沖縄平和友好訪中団報告

600年を超える友好交流の歴史を再確認

参議院議員 伊波 洋一

 沖縄から戦争に反対し平和を求める声を中国の人々に届けるために「広範な国民連合」の協力を得て2023年12月25日~30日に「沖縄平和友好訪中団」(6人)で中国の首都・北京市を訪問し、関係団体との平和友好交流を行うことができた。お世話になった中国の関係方面の方がたに感謝申し上げます。


 直前の11月16日には岸田首相と習近平国家主席の首脳会談がサンフランシスコで開催され、外務省は、《両首脳は、日中関係の新たな時代を切り開くべく、「建設的かつ安定的な日中関係」の構築という大きな方向性を確認した》と発表した。良い方向に向かうような発表だが、沖縄を見る限り、現状は米軍戦略に沿って沖縄の軍事強化を一層進めようとしている。
 すでに宮古諸島や八重山諸島の島々では市町村主催で国民保護法に基づく全島民避難計画説明会が23年9月から開催されている。自衛隊基地がある島だけでなく、宮古島と石垣島の中間にある東シナ海上の多良間島では内閣官房から4人が参加して全村民約1070人の九州への避難計画が示された。参加者からは「避難先での生活はどうなるのか」「有事を想定する前に外交努力をするべきだ」「約4千頭のヤギや牛などの家畜は連れて行けるのか」などの声が上がった。沖縄本島でも、うるま市への陸自地対艦ミサイル部隊の配備と司令部施設建設、沖縄市内自衛隊駐屯地への大型弾薬庫建設、沖縄本島から東に400㎞の太平洋上の北大東島でも空自の移動式警戒管制レーダー配備のための自衛隊施設15棟の建設計画が進んでいる。
 私たち国民が止めなければならない。沖縄県内では再び沖縄が戦場にされることへの懸念が広まっており、さまざまな反対行動や市民集会が各地で開催されている。特に11月23日の約70の市民団体が呼びかけた「11・23県民平和大集会」には1万人を超える県民が参加して「沖縄を再び戦場にさせない」アピールを声高く上げた。

沖縄と中国の絆を強める

 私は2016年に参議院の議席を得て、会派「沖縄の風」を糸数慶子前参議院議員と立ち上げ、現在は髙良鉄美議員と共に沖縄の立場からの国会活動を続けている。この7年半、外交防衛委員会に所属し、沖縄の基地問題の解決に向けて取り組んできた。
 その中で、沖縄県民が戦争に反対し平和を求めていることを中国の人々に届け、交流を通して沖縄と中国の人々の連帯の絆を強め、戦争ではなく平和の話し合いの道を開くために「沖縄平和友好訪中団」で北京に行く計画が始まった。その過程で、広範な国民連合と中国の華語シンクタンクが共同主催してきた日中時事交流フォーラムの第7回(9月3日)で「沖縄を再び戦場とさせないために」のテーマで私が、石垣市議の花谷史郎さんが「石垣島での自衛隊施設の建設」について報告した(『日本の進路』23年10月号)。華語シンクタンクは中国メディアとして日中時事交流フォーラムを含め『日本の進路』誌に掲載される記事等を翻訳・掲載して中国の何十万もの読者に対して伝えてくれている。
 今回の沖縄平和友好訪中団でも華語シンクタンクは日程を組み、北京市入りの翌26日の午前9時から昼食を挟んで夕食直前までシンポジウム「沖縄の平和と発展」を開催してくれた。

侵略・加害者の歴史も
直視して

 27日は、盧溝橋近くの中国人民抗日戦争記念館を訪問し、各展示コーナー案内後に副館長などスタッフの皆さんと交流した。沖縄も沖縄戦で20万人を超える戦死者を出し、その多くが沖縄住民と説明し、激戦地の摩文仁に沖縄平和祈念資料館と平和の礎があることを紹介した。その後、1937年7月7日に全面的な日中戦争の発端になった盧溝橋事件が起きた盧溝橋を訪ねた。マルコ・ポーロも美しさを称賛したという盧溝橋の欄干には501頭もの石獅子が彫られており、多くが親子獅子であった。
 その後、中日友好協会を訪ね、程永華副会長(元駐日中国大使)との意見交換の懇談を行った。程永華副会長は、沖縄が懸念する「攻撃される恐れ」について、中国と日本は1972年の日中共同声明で国交を回復し、78年に「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と平和友好条約を締結していることを挙げて、中国が武力を行使することはないと、繰り返し語った。
 夕方にホテルで程永華副会長を囲んで夕食交流会を行い、程副会長は終始、穏やかに日中関係を語り、沖縄と中国の交流の可能性について意見交換した。

琉球国時代に留学生が
学んだ国子監見学

 4日目は、琉球国時代に琉球からの留学生が学んだ歴代王朝の国子監(大学)と孔子廟を参観し、説明を受けた。国子監では琉球、朝鮮、安南(ベトナム)が冊封国として国別に学舎と寮の学館があり学んでいたという。琉球学館は国子監敷地内にあったが、他は離れていたと説明。琉球の学舎と寮は現在、改修中とのことだった。北京の琉球人墓地も改修中で、中国政府には中国と琉球・沖縄の600年に及ぶ歴史的関係を再評価する動きがあるようだ。
 その後に沖縄県北京事務所を訪ねて、活動概要の説明を受けた。
 最後に北京の日本大使館を表敬し、着任間もない金杉憲治大使と野々村海太郎政治公使からブリーフイングを受けた。忙しい中で金杉大使も時間を割いて対応していただいた。日本の訪中団は少なく、国会議員の来訪は久しぶりとのことだった。金杉大使には南西諸島の軍事化の状況に、沖縄県民は、再び戦場にされるのではないかと不安に思っていることを伝え、11月の岸田首相と習近平主席の首脳会談で確認した方向で、日中両国が平和な関係であり続けるように取り組んでほしい旨を要望した。

先端技術の粋・ファーウェイ展示センター

 5日目は、早朝にホテルを出発し1時間半かけてファーウェイ北京展示センターに着いて、さまざまなプロジェクトや製品・技術の説明を受け、意見交換を行った。
 北京中心地に戻り、万寿賓館の会見場で中国国際交流協会の劉洪才副会長を表敬し、沖縄平和友好訪中団を歓迎していただいた。劉副会長は、中国は中日平和友好条約を守り、平和を求め続けると語り、台湾問題は中国の内政問題であることを強調した。中国の対日外交政策の原則的立場は一切変わっていないと繰り返し述べた。
 私は、日中がさまざまな問題を解決して、早期に正常軌道に戻ることを願っている旨を発言した。
 その後、昼食会場に移って会食交流となり、国際交流の立場から北京だけでなく、沖縄・琉球との交流関係が深い福建省や内陸地域を含めて沖縄が交流を深めていく方向にも話題が及んだ。沖縄と中国の各地との幅広い交流については、中日友好協会の程永華副会長も期待していた。
 私たちは、今回の北京訪問を通して、日本と中国の真の平和友好を実現するために、琉球・沖縄と中国の600年を超える平和友好の歴史を再認識することの大切さを実感した。日中の平和友好関係を日本各地から構築していこう。
 (見出しは編集部)

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