世代超え想い一つに
大きな愛のエネルギーを
平良 友里奈
私は、「島々を戦場にさせない!沖縄を平和発信の場に!2・26緊急集会」の司会をさせていただいた。そして、この緊急集会に寄せた私の投稿が2月17日付の「琉球新報」に載って多くの方の反響を呼び、投稿を読まれた何人かがさらに投稿してくださるといううれしいことも起きた。以下はその抜粋だ。
「平和の武器は学習である」。平和運動家であり、沖縄のガンジーと呼ばれる阿波根昌鴻さんの言葉だ。2022年4月9日、私は初めて「台湾有事」という言葉を知った。
「台湾有事ってなんですか?」。「台湾有事、それはつまり簡単に言うと戦争のことだよ」。「えー!だったら、戦争って書けばいいじゃん!」
うるま市勝連で行われた「ミサイル要塞化の危機写真展」に2日間参加した時のことだ。ミサイル配備の実態に衝撃を受けたが、その時に一番感じたのは、10代〜30代の若者が誰も参加していないこと。それが何より危機だと感じた。
若者は私一人しかいなかった。シニア世代が一生懸命、活動をしていた。持病がありながらも参加している方。杖をつきながら参加している方。
60代から90代の方々は、こう話した。「自分たちは長く生きたから別にいい。だけど、子供や孫たちにつらい思いはさせたくない」「また再び戦争を体験してほしくない。安心してこの沖縄に住める状態にしたい」
その言葉を聞き、私は「シニアと若者のパイプ役になろう! それが私の役目だ!」と心から感じた。糸数アブチラガマ(糸数壕)のガイドをやっている。まだ3カ月ほどだが、先日、これまでに5回入壕された方をガイドさせていただき、その方から「一番分かりやすかった!」とお褒めの言葉をもらった。私は、ガマで亡くなった大勢の方々にいつも語り掛けている言葉がある。「みんなのことちゃんと伝えるからね!」そう言ってガマに入るようにしている。
若者向けのフィールドワークも企画した。ミサイル配備の事実、危機を知ってもらい、参加された皆さんが、SNSを使って世界に発信する。そうすることで大勢の方が沖縄の危機を知る。とにかく知ることがまず大事! そう考え行動した。
行動する中で、シニア世代の発信の仕方や言葉の使い方と若者世代に響く言葉には、大きな違いがあることに気づいた。
今まで一生懸命平和のために活動されてきた方々の使う言葉、それは、「反対!やめろ!出て行け!」などだ。怒り、憎しみ、悲しみ、その想いすべてを込めて大きな声で反対活動をなさっている。それは、確かにとても大事だ。だが若者はその姿を見て、なんだか怖いと感じ、近づきたくない、関わりたくない、そう感じてしまう。
負のエネルギーがあふれている場所に行こうと思わない。だが、シニアの方々の本当の想い、それは「子や孫たちに幸せに生きてほしい、平和な沖縄で生きてほしい」なのだ。その想いが本心だ。
大切なのは、その本心をしっかり伝えること、愛を伝えること。そうすることで、若者たちにはしっかり伝わり、沖縄の実態を知る機会が広がると思った。
沖縄で生きる私たちが、日本政府やアメリカ政府の力に打ち勝つには、大きな大きな愛のエネルギーが必要だ。なぜなら愛の力は無限でどのエネルギーよりも一番強いエネルギーだからだ。その愛は、沖縄を愛する心、子や孫を愛する心だ。だからこそ、戦争や基地に反対するのだ。どうにかして沖縄で大きな大きな愛のエネルギーを一つにして作り出したい、そんなことばかりを私は考えている。
これでは今までと同じ
この緊急集会を開催するまでに、何度も準備委員会で話し合ってきたが、シニア世代と若者世代でぶつかることもたびたびあった。使う言葉の違い、発信の仕方の違い、心に響く言葉の違い。だが、そのたびに話し合いをしながら、若者の意見も聞いてくださった。
運営会議の中で二つのエピソードがある。「反対!」などの言葉を使う代わりに、ラブやピースなどの言葉を入れ、若い人が集まりやすいものにしたいとの若者の意見に対して、「目的がぼやけるのではないか? 緊急感が伝わらない」「そうでなければ若い人が集まらないと言うのなら、自分たちでそういう会を持ったらいいんじゃないか」と大先輩たちから言われた時があった。その時、心強い仲間であり共に司会をした瑞慶覧長風さんがこう言った。
「若い人は若い人で勝手にやればいいと切り捨てるということですか? シニア世代と若者世代をつないで大きな力にしようとしているのに残念です」と。大先輩たちからは「そんなつもりで言ったのではない」と。その後も意見を出し合いながら対話が続いた。
もう一つは、スローガンを決める話し合いが行われていた時のことだ。その時に決まっていたスローガンを見て、これでは今までと同じような集会になってしまうのではないかと私は不安に感じた。そして、勇気を出して、「最後の一つでもいいので、若者が考えたスローガンを入れていただけませんか」と提案をした。
「争うよりも愛しなさい」この言葉を入れていただけませんか、と勇気を出して言ってみた。それは沖縄市出身の若者にとても人気のあるラッパーRude-α(ルードアルファ)の「うむい」という曲にある歌詞の一節である。この言葉の方が、若者に響くし伝わりやすいと思うと話した。
その時に、委員会をまとめている平和運動家の山城博治さんが言った言葉を私は忘れない。
それは、「分かりました! では、その言葉を最初に持ってきましょう!」。私はとてもうれしく感動した。この集会は今までにない集会になると確信した。
この運営会議に参加していた若者は3人である。それに対してシニア世代がほとんどであった。運営会議では若者の意見で空気が重くなることもあれば、明るくなることもあった。必ずこの集会を成功させたい。その想いは一つであった。
そして、当日1600人が集まった。
あの日、私はとてもうれしく涙があふれた。「争うよりも愛しなさい」この言葉が書かれたゼッケンを付けていたシニアの男性も何人かいた。あの時あの会場で、私は初めてシニア世代の熱い姿を見てカッコいいと感じたのだ。そしてこの姿を若者世代にも見せて伝えたい、そう強く感じた。
この緊急集会は、多くの方々の協力があって大成功であったが、まだまだ始まったばかりである。
私たちは今後数万人の県民集会開催に向けて動いている。関心のない多くの人に、戦争に向かって進むこの危機的状況をどうにかして伝えなければいけない。
そして、若者のエネルギーがどうしても必要だ。私たちは、試行錯誤しながら、若者もシニアも想いを一つにして参加できる平和集会を作っていきたい。
大きな大きな愛のエネルギーを作り出す、その想いでこれからも動いていく。
それからもう一つ。私は若者と呼んでいただいているが、35歳である。10代20代に分かりやすく伝えられるようこれからも動いていく。私の役目であるシニア世代と若者世代のパイプ役になることをしっかり果たしていきたい。