「なかったこと」にする大きな力に抗う
お茶の水女子大学大学院博士後期課程1年 唐井 梓

2025年10月30日木曜日、夕方の衆議院第二議員会館の多目的会議室には、沖縄、そして全国から「性暴力を許さない」という強い意志を持つひとびとが集まっていた。「アメリカ兵の性暴力を終わらせたい!!─女性たちの連帯―」と題された院内集会会場は、繰り返される暴力に対する深い憤りと、だからこそ声を上げ続けるという揺るぎないエナジー、確かな紐帯をつくりあげることへの熱意に包まれていた。
本集会は、沖縄の女性たちによる連帯組織「フェミブリッジ沖縄」が主催し、「フェミブリッジ全国」が共催する形で実現したものである。本集会は、単なる抗議集会という枠を超え、基地問題とジェンダーの問題を不可分のものとして捉え直そうとする、新たな社会運動のうねりが感じられるものであった。
繰り返される暴力と、政府の「沈黙」による加担
冒頭に共有された問題意識は、繰り返される暴力を「なかったこと」とすることについてである。1995年、沖縄で起きた米兵による少女暴行事件。県民の怒りによって日米地位協定の理不尽さが白日の下にさらされたあの事件から2025年で30年が経過した。
しかし、事態は好転するどころか、より深刻になっている。本集会は23年の事件に端を発するものである。この年の12月24日、当時16歳未満であった少女が米軍の兵によって誘拐・性的暴行を受けた。しかし、この事実が沖縄県知事に伝えられたのは、事件発生から半年もたった24年6月であった。その半年間、外務省は米側からの通報を受けていながらもそれを県に知らせず、「なかったこと」として処理しようとしていた。
さらに恐ろしいことに、この事件が隠蔽されていた期間においても、3件もの米兵による性暴力事件が発生していた事実も判明した。
「もし最初の事件がすぐに公表され、注意喚起がなされていれば、その後の3件は防げたかもしれない」。会場で共有されたこの指摘は、日本政府の不作為こそが、性暴力に加担していることを鋭く指摘するものだった。
被害者のプライバシー保護を盾にした情報へのアクセスの遮断が、実際には米軍による性犯罪の矮小化と「加害者の保護」に使われている現実は、重く受け止められるべきものである。参加者たちの手元の資料に記された「#なかったことにしないで」というハッシュタグは、単なるスローガンではない。日本政府、そして社会への痛烈な批判であった。
日米地位協定と構造的差別
集会では、参議院議員の髙良さちかさんからの報告などを通じ、沖縄が直面する構造的な差別が浮き彫りになった。差別の根本にあるのは日米地位協定である。
日本で起きた事件であるにもかかわらず、日本の裁判所で裁かれないといった問題は、米兵が罪を犯しても、容疑者が基地内に逃げ込めば日本側の警察権が及ばないことを指す。また、起訴前の身柄引き渡しが壁に阻まれ、そのまま本国へ逃亡されるケースすらある。
これは、明らかに沖縄および基地周辺地域に住むひとびとの権利や尊厳よりも、米軍の権益が優先されている状態である。これは、基地を沖縄に押し付け続けている日本政府によって、日本国憲法が保障する法の下の平等が踏みにじられていることを意味する。報告のなかでは「基地をなくさない限り、性暴力はなくならない」ということが強調された。
今回提出された要請書には、2024年7月に沖縄県議会が全会一致で可決した意見書に基づく以下の4項目が掲げられた。
1、被害者への謝罪及び完全な補償を行うこと。
2、被害者への丁寧な精神的ケアを行うとともに、セカンドレイプの防止を徹底すること。
3、日米合同委員会を通じ、迅速な通報ができるよう断固たる措置を取ること。
4、日米地位協定の抜本改定、特に身柄引き渡し条項の早急な改定を行うこと。
これらの要求は、決して無理難題や理想論ではない。主権国家として当然の義務であり、市民の安全を守るための最低限のルールである。しかし、この当たり前の要求が30年以上も無視され続けている事実を、わたしたちは改めて直視しなければならない。
市民による連帯によって、
国家の権力・暴力に抗うこと
今回の院内集会は、時宜を逃さずに開催された意義深いものである。要請書にも記された通り、25年10月、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、在沖米軍による性暴力を「ジェンダーに基づく暴力」と明確に認定し、日本政府の不作為を厳しく指摘する勧告を出した直後の集会であった。国際的な人権基準に照らし合わせても、現在の日本政府の対応は看過できようがない。
この日提出された署名は、25年10月29日時点で5万4000筆を超えていた。この数字は、沖縄県内だけでなく日本全国、そして世界中から寄せられた「なかったこと」にする権力・暴力に対する、市民の「NO」であり、抵抗の証左である。集会終盤の「フェミブリッジタイム」では、参加者によるマイクリレーが行われた。「沖縄の問題を自分の問題として考えたい」「もう沈黙するのはやめる」というそれぞれの声のなかで、「どこの馬の骨」をもじった「わたしは〝馬の骨〟です」という市民のひとびとの「名乗り」が印象的であった。この名乗りの意義は、この社会に生きる誰もが一市民としてこの国家の権力・暴力に抗うことを示している点にあるだろう。
占領期から続く、米軍による暴行事件。被害に遭ったひとびとの痛みや恐怖、尊厳の剝奪について、わたしたちが完全に共有すること、「わかった気になること」はできない。しかし、その痛みを誤訳・代弁・翻訳することなく、「なかったこと」にしようとする力に対して、共に抗うことはできる。
「アメリカ兵の性暴力を終わらせたい」という本集会のタイトルは、一見すると特定の加害者を指しているように見える。しかし、その本質は、性暴力を容認し、隠蔽し、構造的に温存させている日本社会と日米関係そのものへの異議申し立てである。沖縄から基地をなくさない限り、性暴力は、暴力はなくならない。しかし、基地がある現状においても変革を起こす必要がある。法改正や制度変更への具体的な変革を実現するために、真に必要なのは、わたしたちが諦めずに声を上げ続けることだ。この連帯のための院内集会が、沖縄と本土を、被害者と社会を、そして現在と未来をつなぐ架け橋となるよう、わたしたち市民による不断の努力が求められている。
分断を綴じなおし、差別と暴力のない社会のためのわたしたちの行動はここから始まる。「To Doプラカ」に書きしるしたそれぞれの決意を胸に、わたしたちはまたそれぞれの場所で、しかし確かなこころざしでつながりながら、声を上げ続けていく。誰の被害も「なかったこと」にさせないために、語り続ける抵抗を、折り重ねていく時である。
