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被爆80年  大澤 新之介

 100年後に向けて

被爆4世としての私の責任

MICHISHIRUBE代表理事 大澤 新之介

 2025年、長崎は被爆から80年という節目を迎えました。この年にあたり、私は「被爆の実相の継承」と「戦前・戦中の加害の歴史への向き合い」について、次世代を担う若者の立場から問い直しています。この記事をお読みいただいている皆さんの多くは、戦後の復興と平和運動を支えてこられた先輩方だと思います。心より敬意を表するとともに、私は次の100年に向けてバトンをどのように受け継ぎ、走り出すかについて、今の私の思いをお伝えしたいと思います。

曽祖母の記憶から始まった問い

 私は被爆4世として長崎に生まれました。被爆者だった曽祖母は、私が高校に入学した年に他界しました。それまで平和について深く考えたことはありませんでしたが、彼女の死をきっかけに、幼い頃に一度だけ聞いた被爆体験を思い出しました。「人の焼けたにおいが忘れられない」という彼女の語りは、私の中に静かに息づいていたのです。
 その原点から、私は高校生平和大使として活動を始めました。コロナ禍のため渡航はかないませんでしたが、世界中の高校生とオンラインでつながり、一本の動画を共同制作し被爆の実相を伝えました。画面越しの対話であっても、真剣な目を向けてくれる若者の姿に、私は継承の可能性を感じました。

被爆の実相を「語り継ぐ」から「担い継ぐ」へ

 大学進学後、私は一般社団法人「MICHISHIRUBE(ミチシルベ)」を立ち上げ、若者が主体となって平和活動に取り組める仕組みづくりに挑戦しています。被爆者の証言をただ記録するだけでなく、若い世代自身がその意味を問い直し、自らの言葉で再構築する「担い継ぎ」を目指しています。
 中高生向けの平和学習授業、平和と観光を掛け合わせたデジタルスタンプラリー、平和をテーマにしたファッションブランド「4PS」など、平和の価値を社会に実装する挑戦を続けています。これらの活動は、NHKのドキュメンタリー番組にも取り上げられ、全国放送されました。
 活動の根底にあるのは、「共感」だけでなく「価値」に基づいた仕組みづくりです。感情に訴えるだけでなく、対価が生まれる形で平和を伝えることで、持続可能な活動を可能にしました。売り上げは2年間で約500万円を達成し、長崎市教育委員会との連携も実現しました。

被爆地・長崎が抱える
「矛盾」との対峙

 私が特に大切にしているのは、被害の歴史だけでなく、加害の歴史にも目を向けることです。
 長崎は原爆という甚大な被害を受けた町であると同時に、戦前には兵士が出征し、朝鮮人労働者が強制的に働かされた場所でもあります。
 この事実に正面から向き合うことは苦しい作業です。しかし、平和を語る上で加害と被害の両面を見つめることは欠かせません。日本がアジアで果たしてきた役割や過ちを共有し、反省の上に立って未来を築く。それが「真の継承」だと私は思います。
 私たちは、中国や韓国の若者と歴史を語り合う場をつくろうと動き出しています。戦争責任をめぐって対立するのではなく、「対話」を通じて相互理解を深める場を作ることこそ、私たち若い世代に託された役割です。

次の100年を
見据えた挑戦

 今後、私が目指すのは、MICHISHIRUBEを「若者が社会課題に挑戦できる発祥の場」として育てることです。大学生だからこそ持てる柔軟な発想や行動力を社会に生かし、次々と新たな挑戦者が生まれる土壌を築いていきたいと考えています。迷ったときには立ち戻れる「道しるべ」となれるような環境を整えます。
 また、個人としては国際的な活動への展開も目指しています。現在、MICHISHIRUBEにはアジア圏を中心につながりを持つ学生が多数おり、今後はそのネットワークを生かして、海外での平和・共生プロジェクトを展開していきたいと考えています。

結びに代えて

 この記事が掲載される『日本の進路』の読者の多くは、これまで平和を守り続けてこられた世代だと思います。私たち若者がその意思をどのように引き継ぎ、どんな形で100年後につなげていくか――その模索は今、始まったばかりです。
 被爆の実相を「知る」から「担う」へ。歴史の過ちと誠実に向き合いながら、希望ある未来を築くために。「過去を知り、今を見つめ、未来を創る」。私は、これからも学び、問い続け、そして行動し続けたいと思います。