みんなが豊かになれる、新しい社会を
つくらなくちゃいけない
「福島円卓会議」呼びかけ人・前全国農業協同組合中央会(JA全中)副会長 菅野孝志さん
本当の国防とは何?
岸田首相は国防費に43兆円出すと言っているけど、何に使うかというと武器を買う。そうじゃないだろう。本当の国防というのは国民の命を守ること。離島でサトウキビを作る島民がいることも国防で、問題の全てではないかもしれないが、尖閣では人がいなくなったことによって領有権が問題になっている。この問題は周恩来さんと田中角栄さんが「お互いに難しいことは将来に残しましょう」と日中国交正常化時に棚上げにしたわけだけど。
国民の命を守るという観点から考えたときに基本は食料でしょう。1961年には日本の食料自給率(エネルギー換算の)は78%でイギリスは45%だった。それから日本は一貫して下がり、今や38%前後になった。ところがイギリスは2015年ごろに70%ぐらいに上げている。産業革命をいち早く成し遂げた国がこれじゃいかんなと気づいたんだろうね。国を守るということはどういうことなのか気づいたときに、国民一人ひとりの思いと政府、国会議員とか行政筋も含めてみんなが取り組んだんだね。
僕に言わせれば国防予算の3割程度、15兆円あれば自給率を上げることができると思う。そのときに官僚機構というのはろくでもないから、みんな大企業へカネが行くような計算をする。そうじゃなくて必要なのは農地の改良とか若い人たちをどう育てていくか。この点に集中するような仕組みをつくっていかないと。
本気で自給率を上げる
人を育てるのにカネがかかるのは当たり前だ。農水省は一人1000万円の就農支援策を打ち出しているが、それに対して農協も農業団体も何も言ってないんじゃないか。そこで育ってきた人たちに話を聞いて「今の制度をこういうふうに充実したらいい」と提案する。そして若い人たちが食べていけるだけの所得を確保していくこと。年1000万円以上の所得が確保できれば農業をやりますよ。若い人、現場で働く人、経営する人がいなかったら自給率は上がらない。
国は本気になって自給率を上げようとしているのか。自給率を上げるポイントは大豆や小麦やトウモロコシなどの穀物類。例えばトウモロコシは、田んぼではよほど排水のよいところじゃないとだめです。だったら田んぼでもできるトウモロコシを研究開発して、育種して作り上げる。日本の今の風土に合ったような自給率を上げるための戦略。
畜産関係だってもっと飼料米が欲しいんです。でも国や財務省はそれではお金がかかるという。田んぼ1反で飼料米を作ったら10万5000円になる。これくらいはきちっと確保してやるというのが政策じゃないですか。
農地がしっかり耕されていれば、日本の国は若い人たちも含めて元気な人たちがいっぱいいるようになる。荒れ放題の農地を見たら、日本はもうだめだなと思っちゃう。
自給率を上げることは国民的レベルの大問題だから、われわれもそうだけど知恵を出さなくては。せめて50%とか60%に上げるための戦略。当面15年かけて45%というのはどうですか。2年に1%上げる戦略ですよ。こういうものはいったん形が整えばククーッと上がるものなんです。
農協も含めていろんな団体が、食料自給率を上げる政策要求として提案していく。それを具体化しながら、農家の人が安定した収益を上げて暮らせる社会をつくる。農村も都市もみんなが協力し合って、ほんとの豊かな日本をつくるために集まって考えようじゃないですか。
大切なのは人
僕は自民党が嫌いとかではないし、農協は協同組合だから基本的には「みんなが幸せになる」ということが大事だと思っています。自民党も田中角栄さんとかがいる時代はもっと国民の幸せのためにちゃんとやっていたような気がしますね。ところが今は国民一人ひとりを思いやるような政治家というのはいるのかい? どうもそのへんが見えてこない。自民党であろうが革新系であろうが、大切なのは国民一人ひとりなんだ。
今は農業もそうだけど、海外から来る労働者の人たち一人ひとりのことを思いやる状況になってない。海外から来ている人たちが、日本へ行ったら技術も学んで賃金もちゃんとしていたと感じて「日本ってすごい」と言ってくれたら、日本の国際的評価はもっと変わるんじゃないですか。
人を大事にしない経済界も農業界も成長はないと思う。人を大切にするように政策転換をしなければならない時期に今きているんじゃないか。
福島原発の廃炉の問題だって、今は若い技術者が育ってない。今の技術者はすでに50~60歳ですから、廃炉する頃はいなくなっちゃうんですね。今、本気になって原子力の技術者を育てないと。原子力が本当に安全かどうかというのは別にしても、高度な原子力の技術をもっている人たちを育てながら廃炉という問題を進めていくべきなんじゃないのかなと思うんですね。
「国体」ってあるじゃない。ここがどうも乱れてませんか。国体のベースをつくるのはやっぱり人。人を大切にできなくなったときに国体は乱れるんじゃないか。国防とか国体とか言うと、国粋主義者みたいだけど、ここは間違えないで本当の意味で日本の国をみんなで考えようじゃないか。いいんかい?これで。そのためにもっと議論が必要なんだ。
