北海道酪農の危機と再構築への課題
―数字が示す持続可能性の限界―
前北海道議会議員 北口 雄幸

北海道酪農は日本の生乳生産量の約55%を担い、国の食料安全保障を支える基幹産業である。しかし近年、その持続可能性が急速に揺らぎつつある。現場の声と統計を照らし合わせると、課題は一時的な経営不振ではなく、構造的危機として深刻化している。
「戸数減少」
第一に、酪農家戸数の急減である。北海道の酪農家は1995年に約1万戸あったが、2023年には約5800戸へと約30年で4割以上減少した。特に近年の減少幅は大きく、22年だけで約200戸が離農した。戸数の減少は単なる「数の問題」ではない。地域の集乳体制や加工工場の維持に必要な最低規模を下回れば、地域全体の酪農が成り立たなくなる。実際、集乳ルートの再編や廃止が進み、残る農家の負担増につながる悪循環が生じている。
「労働力不足」
第二に、労働力確保の困難さが深刻化している。酪農は365日休みがなく、1戸あたりの年間労働時間は平均3000時間を超えるとされる。後継者不足により家族労働力は減少し、外部雇用に頼らざるを得ないが、北海道の農業分野の有効求人倍率は3倍前後と高く、人材確保は極めて難しい。外国人材の受け入れも進むが、生活環境や制度面の課題が残り、安定的な労働力とは言い難い。結果として、経営者自身の負担が増し、離農の決断を早める要因となっている。
「価格下落」
第三に、消費税減税議論の影響である。仮に消費税が現行8%から1%へ引き下げられた場合、乳製品価格の低下が生乳取引価格に波及する可能性が高い。生乳の販売額は北海道全体で年間約3000億円規模であり、仮に価格が2〜3%下落すれば、年間60〜90億円の収入減となる。コスト高騰に苦しむ現状では、わずかな価格変動でも経営に致命的な影響を及ぼす。
「コスト高騰」
第四に、円安による輸入飼料・資材・エネルギーの高騰が経営を直撃している。北海道酪農は濃厚飼料の約8割を輸入に依存しており、円安と国際相場高騰が重なり、配合飼料価格は20年比で約1・4倍に上昇した。電気料金も21年比で約30〜40%増となり、搾乳ロボットや大型機械を多用する北海道型酪農では負担が大きい。燃料費や資材費も上昇し、農家の手取りは18年から大幅に減少した。22年には、酪農家の約2割が可処分所得マイナスに陥ったとされ、経営の脆弱化が進んでいる。
「投資負担」
第五に、畜産クラスター事業の返済負担が重くのしかかっている。生産性向上を目的に搾乳ロボットや牛舎整備を進めた農家は多いが、投資額は1戸あたり数千万円から数億円に及ぶ。金利上昇局面も重なり、返済負担は増大している。乳価が上がらず、飼料価格が高止まりする中で、毎月の返済が経営を圧迫し、資金繰りに窮する農家が増えている。
規模拡大を進めた農家ほど負担が重くなるという逆説的状況が生まれており、国が進めてきた「規模拡大・ロボット化ありき」の政策の歪みが、いま一気に噴き出している。
「副産物収入の減少」
第六に、副産物である初妊牛(お産を控えた未経産牛)や子牛の価格下落が収益を直撃している。数年前のピーク時には、1頭100万円前後で取引されていた初妊牛が現在では約50万円と半減した。酪農経営においてこれらの販売は重要な収入源であり、その減少は経営全体の収益悪化につながる。飼料高騰と相まって、牛1頭あたりの利益は大きく縮小し、経営の余力を奪っている。
以上のように、北海道酪農は「戸数減少」「労働力不足」「価格下落」「コスト高騰」「投資負担」「副産物収入の減少」という複合的な圧力にさらされている。これらは個々の農家の努力や経営改善では乗り越えられない構造的課題であり、地域の酪農基盤そのものが揺らぎつつある。もしこの流れが止まらなければ、私たちの食卓に当たり前のように並んできた牛乳や乳製品を、国内で安定的に生産できなくなる日が訪れるかもしれない。子どもの成長に欠かせない栄養源を海外に依存するという事態は、食料安全保障の観点からも看過できない。
持続可能な生産体制を
社会全体で支える
今求められるのは、単なる補助金や緊急対策の積み重ねではなく、北海道酪農の持続可能性を根本から再設計する政策的視点である。具体的には、地域ごとの飼料自給率向上、堆肥処理や環境対策の共同化、労働力確保のための生活環境整備、過度な投資負担を平準化する金融支援、需給調整の透明性向上など、構造改革に踏み込んだ取り組みが不可欠である。酪農家だけに負担を押しつけるのではなく、行政・業界・消費者がそれぞれの立場で役割を果たし、持続可能な生産体制を社会全体で支える仕組みを構築する必要がある。
とりわけ重要なのは、小規模・家族経営の酪農をどう支えるかという視点である。北海道酪農の基盤をつくってきたのは、地域に根ざし、土地と気候を熟知した家族経営の営みであり、その持続こそが国の食料安全保障の土台となる。
しかし家族経営の意義は、生乳を生産する〝経済主体〟としての役割にとどまらない。北海道の農村では、家族経営の酪農家が消防団、自治会、学校行事、祭り、環境保全活動など、地域コミュニティーのほぼすべてを支えてきた。離農が進めば、地域の行事や自治組織そのものが維持できなくなる。
家族経営の減少は、地域コミュニティーの衰退そのものにつながる。
したがって家族経営を支える政策は、農政であると同時に地域政策でもある。自給飼料の確保、草地更新や共同利用組織の整備、生活条件の改善、住宅支援、保育・教育環境の充実、地域医療の確保など、農村で暮らし続けられる環境づくりを総合的に進める必要がある。
さらに、家族経営を支えるうえで欠かせないのが、酪農ヘルパー制度やTMRセンター(飼料共同調製施設)など、地域の共同作業体制を維持・強化する支援である。これらは単に労働負担を軽減する仕組みではなく、家族経営が地域に根づき、持続的に営まれるための〝社会的インフラ〟である。ヘルパーの確保・処遇改善、TMRセンターの更新投資や運営支援など、共同体として酪農を支える仕組みを安定的に維持することが、家族経営の継続に直結する。
酪農家が安心して次世代にバトンを渡せる条件を整えることこそ、持続可能な酪農再構築の核心である。
国は、この酪農危機の深刻さを直視し、社会全体で支える仕組みを構築する責務を負っている。これは北海道だけの問題ではなく、日本の食料主権と未来世代の健全な成長を守るための、まさに国家的責務である。北海道酪農の再構築とは、単に生産体制を立て直すことではない。地域社会を守り、未来の子どもたちの食卓を守ることである。その責任を、いま私たちが果たさなければならない。
