シンポジウム「日米地位協定とは何か」(横浜市・11/8)報告

日本の主権を取り戻す、
その主体性を考える議論を

ライター・慶應義塾大学在学 白坂 リサ

シンポジウム前夜――だれも関心を向けない日本の空
 2025年11月8日、土曜日。天気は良くも、悪くもない。
 私は横浜駅にいた。13時30分、約束の時間まであと少し。私は足を急がせる。会場の「かながわ県民センター」は駅西口から徒歩数分の場所だ。
 見覚えのある風景。ああそうだ。先週末もここへ来たのだった。日曜日、私はここ横浜駅西口で某医療品店の割引チラシを配っていた。朝10時から17時まで、休憩を含め計7時間。時給1250円。
 「期間限定キャンペーン、やってまーす!」
 そのとき、声をかき消すような轟音。米軍ヘリだ。上京したての頃は、毎回「戦争でも始まったのか!」とおっかなびっくりしていたものだ。でも、もうだいぶ慣れた。
 私は少し顔をしかめながらも轟音に負けないくらい大きな声で、「11月だけの特別割引、いかがですかー!」とチラシを向ける。行き交う人々は、チラシにも、空にも、目を向けない。店の水色のベストを着て不特定多数に奇妙な笑顔を振りまく私を避け、ポケットに手を突っ込み、ひたすらに顔を下げながら(あるいは恋人と腕を組み、お互いを見つめあいながら)、彼らははや足で通り過ぎてゆくのだった。
 この国で、自国の「空」に関心のある者は少ない。
日米地位協定
 それは、1960年の日米安保条約改定と同時に、それまでの「日米行政協定」を引き継ぐかたちで結ばれた、安全保障上における米軍の権限と日本側の義務・制約を定める枠組みだ。
 日本の上空を轟くヘリの音。基地周辺の住民たちが抱える騒音や環境被害。事故があっても、米軍関係者の身柄は日本側が容易に確保できない刑事手続きの特殊性。さらに、日本全国どこにいても、米軍機は日本の航空法の「低空飛行規制」などの適用を受けない。
 「主権国家のはずの日本に、主権の届かない領域がある」――この問題の根にあるのが、まさに日米地位協定なのだ。

横浜で生まれた
小さな公共圏

 会場のホールには、学生、会社員、政治家、地域で活動してきた市民など、年齢も背景も異なる約80人が集まっていた。実行委員のあいさつに続き、私を含む7人の学生によるスピーチが行われた。
 「活動報告や政治への思いを、それぞれ5分で」
 短い制限時間ながら、一人ひとりの声には、日常の疑問、政治への憤り、そして未来への確かな思いがにじんでいたように思う。
 「『日本人ファースト』と唱えるならばまずこの問題に取り組むべき」
 「被選挙権年齢引き下げの問題に取り組んでいるが、主権を侵害されているという文脈で地位協定の問題は同じ文脈上にある」
 といった声が聞かれた。
 続いて、ジャーナリスト・布施祐仁さんが登壇し、日米地位協定問題を取材するようになった経緯を語った。他講演ではあまり触れられない、布施さんの個人史を交えたその語りに、私も強く引き込まれた。
 それぞれの発言は、各々の生活実感や、それに基づく活動と結びついており、まるで「政治が自分の生活に触れる瞬間」を、会場全体が共有しているような感覚だった。
 その後、神奈川県で住民や議会が進めてきた「地位協定の見直しを求める陳情」活動について特別報告が行われた。基地周辺だけでなく広い地域で、地位協定問題が「市民の人権問題」として捉え直されているという。
 約30分のグループ・ディスカッションでは、9つのグループに分かれて議論した。
 知識や情報を持ち寄りつつ行う、世代を超えた対話は新鮮で、私は「国民運動」としての日米地位協定改定への連帯の意を改めて確認した。

沖縄出身の慶大生・崎浜空音さんのメッセージ

 議論後は学生たちによる感想発言が続き、全体のファシリテーターを務めた崎浜空音さんが三つのポイントを挙げて語った。
 ①知識を深め、繫がりをつくる
 「沖縄でも勉強会が開かれている。全国で繫がり、こうしたイベントを広げたい」
 ②地方から声を上げる
 「神奈川の陳情を全国でも。議員は市民を守るのが役割。基地がなくても、地位協定は市民の人権の問題」
 ③国会議員を変える
 「立法を担うのは国会議員。私は議員全員にメールを送り、政党ではなく個人としてどう考えるかを確かめている」
 会場には、静かな、しかし手ごたえのある「決意」の空気が広がった。

日米地位協定を問い直すという「筋」を通す政治を

 先の自民党総裁選では、多くの候補が「国を守る」「主権を守る」と訴えた。しかし、もしその言葉を本気で掲げるのであれば、真っ先に取り組むべきは日米地位協定の改定である。
 私が、一保守政治家として石破前首相を評価しているのは、この点について「検討する」と明言していたからだ。「国を守る」と繰り返す政治家ほど、その核心である地位協定には触れようとしない。
 日米地位協定は日本の主権を深く制限している。米兵が公務中に犯罪を起こしても日本は第1次裁判権を持てない。運用を決める日米合同委員会は議事録非公開であり、横田空域のように日本上空の制空権すら米国管理下に置かれる状況である。
 1977年の横浜での米軍機墜落事故でも、米兵は日本で裁かれることなく帰国した。2024年には米軍関係者の犯罪件数が過去20年で最多となり、起訴率はわずか1割。インバウンドや急増した外国人労働者という、都市部にいて目に見える治安への不安を不用意に煽り立てる前に、まず足元の数字に向き合う必要がある。
 他国ではすでに協定改定が進んでいる。フィリピンは基地設置場所を23カ所に限定し、米兵犯罪の裁判権を獲得した。ドイツも補足協定により基地管理を定期的に見直している。権利を取り戻す交渉は可能なのだ。では、なぜ日本だけが沈黙し続けてきたのか。
 いま必要なのは、抽象的な「国防」ではなく、具体的に国民を守る政治である。
 日本の在日米軍負担額は奨学金制度に匹敵する規模である。外交努力によって負担が軽減されれば若者の借金は確実に減らせる。学生の二人に一人が借金を背負い、将来への不安や実家に依存した生活を強いられ、精神的に追い詰められる若者も多い社会で、政治が向き合うべきは防衛費の積み増しではなく「生活」の安全のはずだ。
 近代以降、日本は治外法権の撤廃と関税自主権の回復を国民的願いとして勝ち取った。ならば現代の私たちは、日米地位協定という「残された不平等」にどう向き合うのか。
 そのためには、安保の現実や米軍カルチャーの影響も踏まえ、日本が今後どのようなアイデンティティーを持ち、どのような国際的立ち位置を獲得し、何を目指し、自立した国として生きるのか、真剣に議論を進めなければならない。
 日本の主権を取り戻す、その主体性を考える議論を、今ここから始めていこう。