震災時の農協の対応
僕らは3・11の原発事故の時に、地域も、農業も、農協も、ほんとにダメになるかもしれないと思った。燃料が足りんなど日常生活の問題がいろいろありました。どうしたらいいんだろう? 毎日のように打ち合わせをしながらやってきましたが、3月20日に当時の会長が、「先祖伝来の農業をこの事故で途絶えさせるわけにはいかない」と発言しました。それが転機になって、4月5日には「農業やるぞ、田んぼをつくるぞ。できることを全部やるぞ」となった。避難する人も出てくるだろうが、それも受け入れる気持ちで動き出し、「作った作物は全部農協が責任持つ」となったんですね。
それまで農家には農協を利用しないで自分で売っている人たちもいる。それが市場では売れなくなり、農協に大量に桃とか農作物が集まってきた。役員からは農協を利用してない人の作物は扱わないという声も出てきました。
しかし僕たちが協同組合で学んできたことは、今は違うかもしれないけど、農協は弱い者が助け合うということなんです。このときこそ門戸を開くべきで、それをやらなかったら農協じゃないんじゃないかと、全てを受け入れたんですね。それ、朝方の4時半までやってもさばききれなかった。それがだんだん回復してまた離れていったけど、あのとき農協があってよかったよなと、そういう思いが今も生きているんですね。
震災時、農林水産省と国はあまりデータを残したいと思わなかったんでしょうが、僕らはそうじゃなくて福島大学にご協力いただいて、9万2千カ所の土壌調査のデータを残しています。あの調査ポイントは今どれくらいの線量になっているか、変化がわかるわけです。
そういう一つひとつの仕事の中で風評被害というものはだんだんなくなって、農家の人は頑張れる環境になってきたのかな。ただ、低線量被ばくについてはどうなのか、僕らにはまだわからないところです。
地域主体の復興を
農業サイドから見たら、ほぼこの12年の経過の中で農家の人も頑張ったし、国も行政も頑張ってきた。ただ、福島県は(海側から)浜通りと中通りと会津という三つの地域で成り立っている。中通りと会津は被災ですが、浜通りは原発が立地し津波被害もあり、やっと避難解除されたところもある状況です。この十数年の中で大変な歩みをしているわけですよ。
そういう意味でまったくとらえ方が違う。中通りと会津は風評被害をほぼ払拭できたことで生産も回復しているんではないか。
浜通りの復興については福島県民であっても、今どんな動きをしているかというのは、なかなか見えないわけです。浜通りはほぼ丸抱えに近い国からの補助金が出ていて、企業が入りやすい体質を形成してきた。もちろん企業も間違いなく浜通りの復興に向けて頑張りたいと入ってくる。でも仮に20億円で請け負っても、あとバックで1億か2億円もらえばつぶれても問題ないんですよ。彼らのカネの使い方は農家とか農業団体が考えていることとはまったく違います。
もっと地道に、地域で生まれた人たちにお金をつぎ込みながら、新しい農業のあり方、そして責任をもって5年10年育てていくような、そういうことのほうがいい意味での地域創生につながっていくんじゃないのかな。
汚染水処理と漁業復興
処理水の海洋放出ですが、30年間も海に放出されるという話です。廃炉の見通しが見えない中でも、みんなが努力している。
福島の漁業筋はその被害を受けているかというとあまり受けていない。でも日本の漁業は被害を受けたんです。北海道のホタテなんかひどい。それは北海道とか青森とかで沿岸漁業をやっている人たちと、福島の漁業者を分断する格好になるんですね。その分断はしてはいけないと思う。風評被害は福島だけの問題ではない。漁業とか農業とかも含めた風評被害をみんなでなくすことを考えないと。韓国の技術者に来ていただいたりしていますが、科学的な分野で考えてもらいたいと思います。
汚染水のことですが、本来は地下水が建屋に入らなければ、閉じ込めることは可能なんです。そのための技術対策をちゃんとやらなくちゃいけない。ちゃんとやろうとしてないじゃないですか。県民や国民が疑問に思っていることを着実にやりながら、そういうことをお互い確認し合いながらできることをやっていけば、少しは変わっていけるんじゃないかと思うんだけどね。
福島原発への不安
事故を起こした原発、なかなか安心できないね。というのはデブリを取り出すとか廃炉とか、すごく大変だろうなと感じるんですよ。仮にもう1回大きい地震や津波が来たら、原発が根こそぎ崩壊するという危惧も感じる。でもそこに何か対策が打たれているようには見えない。早くデブリを取り出すんだという話だけ。周りをより安全に完全に遮断するための仕組みを考えて工事をしているわけでもない。
今、安定しているような感じで、われわれの農業もほぼ安定したような動き方をしているけれども、ひとたびそういう問題が起きたときにどうなるんだろうかという不安を感じます。大災害時に福島原発がどうなるかという論点で誰も考えてない。国は何も言わないから余計にわからない。本当に福島、東日本、日本の安全を担保できるんだろうか?
