日本資本の紡績工場にはじまった中国の「五・三十運動」

「諸君、生活が苦しいと感じているか?」

上海在住 中原 萌

 中国で暮らしていると、歴史が遠いものには感じられなくなる。私の住む上海の中心部には、租界時代の洋館や銀行建築がいまも残っていて、たった数世代前までこの都市が外国勢力によって支配されていたことに気付かされる。
 1919年に北京の学生たちが立ち上がった「五・四運動」は、日本でも比較的よく知られている。しかしその数年後の25年、上海でもう一つ大きな運動が起きていた。労働者の権利と、反帝国主義を訴える「五・三十運動」である。

労働運動からはじまった反帝国主義運動

 百年前の上海は、中国の都市でありながら、「中国人による」都市とは言いがたい場所だった。国内最大の貿易港としてにぎわっていたが、貿易・金融・産業を支配していたのは列強による外国資本。都市の中心部は、フランスが管理する仏租界、英米による共同租界、中国当局の区域が複雑に入り組み、行政権や警察権も列強に大部分が握られていた。
 労働者は低賃金と過酷な労働条件に苦しんでおり、少しずつ団結の動きが芽生えはじめていた。そのなかでも五・三十事件のきっかけとなるのは、日本資本系の紡績工場だ。
 1925年春、賃上げや労働環境の改善を求める中国人労働者と工場側の緊張が高まるなか、労働者の顧正紅が日本人監督に射殺される。これに抗議した労働者や学生、市民に対して、共同租界の租界警察が発砲。十数人が死亡し、多数が負傷した。これが五・三十事件である。
 この流血をきっかけに、運動は反帝国主義を訴える「三罷(工罷・学罷・商罷)」へと広がっていく。労働者はストライキに入り、学生は授業を放棄、商人は店を閉じた。都市そのものが動きを止める、いわばゼネラルストライキである。運動は全国に広がり、1700万人が参加する大規模な運動へと発展していった。全国規模の労働組合連合である「中華全国総工会」が結成されたのもこの時期である。
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上海歴史博物館に展示されていた当時のビラから、当初の様子がうかがえるので要約して紹介したい。
 ビラは冒頭でこう呼びかける。「諸君、生活が苦しいと感じているか。なぜ以前よりさらに苦しくなったか知っているか」
 それに続いて列強の支配を4点に整理して説明している。
 ①列強に関税権を握られ、輸入税を低く抑えられることで、国産品は振るわず、富が国外へ流出している
 ②列強は軍隊を使って鉄道や鉱山の権益を奪っている。さらに国内の軍閥は外国銀行から借金をして、戦争を続けているため、人々は命さえも脅かされている
 ③日本の資本家や租界当局(英仏)が労働者や学生を弾圧している
 ④租界の行政機関が街を取り締まり、印刷税や埠頭税などで人々の暮らしを支配している
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 「上海は上海人の上海ではないか!」という言葉から、列強への怒りがうかがえる。最後に、「団結せよ!帝国主義を打倒せよ!」と結ばれている。

生活や労働の問題の根源は?

 当然ながら1920年代の中国と現在の日本とでは、歴史的条件も、国際環境も大きく異なるため、重ねて語るつもりはまったくない。だが、五・三十運動から私たちが学べる視点はあると私は思う。
 1点目に、生活の問題と政治経済の構造を結びつけて考えるという姿勢である。
 五・三十運動は、金や労働環境、税負担や物価の上昇といった具体的な生活の困難を出発点にしながら、その背後にある帝国主義的な経済構造を暴露した運動だった。生活の苦しさを「個人の問題」あるいは「一企業の問題」としてではなく、支配(つまり政治)の仕組みと結びつけて理解しようとしたのである。
 現在の日本では、政治と経済が切り離して語られることが多いように思う。だが実際は、経済を動かすために政治があり、政治の背後には経済的利益が存在する。
 いま、多くの人の生活が悪化していることは疑いようがない。実質賃金は長期的に伸び悩み、物価上昇が家計を圧迫している。生産性は向上し、企業収益も拡大しているはずなのに、それが労働者の手取りには十分に反映されていない。この矛盾を私たちはどう理解するべきか。
 まず、国内における力関係の問題がある。労働組合は数十年で大きく弱体化し、非正規雇用も拡大したことで、労働者が交渉力を持てない状況になっている。規制緩和で得をしたのは企業だけで、働く人々の立場は弱くなるばかりである。
 そして、アメリカとの関係の問題。戦後、対米従属を続けてきた日本だが、最近ではトランプ大統領と高市首相でそれが加速し、巨額の対米投資、輸入拡大、軍事費増大と、アメリカの要求をのむばかりだ。その負担は最終的に税金や社会保障の圧縮という形で私たちに跳ね返ってくる。
 国内の階級構造、そして日米関係の構造を考えなおさなければ、生活の問題は根本的には解決しないのではないか。

「生活者」が声を上げるためには?

 2点目に、五・三十運動の人々から学びうることがあるとすれば、それは労働者の団結の意味である。
 彼らは「三罷」という形で、労働者、学生、商人が立場を超えて行動を共にした。「働かない」という抗議の形を共にとることで、国内外の支配層に大衆の力を示したのである。
 社会を機能させ、富を生み出しているのは、株主でも、経営層でもなく、日々「働く人々」である。その営みが止まれば、社会は一日たりとも動かない。だからこそ、共に動くことには力がある。
 もちろん、団結することも、声を上げることも、簡単なことではない。五・三十運動においても、上海のゼネストは大きな勝利を勝ち取ることはできなかった。だが、組織化と連帯の波は全国へと広がり、この運動は、中国の労働運動史、そして革命史の重要な転換点となった。
 「大衆の力で、帝国主義に抗う」。まさに広範な国民連合が目指すことではないだろうか。自主・平和・民主を目指して、政党や団体、立場の違いを超えた国民的な運動を育てる取り組みを各地で行っている。
 百年前の上海で、活動家たちは問いかけた。「なぜ生活が苦しいのか」と。いま私たちは、その問いを自分自身に向け、構造的な問題を見抜くことができるだろうか。
 百年前の上海で、活動家たちは呼びかけた。「団結せよ!」と。いま私たちは、業種や国籍、立場を超えて、「働く人」同士で手を取り合い、生活の主導権を取り戻せるだろうか。
 われわれも、一歩ずつ。生活の主導権を取り戻すための連帯を広げていこう。

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