自分の無知と向き合い、歴史を体感した訪中の旅
団員 西南学院大学学生
今回の訪中は、私にとって、ただの旅行ではなく、「歴史」と「現在」に向き合う重要な体験となった。中国に対する漠然としたイメージしか持っていなかったが、現地での見学や人との対話を通して、自分の無知と向き合い、考え方が大きく変わった。
特に印象に残ったのは、ハルビンで訪れた七三一部隊展示館と偽満州国警察署だ。日本国内では加害の歴史を学ぶ機会が少なく、私自身も「されたこと」ばかりを学んできた。展示された写真や証言、人体実験の記録など、そこにあったのは「歴史」として片付けられない、人間の命の重みと残酷さだった。中でも、「荷物」として人間を扱い、死ぬまで実験を繰り返した記録には言葉を失った。自分の国が、こうした非人道的な行為をしていたという現実を前に、胸が締め付けられる思いだった。
盧溝橋や抗日戦争紀念館では、日本が中国を侵略した事実を被害者の視点から知ることができた。南京大虐殺の写真や証言は、これまでの教科書やニュースでは見たことのないものばかりで、「戦争=国同士の争い」ではなく、「一人ひとりの命が奪われた現実」なのだと痛感した。「正義は必ず勝つ」「振り向くな、前を向け」という言葉が、ただのスローガンではなく、悲しみの先にある強い意志として心に響いた。
学びの場としての大学と、交差する歴史認識
一方で、北京大学紅楼や清華大学では、中国の社会主義の成り立ちや若者たちの政治的な熱意に触れた。毛沢東が若き日に司書として働きながらマルクス主義を学んでいたことや、当時の学生運動に女性も積極的に参加していたことなど、今の中国につながる思想のルーツを体感できた。特に北京大学の副学長が地位を捨てて学生運動に参加したエピソードには、教育者の信念を見た気がした。
また、清華大学での学生との交流では、台湾や尖閣諸島問題について議論が起こった。中国側から見た台湾問題の認識と、日本側の感覚のズレを実感し、歴史や領土問題は「一つの真実」ではなく、立場によって見え方が大きく異なることを改めて感じた。同じ日本人でも、沖縄出身の参加者は日本政府に対して被害者意識を持っており、戦争や歴史の話は地域によっても認識が違うことに気づかされた。
「知る」から「伝える」へ、自分なりの発信のかたち
私は普段、一人旅でじっくり考えることが多いが、今回のように集団で意見を交換することで、自分の考えをさらに深めることができた。そして「現地に行って知る」ことの重要性に加えて、「知ったことをどう伝えるか」という課題とも向き合うようになった。長崎の平和活動をしている参加者のように、強く発信するのは正直苦手だが、自分なりの言葉で、体験に基づいた話ができるようになりたい。
また、現地でのスケジュール変更に対して不満を感じた場面もあったが、それが安全面を最優先にした判断であったと後から知り、自分の配慮の足りなさを深く反省した。この経験を通じて、物事を一面的に捉えず、背景を知ろうとする姿勢の大切さを学んだ。
歴史を「事実」として学ぶことと、「現地で感じること」は全く違う。今回の訪中団は、知識としての歴史ではなく、感情を伴った実体験としての歴史を私に与えてくれた。私はこの経験を「知って終わり」にせず、自分なりの方法で発信し、周囲の人と共有していきたいと思う。そして何より、自分が「知らなかったことが多すぎた」と実感した今、その無知を恥じず、これから学び続ける姿勢を持ちたい。