台湾有事を避ける道

日本に足りないものは「反撃力」ではなく、
戦争回避の戦略

国際地政学研究所理事長(元内閣官房副長官補) 柳澤 協二

「敵基地攻撃で抑止」という不可解

 ロシアのウクライナ侵攻を受けて、日本では、反撃力(敵基地攻撃能力)をはじめとする防衛力の抜本的強化と、日米同盟強化の議論が盛んである。これらはいずれも、抑止力・対処力の強化として語られている。それだけの力を持てば戦争を抑止すると同時に、戦争になっても負けない、という論理である。


 では、本当にこれが「抑止力」になるのだろうか。抑止とは、戦争となれば相手に耐え難い損害を与える意思と能力を認識させることである。敵のミサイル基地を攻撃すれば相手に一定の損害を与える。だが、それを相手が「耐え難いもの」と認識するかどうかは、別の問題である。中国が「耐え難い」と感じるほどの損害を与えるためには、沿岸部の数カ所の基地を攻撃するだけでは不十分で、内陸部にある基地や堅固に防護された司令部を含めて、相当数の施設に致命的なダメージを与えなければならない。日本がそれだけの能力を持てるのだろうか。
 「対処力」すなわちミサイル防衛という観点で言えば、飛来するミサイルを迎撃できないのであれば発射前に叩くという方法は、一見合理的に見える。少なくとも、こちらが攻撃した「敵基地」から発射されるはずであったミサイルを防ぐ効果はある。だが、すべてのミサイル施設を破壊することは不可能なので、相手は、残ったミサイルで報復してくる。つまり、ミサイルの撃ち合いになる。それを考慮すると、対処力として最も重要なものは、こちらの部隊と基地周辺の民間人を相手の反撃から守る被害局限対策である。ところが、被害局限や住民防護については、全く語られていない。
 敵基地攻撃とは、敵基地がある相手国本土を攻撃することである。相手もこちらの本土に報復することによって、戦争が拡大する。それに耐えることが、ミサイル戦争の帰趨を決める。

戦争が拡大すれば、早期収拾が困難になる。

 今日の敵基地攻撃能力をめぐる議論は、抑止・対処いずれの観点からも、必要な要件をなおざりにした不可解なものにとどまっている。
アメリカに頼る発想の落とし穴
 日本の防衛論議には、一つの前提がある。日本の能力には限りがあるが、足らざるところは米国が何とかしてくれるという前提である。米国の能力は、20世紀後半以降今日に至るまで、世界で最強・最新であった。日本の自衛力がその米国の反撃力まで切れ目なくつながることで、あらゆるレベルの攻撃を抑止し、対処できると考えられてきた。
 抑止のためには、相手の攻撃を上回る反撃力を持たなければならない。それはすなわち、戦争拡大の主導権を握ることである。通常兵器による戦争が拡大し、最後は核の使用に至るまでのエスカレーション・ラダー(エスカレーションのはしご)を持つことである。これを日本の側から見れば、米国の拡大抑止と核の傘への依存である。
 こうした米国依存の防衛戦略に信憑性があると思われてきた背景には、冷戦時代、米ソ双方が核の使用に至るまで戦争を拡大させる能力を持ち、米ソの直接の戦争が世界の破滅に至るという「相互確証破壊」のシナリオが共有されたために、米ソ戦争につながる同盟国・衛星国への戦争が抑制されてきた現実があった。
 日本防衛に当てはめれば、米ソ両大国は戦争しない、それゆえ、日本への侵略があったとしても、それは米国が日本防衛に参戦する前に収束するということだ。その論理的前提の上で日本は、憲法の制約のもとで、専守防衛・自国防衛に特化した防衛戦略を維持することができた。その軽武装路線のもとで、日本は経済大国となった。米国に依存することで戦争を防ぐことができるという「成功体験」を得ることになった。
 今日、中国という新たな脅威を前にして、日本はその成功体験に依拠し続け、それでもぬぐい切れない不安を「自前の攻撃力」で解消しようという発想が生まれている。
 敵基地攻撃で言えば、「日本が叩ききれない敵基地は米国が叩いてくれる」と思っているから、どの程度の反撃力を持てば十分なのかという発想がない。同時に、「米国が叩く」までのタイムラグの間に、どれだけのミサイルが飛来するのかが、考慮されていない。敵基地攻撃力を持つのであれば、そのあたりの米国の意向を確認したくなるはずだが、そういう議論がなされた形跡はない。米国に頼るとしても、それくらいの論理性は必要だろう。
 私見では、米国は、むやみに中国本土を攻撃して戦争を拡大しようとはしないし、日本が米国を巻き込む意図をもって中国本土を攻撃することを是認するとは思えない。

