策法」だという。「コメや牛乳などが2割以上減産したら増産命令を出す」とは何ごとか。命令に従って供出計画を出さない農家には罰金を課す。支援はしないが罰金で脅して作らせればいいと。こんなことできるわけもないし、やっていいわけもない。
生産基盤の破壊を食い止めるためには、今頑張っている人への支援を強化して食料自給率を上げればいいだけの話ではないか。しかも、サツマイモが象徴的に取り上げられて世論の批判を浴びたから、農水省は増産要請品目リストからサツマイモを消した。サツマイモを消しても「悪法」の本質が変わるわけではないのに、なんと姑息でお粗末な発想だろうか。
もう一つ、コスト上昇を流通段階でスライドして上乗せしていく制度の導入が目玉とされたが、参考にしたフランスでも実効性には疑問も呈されている。小売主導の強い日本ではなおさらで、すぐに無理なことがわかり、どうお茶を濁すかの模索が始まった。こんな実効性のないことのために予算を付けるのは、ごまかしだけのための無駄金だ。
消費者負担にも限界があるから、生産者に必要な支払額と消費者が支払える額とのギャップを「直接支払い」で埋めることこそが政策の役割なのに、とにかく食料・農業・農村への予算を何とか出さないようにしようという姿勢が至る所に強く滲み出ている。それが財政当局の圧力であることは、最近、見事に確認できた。
国家観なき農業予算削減
2024年11月29日に公表された財政審建議で、財政当局の農業予算に対する考え方が次のように示された。
1、農業予算が多すぎる
2、飼料米補助をやめよ
3、低米価に耐えられる構造転換
4、備蓄米を減らせ
5、食料自給率を重視するな
そこには歳出削減しか念頭になく、あきれを通り越した現状認識、大局的見地の欠如が露呈されている。農水予算は1970年の段階で1兆円近くあり、防衛予算の2倍近くだったが、50年以上たった今も2兆円ほどで、国家予算比で12%近くから2%弱までに減らされてきた。10兆円規模に膨れ上がった防衛予算との格差は大きい。
軍事・食料・エネルギーが国家存立の3本柱ともいわれるが、なかでも命に直結する安全保障(国防)の要は食料・農業だ。その予算が減らされ続け、かつ、世界的食料争奪戦の激化と国内農業の疲弊の深刻化の下で、「まだ高水準だ」という認識は国家戦略の欠如だ。
中国は14億人の人口が1年半食べられるだけの食料備蓄に乗り出している。世界情勢悪化の中、1・5カ月分程度のコメ備蓄で、不測の事態に子どもたちの命を守れるわけがない。今こそ総力を挙げて増産し備蓄も増やすのが不可欠なときに備蓄を減らせという話がなぜ出てくるのか。
お金を出せば安く輸入できる時代が終わった今こそ、国民の食料は国内で賄う「国消国産」、食料自給率の向上が不可欠だ。投入すべき安全保障コストの最優先課題のはずなのに「食料自給率向上に予算をかけるのは非効率だ、輸入すればよい」という論理は、危機認識力と国民の命を守る視点の欠如だ。そして、これらの考え方が改定農業基本法に色濃く反映されていることが事態の深刻さを物語る。
石破プランと
戸別所得補償制度
この状況は絶望的にも見える。しかし、この局面を打開できる希望の光も見えてきている。2009年、当時の石破農水大臣が、08年に筆者が刊行した『現代の食料・農業問題―誤解から打開へ』(創森社)を三度熟読され、この本を論拠にして農政改革を実行したいと表明された。拙著での提案、および石破大臣が発表した「米政策の第2次シミュレーション結果と米政策改革の方向」の政策案の骨子は――生産調整を廃止に向けて緩和していき、農家に必要な生産費をカバーできる米価(努力目標)水準と市場米価の差額を全額補塡する。それに必要な費用は3500~4000億円で、生産者と消費者の双方を助けて、食料安全保障に資する政策は可能である――というものだった。これはその直後に起こった政権交代で、民主党政権が提案していた「戸別所得補償制度」に引き継がれることになった。
