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報告 「日中の平和な未来をねがう市民のつどい」(3月1日鎌倉市)

私たちが私たちの平和をつくるのだ

横浜国立大学名誉教授 山本 泰生

 昨年11月の高市首相の台湾有事発言以来、緊迫した日中関係は、いまだに打開の糸口は見えていません。私たちはこれを憂慮し、中国出身の方々を含む多数の参加を得て、日中の「平和をねがう」つどいを3月1日鎌倉市で開きました。
 以下は、そこでの私の報告です。

平和をつくる「当たり前」

 昨今は、素直に「平和をねがう」なんて口に出しにくい、という雰囲気もあります。昨日も、また戦争が始まりました(米国のイラン攻撃)。
 しかし、哲学者のカントが、戦争は「始まる」ものではないと言っています(『永遠平和のために』1795年)。戦争は人間が「始める」ものだ、人間が「終わらせる」ものだ。そして「平和」は私たちが「つくる」ものだ、と。
 カントのこのような指摘を少々大胆にアレンジして、以下にまとめてみました。
 第一に、戦争を「終わらせる」主語は人間だ。第二に、その一つの目標が「仲直りの約束」だ。第三に、戦争をやるとしても、その後にはやっぱり仲直りをするのだから、仲直りが不可能になるようなむちゃくちゃなことをしてはいけない。
 第四、政治体制が違っていても仲直りはできる。今回のイラン戦争では、いきなり相手の指導者を殺す、というところから始めたわけですから、これで「終わらせる」ことができるか、と考えると、もう大変に困難だろうということが分かります。
 第五、「仲直りの相手」を間違えてはいけない。見当違いの相手と手打ちをしようとしても、うまくいくわけがない。
 第六、仲直りの約束は「誠実」に守る。そうしないと、また壊れます。現在の日中間の関係は、両国の先人たちが大変な苦労をして「つくってきた」ものだ、だから「壊れやすい」、ということを肝に銘じておきたい。
 そして、最後の第七点として、もし壊れるようなことがあるなら、それは政府だけではない、私たち一人一人の責任であるということ。
 今日、「過去を振り返ろう」というときのポイントは二つです。一つは、仲直りができるまでの「大変さ」。もう一つは、私たちはこれまで「誠実」にやってきただろうか、ということ。それを、ご一緒に考えていきましょう。

高市発言の何が問題だったか

 高市首相は国会で、「戦艦を使って武力の行使を伴うような場合は存立危機事態に当たる」と答弁しました。
 ここには内容と形式の二つの問題があります。集団的自衛権とは、そもそも「他国」の戦争に関与することです。国連憲章では「他の加盟国」が攻撃された時の規定とされています。
 しかし、台湾は国連に加盟していない、日本も「国」として交際しているわけではない。その台湾を「他国」とみなし、武力行使もありうる、としたその「内容」が問題です。
 また、現職の首相が国会という場で、つまり「政府の公式見解」と受け取られる「形式」を踏んで、発言した。要するに、内容的にも形式的にも、重大な問題発言でした。

なぜ中国は怒っているのか~日中共同声明を振り返る~

 ただ、中国が大変怒っているというので、日本では、「なぜそこまで?」と当惑する人もいるようです。
 ここで、日中の仲直りの原点、1972年の国交正常化時の日中共同声明を振り返ってみましょう。そこで約束したことを、高市首相は守っているといえるでしょうか。
 ここで、日本側は、中国に二つのことを約束しました。まず「戦争を反省する」、そして「台湾は中国の一部と認める」、この二つです。今になって、台湾については武力を使うかもしれない、と言い出すなら、仲直りをご破算にするのかと思われても仕方がありません。

「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(一九七二年)  【要点を抜粋】
 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
一 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

 1972年の日中共同声明が「原点」だと言いますと、「あれ?」と思う人もいるでしょう。私たちは昨年が「戦後80年」だと思っていましたが、じつは、私たちが「戦争の終わり」と思っている1945年を過ぎた後も、日中両国の間は「平和」とは呼べない状態が続いていました。「仲直り」ができないまま、いつまた撃ち合いを始めてもおかしくない状態だったのです。

