「草の根」市民運動にとどまらない可能性
イェール大学学生、「遺骨土砂問題」に取り組む 西尾 慧吾
防衛省・沖縄防衛局が、沖縄戦戦没者の遺骨が染み込んだ沖縄本島南部の土砂を用い、辺野古新基地建設を強行しようとしている「遺骨土砂問題」。これは人道上の問題で、国は一刻も早くこの蛮行をやめるべきだ。
これは国がつくり出し沖縄に押しつけた問題であるので、問題解決の責任は日本の全市民が負うべきだ。私はその思いで、「沖縄戦戦没者の遺骨等を含む土砂を埋め立てに使用しないよう求める意見書」を大阪北摂の複数自治体で採択させる取り組みをしてきた。6月議会では茨木市で全会一致採択、吹田市で圧倒的賛成多数での採択(維新のみの反対で、賛成30、反対5)を実現できた。この間協力いただいた方には改めて感謝したい。
これは、草の根の市民運動と地方議員との共働によってつかんだ結果だ。特に地元で「総掛かり行動」、戦争と平和展、労働相談、学習支援等に尽力し続けてこられた「サポートユニオン with You」の方々と連携できたのは大きかった。党派に縛られた政治運動を前提とせず、市民が広範に連帯できたからこそ、国政与野党の差を超えた意見書採択に至ったと思う。
市民運動と地方議員との共働で意見書実現
茨木市では、ドキュメンタリー「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」上映会と上映後の沖縄学習会、毎月駅前で行う「総掛かり行動」での街頭アピールを中心に、「遺骨土砂問題」や辺野古新基地建設、土地規制法案など、沖縄を苛む諸問題の市民周知を図った。「現政権は人権蹂躙、市民運動弾圧、民主主義冒瀆のために国税を浪費している」と訴え、市民の生活苦と沖縄の現状とのつながりを強調した。
市民派地方議員の方々には、そうした運動の現場に来てもらい、沖縄に対する市民の認知・関心の高まりを実感していただいた。当初は議員の間にも、「沖縄は市民の生活実態から遠い」「安全保障の議論は与野党対立を生み、地方議会にはなじまない」との懸念も窺えた。しかし、現場で直接交流する中で、「遺骨土砂問題」が茨木市民の生活苦ともつながる人道上の問題だと納得いただけた。
沖縄県議会と沖縄県内の複数市町村議会で意見書を全会一致採択した前例があったことも追い風となり、最後は全会派代表の連名で意見書を市議会本会議に上程していただけた。茨木市のような保守自治体での全会一致採択は、貴重な先例として全国各地の運動関係者や議員の方々から注目していただけた。
生活に直結する課題と沖縄を結びつける
現在ヤマト(いわゆる「本土」)では、茨木市と吹田市のほか、奈良県、金沢市、小金井市(東京都)、河南町(大阪府)の各議会で「遺骨土砂問題」意見書が採択されている。「自ら現地に入って直接説明、行動する」という原点を大切にしつつ、9月議会に向けての運動を全国に広めたい。
ただ、一部の自治体による意見書採択だけでは「遺骨土砂問題」は解決しないし、「9月議会まで待てない」というのが遺族やウチナーンチュの方々の本音だと思う。
また、茨木市での意見書採択は「辺野古には言及しない」との条件付きだった。「遺骨土砂問題」の根本原因である辺野古新基地建設自体に反対する意見書の採択への道は遠い。
沖縄に対する市民の関心を維持するため、市民が自らの生活に直結する課題と沖縄の課題とを結びつける想像力を養う場を増やしたい。
例えば、大阪府内ではPFOS・PFOAによる水汚染が問題となっているので、その関連で沖縄の米軍基地が生み出す水源地汚染問題を学び、国に実態調査・補償を求める意見書採択を目指すのはどうか。茨木市では再開発や山林開発が進められているが、それに伴う土壌流出・土砂災害・景観破壊の問題を掘り下げると、沖縄の環境問題との類似性に気づけるかもしれない。
もちろん、意見書採択など政治に直接関わる運動だけでなく、戦争と平和展や地域史学習会のような取り組みも軽視してはならない。茨木市は、かつて市内の高等女学校に特攻隊向けの「覚醒剤入りチョコレート」を作る工場があったという歴史をもつ。地元の学生が作ったチョコレートが、沖縄に飛び立つ特攻兵の最後の食事だったかもしれない。
沖縄を苛む諸問題を学び続ければ、「辺野古新基地建設の強行や基地の一極集中がそれらの問題の根源だ」と気づける。市民がそれを共通認識にし、「沖縄で起きる問題の根本原因の解決を国に迫らない限り再選させないぞ」と議員の方々に迫れれば、辺野古新基地建設や沖縄の基地負担に直接言及した意見書の採択も夢ではない。
国政の問題を主体的に学ぶ不断の努力
「遺骨土砂問題」への取り組みは、決して沖縄への安易な同情や連帯感による一過性のものではない。地方自治の活性化と日本社会の構造変革を目指す継続的取り組みの出発点だ。この間得た経験と市民間のつながりを、幅広い社会問題に対する運動に応用したい。
「土地規制法案」の強行採決が象徴するように、国政は市民の声を無視し、運動の分断・弾圧を憚らない。しかし、無力・無能なのは国政の方だ。
今年度の防衛白書が出たばかりだが、周辺諸国との対立を煽る記述が増えた。内政上の無策を隠蔽するための、印象操作か。
草の根の運動を通した国政変革は、単なる地域エゴイズムではない。国政の蛮行を看過することは、自分たちの生活の破壊のみならず、国際平和の毀損すら招き得る。市民一人一人が変革者として自立し、地方自治を強固にすることが急務だ。
コロナで社会の分断・孤立化は一層深刻化したかもしれない。政治的無関心が強まる一方、孤立感・無力感にのまれた人々が全体主義に走るのでは、と不安にもなる。
ただ、最近視聴率ランキングの上位はニュース番組が独占しているし、「今の政治は何かおかしい」「日本社会の問題を学びたい」と思っている人は案外多いのかもしれない(ならばなおさら政権に無批判な報道が目立つ全国メディアの現状は深刻だ)。日本では政治運動への参加に奇妙なスティグマがあるが、公民館や地域の集会所を活用したタウンミーティングなどから草の根の運動をつくれそうだ。
市民は地元の課題にすら無知でありがちだ。情報公開制度など、市民の自己決定の根幹に関わる制度・法律への知識も十分でなく、発信力も強くない。
市民が知識・判断を政治家や一部の「運動家」に外注するだけでは、反知性主義や全体主義の伝播に対抗できない。実践的に学ぶ機会を増やしてこそ、市民は主権者として自立・成熟できる。
衆議院議員選挙が迫ってくる。私は地元・大阪9区で「生存のための政権交代」を掲げる野党統一候補を支える動きに加わっている。知名度・動員力では、自民・維新の現職にはまだ及ばないかもしれない。だからこそ、18歳未満の若者や外国人労働者など、選挙から排除された市民も巻き込んだ運動ができればよい。
目先の選挙の勝利だけにとらわれた「選挙フィーバー」で終わってはいけない。国政の問題を主体的に学ぶ不断の努力を始め、国政上の変化につなげていけば、沖縄の現状の解決も見えてくるはずだ。