戸別所得補償制度の重要な点は、生産調整に参加する販売農家であれば、単位当たり同額の補塡が受けられるが、支払われるのは全国一律の平均生産費と平均販売価格との差額だということだ。この制度では平均生産費1万3700円と平均販売価格1万2000円との差額の1700円が1俵当たりに換算した補助金だった。これに加えて、当該年の手取り米価が1万2000円より下がれば、その差額も追加で支払われた。
1万8000円のコストで生産し1万円で販売している経営も1700円の支給だから、赤字はほとんど解消しない。逆に1万円のコストで生産し1万8000円で販売している経営は、さらにボーナスとして1700円が入ることになる。つまり、コスト削減と高値販売への経営努力が報われるシステムとも言える。全国一律の基準は、立地条件により努力してもコストが高く、販売価格は高くなりにくい地域には不利だという問題も残るが、大規模稲作農家には高く評価された。
この仕組みは、基準とする生産費や地域区分の取り方により実質的にカバーできる農家の範囲が変わるので、その調整によって社会政策的な側面を強めることも、逆に産業政策的な側面を強めることも可能と言える。
この制度を縮小せざるを得なくなったいちばんの理由は、財政当局による農業予算の縛りがあるため、戸別所得補償予算の確保には、土地改良事業など、他の農業予算を大幅にカットして財源を確保せざるを得なかったことが大きいと思われる。もちろん、政権交代で「前政権の施策は否定する」姿勢が廃止の直接の理由になった。
「食料安全保障推進法」の実現を
筆者は農業経営のセーフティーネットの再構築に向けて、スイスの農業政策体系に着目した。食料安全保障のための土台部分になる「供給補償支払い」の充実(農家への直接支払いの3分の1を基礎支払いに集約)と、それを補完する直接支払い(景観、環境、生物多様性への配慮などのレベルに応じた加算)の組み合わせだ。
それを基にして「食料安全保障確立基礎支払い」として、普段から耕種作物には農地10a当たり、畜産には家畜単位当たりの基礎支払いを行うことを提案した。その上に多面的機能支払いなどを加算するとともに、生産費上昇や価格低下による赤字幅に応じた加算メカニズムを組み込む。かつ食料需給調整の最終調整弁は政府の役割とし、下限価格を下回った場合には、穀物や乳製品の政府買入れを発動し、備蓄積み増しや国内外の人道支援物資として活用する仕組みを整備することも加えて、これらをまとめた超党派の議員立法「食料安全保障推進法」(仮称)の可能性を提起した。
農家だけを助ける直接支払いではなく、消費者も助け、国民全体の食料安全保障のための支払いであることを理解しやすくする意味で「食料安全保障確立基礎支払い」というネーミングも重要と考えた。そして、筆者が理事長を務める食料安全保障推進財団も活用し、各方面に働きかけることとした。
超党派で「日本型
直接支払い」の機運
私は月20回前後の全国各地での講演に加え、ほぼ全ての政党から勉強会の要請があったので、各党で話をさせていただいた。国民民主党の勉強会では、この考え方を取り入れて政策を組み立てたいとの賛同をいただいた。自民党(積極財政議員連盟)、立憲民主党、共産党、れいわ新選組、日本維新の会、社民党、参政党など、ほぼ全ての政党から基本的な方向性に強い賛同をいただいたと理解している。
そして、超党派の協同組合振興研究議員連盟がこれに着目してくれて、事務局長の立憲民主党の小山展弘議員を中心に内閣法制局とも打ち合わせを重ね、自民党の積極財政議員連盟の支柱である城内実議員(現・経済安全保障大臣)も賛同してくれ、議員連盟会長の森山裕議員(現・自民党幹事長)にも話をさせていただいた。