仲直りができるまでの大変さ

 現在、よく、「あの戦争」という表現がされますが、これは漠然と、太平洋戦争が始まる以前に事実上の「戦争状態」があった、という理解を言い表しています。その「戦争状態」の始まりは「満州事変」(1931年)とされていますが、では、この満州事変はいつ終わったか。
 じつは、これが「終わらなかった」。「仲直り」ができないままズルズルと太平洋戦争まで行ってしまう。その太平洋戦争は、日本がポツダム宣言を受諾してやっと終わります。この中国(中華民国政府)も加わった宣言を受諾したわけで、日中の間の戦争もひとまずの区切りになった。ただ両国間は、そこからスムーズに「仲直りの約束」まで進むことができませんでした。1978年の日中平和友好条約を待たねばならなかった。ですから1931年から「47年間の戦争状態」が続いたことになります。と言いますと、「ウソー、そんなこと初めて聞いた」という方もいるかもしれません。しかし、戦争は「終わらせる」ものだという観点から見れば、平和条約が成立するまでは「戦争状態」というほかないのです。
 その約束を、現職の首相が、国会で、ひっくり返すような答弁をしてしまう――これはもう「戦争状態に戻ろう」と言っているようなものだ。そういう大問題だということを理解している方が非常に少ない。

年表と「平和をつくる七つのステップ」

 ここで、年表を見てみます。最初の「日清修好条規」、これは平等で対等な条約でした。そして、最後の「日中平和友好条約」、これも対等で平等な条約です。この間の長い長い期間が、不平等でした。ここにあの七つのステップを重ね合わせてみましょう。


 まず、中国や韓国にとってもっとも大切な年が1919年です。朝鮮半島に「三一独立運動」が、中国に「五四運動」が起こります。このとき初めて、中国や韓国の民衆が政治の舞台に登場する。この民衆と仲直りをしないかぎり、「戦争状態」は終わりません。
 しかし、満州事変の時も、日中戦争を始めた後も、中国民衆を代表する政府を「相手」にしない。中華人民共和国ができても、こちらを「相手」にしないで、台湾と手打ちをする。これでは終わるものも終わりません。

「仲直りの約束」の中身~「戦争の反省」と「賠償の放棄」

 共同声明の要点は、日本側が「戦争について反省する」、そして、中国側が「賠償を求めない」と約束する、この二つです。この点を、竹内好は「二つは一つ」だと言っています。賠償放棄? 儲かった! というのではなくて、こちらもしっかり「反省」をする。国と国との交際にも、そういう「道徳」の根っこがなければいけない。
 「賠償放棄」と言っても実感しにくいので、グラフにしてみました。これは死者数だけの比較ですが、これほど違う。中国側は、こうした莫大な被害について、「放棄する」と言い切ってくれているわけです。

「仲直りの約束」の中身~「一つの中国」を認める

 共同声明では、日本側も「台湾を中国の一部」と認めているのです。しかしその表現が非常に分かりにくい。その原因は、要するに「中国」抜きのサンフランシスコ条約、「中国」無視の日華平和条約(日台条約)にあります。中国はこの二つの条約を絶対に認めません。そこが大前提ですから、もともと大変に難しい。
 そこで、ポツダム宣言です。ポツダム宣言には「カイロ宣言を履行しろ」と書いてある、カイロ宣言には「台湾は中国の一部だから中国に返せ」と書いてある、これを日本はもう受諾しているじゃないか!――
 こんなに回りくどくなったのは、中国側の表現を受け入れたら、首相も外相も右派に殺されかねなかったからだ、と言われています。

周恩来総理の言葉、田中首相の言葉

 1972年に、田中角栄首相は、戦争について「迷惑をかけました」と謝ったのですが、これが、大変軽い言葉に翻訳され、問題になりました。結局、共同宣言の前文に「日本は反省する」とはっきり書くことにして、折り合いがつきました。
 しかし、「誰が」反省するのでしょうか。田中首相だけでなく、いまの高市さんを含めた歴代首相が反省しなければいけないはずです。それがいつの間にか、田中さんが謝ったから済んだ、と思っていないだろうか。また首相だけ、政府だけでいいのか。「民衆」はどうなのか。
 同じときに、周恩来総理は、軍国主義者と人民、政府と民衆とを区別しよう、ということを言いました。
 1960年に、森繁久彌さんは「まず私たちが詫びること」だ、「心から(良心から)詫びよう」ではないかと言いました。仲直りの「主語」はほかの誰でもない、私たち日本の民衆です。
 私たちが私たちの平和をつくるのです。私たち日中両国の民衆の苦心が、上野にパンダを呼び寄せたんです。ぜひまた、私たちの努力で、パンダに来てもらえるようにしましょう。