ウクライナ戦争で見えた「抑止の限界」

 ロシアのウクライナ侵攻を抑止できなかった要因に、米国がウクライナ防衛の軍事介入を否定したことが挙げられている。その理由について米国は、ロシアと直接戦えば世界戦争になる危険があるからだ、としている。一方米国は予告通り、かつてない規模の経済的・政治的制裁を行い、ウクライナに武器を提供している。こうして戦争は、ロシアの国力と欧米の支援の限界が試される長い戦争になっている。
 ロシアは、自分の勢力圏であるウクライナの親ロ派政権が倒されたことへの危機感を持つ一方、米国は、同盟国ではないウクライナの防衛に巻き込まれない道を選択した。そこには、相手の勢力圏への攻撃や武力干渉を控えることで、米ソの破滅的戦争を回避する冷戦的思考が働いていたとも言える。米ソの直接戦争は回避されたが、戦争の非道が世界を震撼させ、経済的悪影響が世界を苦しめている。
 いずれにせよ、ロシアの戦争を瀬戸際で抑止するためには、アメリカの武力介入の意思が必要であった。だがそれは、米国が世界戦争を辞さない覚悟を持つということだ。戦争は止めなければならない。問われているのは、そのために世界戦争のリスクを受け入れるかどうかということだ。
 そこに、大国の武力を背景とした抑止の限界がある。大国同士の戦争を防ごうとすれば中小国への戦争を防げない。中小国への戦争を防ごうとすれば大国同士の戦争を覚悟しなければならない。このパラドックスは、武力による抑止にとどまらない新たな制度や外交の必要性を示唆している。

台湾有事は日本有事という認識

 ウクライナの戦いぶりを見て、「自らが徹底的に戦い抜く決意と態勢を持たなければ、誰も助けてくれない」という認識が生まれている。もとより当然のことだ。だが、徹底的に戦い抜くために必要なものは、兵器よりも国民の覚悟である。国民にとって命に代えても守りたい国であるかどうかが問われることになる。
 日本が戦争の危機を感じる背景には、台湾をめぐる米中の緊張がある。台湾有事が起これば、日本も無関係ではなくなる。「台湾有事は日本有事だ、だから、戦争に備えなければならない」という議論になっていく。米軍の拠点である日本は、台湾有事と無関係ではない。だが、台湾有事とは中台の戦争であり、台湾を支援する米国と中国の戦争である。それは、世界戦争になる。
 今の米中間では、冷戦下の米ソのように勢力圏が明確ではなく、ひとたび戦えば核の撃ち合いになるという認識が共有されているわけでもない。加えて、中国にとって台湾は、勢力圏ではなく自国の一部である。相互の勢力圏への軍事干渉をしないという冷戦的ルールがあったとしても、台湾は、その対象にはならないということだ。
 別の言い方をすれば、台湾をめぐる米中の確執は、抑止が効きにくいということだ。中国の論理から言えば、自国の防衛が「抑止される筋合いではない」ということになる。まして、中国本土の基地を攻撃する政策を一方が公言すれば、かろうじて保たれている米中のバランス感覚にいかなる影響をもたらすことになるのか、想像もつかない。
 日本が多少の攻撃能力を持ったとしても、おそらく客観的には、大国間の軍事バランスに大きな影響を与えないだろう。そう言ってしまえば、攻撃能力を持つことの意味はないことになる。だが、心理的効果は別だ。中国は、これを口実に新たな軍拡を正当化しようとするだろう。何より心配なのは、日本自身が「中国と対等に張り合える」と錯覚するようになることだ。少なくとも、「日本が盾・米国が槍」という役割分担をいかに変更することになるのか、「日本の槍」に対する米国の統制がどういう形で担保されるのかが考慮されなければ、日本の攻撃能力が戦略的不安定をもたらす要因になりかねない。

米中戦争回避の展望を

 米国は、ロシア抑止に失敗した「反省」もあって、台湾防衛のコミットメントを度々公言している。一方米国は、台湾問題の現状維持と平和的解決を望む立場であり、公式には「一つの中国」政策を堅持している。
 中国は、台湾の分離独立や外国の干渉には武力行使も辞さない一方、アメリカとの戦争に軍事的に勝つ見込みはなく、経済的にも自国を破綻させると思っている。
 今日、台湾問題の平和的解決や米中関係が平和的共存に向かう見通しはない。一方、米中はともに、結果がわからない戦争を望んではいない。だから、戦争の危機を回避する道筋はある。
 まず、目標を「解決」ではなく現状維持に置いて、将来の台湾の地位を棚上げすることだ。平和的である限り、台湾の中国との統一やその政治形態について外国が干渉しないという合意、そして、双方の納得が生まれるまで誰も武力を使わないという合意をすることだ。これは、アメリカ、中国、台湾いずれの公式見解とも矛盾しない内容だ。
 米中をはじめ、台湾、日本などすべての当事者・関係者にとって戦争を回避することが共通の利益であることは間違いない。なかでも、有事に戦争被害を受ける日本には、すべての当事者に発言する権利があることを誰も否定できないだろう。台湾有事が人ごとではないがゆえに、こうした戦争回避の外交こそ、日本に最も望まれているものではないだろうか。

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