3本柱となる施策のイメージは、まず、①食料安全保障のベースになる農地10a当たりの基礎支払いを行い、それを、②多面的機能、コスト上昇や価格下落による経営の悪化を是正する支払いで補完し、さらに、③増産したコメや乳製品の政府買い上げを行い、備蓄積み増しや国内外の援助などに回す、というものである。
以上からわかるように、農業・農村を守る政策の方向性は与野党を問わず収斂してきている。2009年に石破農水大臣が発表した農政プラン、戸別所得補償制度、食料安保確立基礎支払いの基本概念には共通項がある。与野党が拮抗する政治情勢下で、これらを組み合わせた「日本型直接支払い」政策を超党派の国民運動で実現できる機運が高まっていると思われる。期待したい。
広範な国民連合、
自治体議員の使命
一方で今、「住むのが非効率な」農業・農村の崩壊を加速させ、人口の拠点都市への集中と一部企業の利益さえ確保すれば「効率的」だとする動きが、改定基本法だけでなく、全体に強まっている懸念がある。
能登半島の復旧支援に行かれた方はわかると思うが、1年たっても復旧していない。国は金を切ってきている。「漁業も農業もやめてどこかに行け」と思わせるような状態だ。また、台風で被害を受けた水田の復旧予算を要求したが出さないと言われたという声も、全国各地で聞く。
もっと驚いたのが「消滅可能性自治体」(人口戦略会議)のレポートだ。よく読んでみると「消滅しろ」と書いてあると読める。目先の効率性だけで農村・漁村を住めないような状態にしてしまえば、日本の地域の豊かな暮らしや人の命は守れるわけがないのに、こんなことが真顔で提唱されているのだ。
文字通り広範な国民連合こそが、こうした動きに立ち向かい、全国各地の政治・行政と市民・農民の力を結集し、日本の地域社会と子どもたちの未来を守る最大の使命を担っている。現に広範な国民連合による食料自給率向上の自治体議員連盟の尽力は、農業・農村を守り、食料を守ることの重要性を超党派の国民運動として盛り上げる原動力となっている。
都道府県レベルや市町村レベルでの「食料安全保障推進条例」の制定の機運も高まっている。そうした条例に基づき、①農地を守る基礎支払い、②多面的機能、生産者・消費者の双方を支援するコストと販売価格との不足払いによる補完、③備蓄・援助のための政府買入れの拡大、などを自治体レベルで仕組みづくりをして、大きな予算でなくても、まず自治体での政策として「日本型直接支払い」を実現することで、国全体の政策を促す効果も期待できる。
財源がないという声をよく聞くが、赤字でもみんなが幸せになれる事業に予算を投入することが大事ではないか。一つの好例は明石市。財政赤字で苦しんでいたが、給食の無償化を始めて子ども予算を2倍にした。結果は子どもが元気になって、出生率も上がって人口も増えて、商店街も活性化して、税収がどんどん増えてきた。有機給食のいすみ市も「子どもが元気になる。給食がいい」と住みたい街の首都圏1位になった。
日本の財政当局の誰に聞いても、やるべきことは増税と歳出削減しかないと言う。これでは負のスパイラルになるに決まっている。これを打破するには、命・子ども・食料を守る政策に財政出動して、みんなが幸せになって、好循環が生まれて、税収も増えるような波及効果を生むことではないか。自治体議員の皆さんが、体を張って実現していただければと思う。頑張ってほしい。
与野党が拮抗する今、まさに、広範な国民連合による日本の地域社会を守る政策提案が国政レベルでも喫緊の政策として実現できる機運が党派を超えて高まっている。この機を逃すことなく、さらなる結集と活動の強化に取り組んでいきたいところである。
(本稿は、鈴木宣弘先生が「第20回全国地方議員交流研修会」の「食料自給の確立のために」分科会で行った報告要旨である)