「脱亜入欧」から「アジアに生きる」へ
『日本の進路』編集長 山本 正治
今年は日本軍国主義の「敗戦」80年である。
だが、突然に1945年8月15日になったわけではない。そこに至る明治維新以来の近代日本の歩みのきちんとした総括が必要である。その後の、米軍占領支配下から始まる80年間の戦後日本の行き詰まりも誰の目にも明らかである。その総括も避けられない。
わが国は、明治以来の「脱亜入欧」・大国化路線を総括し、「アジアに生きる」進路に切り替えなくてはならない時だ。
明治維新に含まれていた1945年の敗戦
160年前成立した明治維新天皇制政府は、内に圧政と収奪に苦しむ農民の大規模な蜂起と旧体制を支えてきて捨てられた下級士族の不満などに対処を迫られた。同時に外には、徳川幕府が結んだ欧米諸国に治外法権を許す不平等条約と強圧に苦しめられた。
同時に、日本の支配層にとっては産業革命から始まる欧米の潮流に追いつくことが最大の課題だった。脱亜入欧・軍事大国化である。広範な国民連合の良き理解者だった故西原春夫先生(元早稲田大学総長)は、「明治維新の原動力は外圧」と論断し、同時に「しかし、そこに太平洋戦争開戦と敗戦の要因が含まれていた」と喝破した。
明治政府は1871年(明治4年)、清国(今日の中国)との国交を開く条約(日清修好条規)を結ぶ。
この時、清国側の代表李鴻章は「西洋諸国から不当な圧迫を受けた時はともに助け合おう」という一種の政治同盟を提起する。しかし日本側はそれを拒否する。理由がふるっている。「両国が同盟関係にあると疑われると西洋諸国から圧迫される」と。それを聞いて中国側は、それほど米英が怖いのならば清国との修好条約もやめたらどうか、と迫った。
それでも双方調印した条約の第1条で「(両国は)侵越する事なく永久安全を得せしむへし」と相互不可侵を確認した。さらに第2条で、「他国より不公及ひ輕藐(軽蔑)」を受けたときには、連絡を取り合い、相助けるなど友誼を厚くすることを確認した。
しかし英米を恐れた明治政府は条約批准を逡巡し、第2条の削除を申し入れる。それも清国側に拒否され結局73年に批准した。
英米など帝国主義のアジア侵略支配を拒否し、「アジアでともに平和に生きる」道を選択する機会が160年前にもあったのだ。
しかし、時の政権は拒否したにとどまらなかった。逆にアジア近隣諸国への侵略を企てる。
今日の危機への自民党の対処策とあまりにも相似していないか。
英米にそそのかされて
1874年、琉球王国・宮古の船が台風で遭難し台湾に流れ着いた。そこで台湾住民に乗組員54人が殺されたことを契機に明治政府は陸軍を台湾に送り清国政府に圧力を加えた。明治政権の最初の対外軍事行動だった。前後して琉球王国を力で滅ぼし併合した。
この時も英米の「支援」を受ける。それにとどまらず北京に赴いた日本代表大久保利通に英国公使は朝鮮支配を薦め、日本がそれをやれば英国は支援するとそそのかす。英帝国主義は、当時アジアに侵出を狙う軍事大国ロシアと覇権を争っていた。日本を極東での前哨に立てようとしたのであった。
この後、明治政府は朝鮮に対してとりわけ高圧的だった。2年後の76年に日韓修好条約を結ぶ。治外法権、日本紙幣通用など、日本が欧米から押しつけられていた不平等条約を超える苛酷な条約だった。
こうして軍事国家の基礎が築かれる。94年からの日清戦争で日本は、清国の朝鮮に対する支配権を放棄させた。実際の戦費の1倍半の賠償金、台湾・澎湖島・遼東半島を奪い取った。この賠償金で軍事力強化に乗り出す。さらに英米から戦費調達支援も受けてロシアと戦った1904―05年日露戦争では、韓国の支配権と中国・旧満州でのロシア利権であった旅順、大連の租借権と南満州鉄道を奪い取った。10年大韓帝国を併合、日本はアジアでの植民地帝国となった。
その後、「満州事変」(31年9・18事件)、翌年の「満州国」デッチ上げ、37年7・7盧溝橋での軍事挑発から中国全土への侵略戦争。……日本侵略軍はアジア大陸全体に戦火を広げる。同時に、アジア太平洋支配をめぐる米国との帝国主義間戦争も引き起こされる。
45年の「二つの敗戦」を迎える。
わが国は、この明治以来のアジアへの侵略戦争、植民地支配、そして敗戦の歴史をきちんと清算しなくてはならない。80年前の敗戦時にも総括清算しなかった。
進んだアジア
取り残される日本
天皇制政府を支えた支配層、今日につながる自民党勢力は1945年、アメリカ占領軍支配の先兵となって生き延びた。講和条約で形式的独立後も対米従属を国家の基本として甘受し、その下での企業利益第一の政治を進め今日に至る。
だが今日のアジアは、かつてのアジアではない。
IMF(国際通貨基金)の推定では全世界GDPの44・2%はアジア太平洋地域であり、日中韓3国でも実に24・7%、4分の1を占める(2024年。購買力平価GDP)。とくに中国の躍進がめざましく、米国のGDPは29兆ドルにとどまるが中国は38兆ドルである。
これは経済力の現状だが、将来と軍事力に決定的に影響する科学技術ではもっと特徴的である。
オーストラリア戦略政策研究所の先端技術研究競争力ランキングでは、人工知能(AI)など軍事転用可能なものを含む64の重要技術の9割近い57で中国が首位だった。米国は03〜07年の5年間では9割超の60でトップを占めていた(24年8月発表)。
AIで世界最先端の研究機関を擁する米国スタンフォード大学が今年4月に発表した報告も劇的である。「人類歴史の転換点」をもたらすと言われるAIの開発で、「質では米国が、量では中国が存在感を放ってきたが、性能面でも中国は急速に米国との差を縮めている」とのレポートである。AI開発についてはその後、中国人の開発が「ディープシーク・ショック」などと言われ世界を驚愕させている(本誌「『DeepSeek革命』を評す」を参照)。
日本がどの道を進むべきか。もはや言うまでもないであろう。
経済だけでなく深刻化する気候危機対策、ウイルス感染症対策などを含めて、とりわけ東アジアの連携は不可欠である。
アジアに生きる日本の
ために
敗戦80年は、アジア侵略植民地支配と戦争の歴史をきちんと総括し、国の進路を定めるときである。これ以上その時を延ばしてはならない。
韓国との1965年の日韓条約では朝鮮半島植民地支配の清算は済んでいない。わが国は明確に反省し謝罪して再出発すべきである。とくに朝鮮民主主義人民共和国とは即時無条件に国交正常化を実現しなくてはならない。
中国とは、72年の国交正常化時の共同声明など「4つの合意文書」を文字通り厳守する態度を明確にすべきである。とくに、台湾について「中国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とした共同声明からいささかも逸脱しない態度を堅持しなくてはならない。最近は、自民党要人などが「台湾有事は日本有事」などと繰り返すが、こうした「台湾」を「独立」国として扱うような策動を許してはならない。
「80年」に際して、脱亜入欧・大国化の軍国主義路線をしっかりと反省謝罪し、アジアの一員として生きる「自主の国」への誓いをするときである。