福島原発が安全だと思っている人はそんなにいないと思う。なんとなく落ち着いているけど、そんなときがかえって危険かもしれない。安定しているときだからこそ、次の問題にアプローチしながら、どういうふうにしたなら今ある技術力で未然に防ぐことができるのかを話し合う必要がある。現実にそこにあるんだから、原発造ったからだめなんだと言ったって始まらない。どういうふうに提言していくかということを本気で考えるべきなんです。福島円卓会議もそこを国と話をしていくことが必要だろうと思っています。
このことは日本中で、みんなで考えるべきで、電気を使って恩恵を受けている人が知らんぷりをするのはおかしいでしょう。今ある51カ所の原発を抱えているところも「いや、俺のところはそんな危険はないよ」と言うんじゃなくて、同じレベルで考えようということです。
福島円卓会議が呼びかけて全国の人たちが一堂に会し、みんなで議論して、そこにできれば国にも来ていただく。国はそこで何か言われるのがいやだから来ないんだと思う。そんなことでは何も進まないよね。円卓会議の人たちは過激な人たちじゃない。ちゃんとわかっている。どういうふうにしてお互いの信頼関係をつくりながら、より安全なものにしていくか、安全なものにならなくても国民の暮らし、命を守っていくための道筋をつくっていこうじゃないかという提起をしているんです。
党派を超えて
行政というか官僚の人はすごいね。一回決めたらなかなか変えない。官僚機構が悪いとは思わない。だけど最終的に誰が官僚を止められるかというと、それは政治家しかないと思う。そういう意味で政治家の全体的な質の低下を感じる。官僚からお膳立てされたり言われたりすればそうかということになってしまう。自分で見て、自分で学んで、学んだうえで技術者、科学者の話を聞きながら判断して、提案をしてくるという人たちがどれだけいるんだろうか。そういう意味ではあまりにもちょっとね。
日本人は本来、議論も好きだったんだろうけど、今はみんな下を向いている。もっと上目線で世の中を見ていくといろんなことが見えてきて、いろんなことを語れるようになるんだろう。下を向けばだいたいしゃべらないですからね。でも今の政治家と政府はそういう人をつくってきた。便利で物言わぬ人。みんな黙っちゃっている。若い人が物を言う、そういう状況をつくっていかなくちゃいけない。
日本には問題がたくさんある。いろんな人たちが党派を超えるというのは難しいかもしれないけど、話を聞いて、そうだよなと思ったところ一つでいいから今の自民党の先生方も駒を進めてくれたら、変わる要素がいっぱい出てくるよね。
皆が豊かになるために
今の日本を見て感じるのは、勤労者の中にいろいろ層ができている。昔は勤労者というとみんながひとくくりだった。農村よりちょっと豊かなイメージ。
今はシングルマザーとか含めて格差が広がっている。そこに子ども食堂とか、社会奉仕的な動きができてきた。本来、子ども食堂をつくらないといけない社会はだめでしょう。シングルマザーが暮らせる所得を形成できるような社会をつくっていかなければ。
そのことを農家の人たちも一緒に考えることによって、同じテーブルにつけそうな気がする。「農家は過保護じゃないか」と勤労者に言わせる筋道を断って、みんなが安心して子どもを学校に通わせることができる、そういう環境をつくらないと。日本の国は人に優しくないんですよ。人に優しい日本の国をつくろうというぐらいのテーマで、物事はしっかり議論したほうがいい。
僕はJAで20歳から51年近く仕事をさせていただいて思うことは、農協が地域の農業と若い人たちが育つ核でありたいということです。農業は文化を継承するカルチャーなんですね。だから国からカネがこようがこまいが、自分たちでみんなが豊かになれるような新しい社会をつくらなくちゃいけない。そう思ってもなかなかできるものでもないけど、今改めてそのことに挑戦していかねばならんのじゃないかと思う。体は年を取ったかなと感じるけど、思いはまだ25、26か30歳くらいの気持ちでいるんだけどね。
(インタビューをもとにまとめたもの。文責編集部)