歴史修正主義に抗い歴史の真実をつなぐ
長野県上田市議会議員 石合 祐太(松代大本営追悼碑を守る会幹事)
私は、松代大本営追悼碑を守る会(会長=表秀孝・長野大学名誉教授、以下「追悼碑を守る会」という)に参画して活動をしている。この会は1995年8月に象山地下壕入り口に「松代大本営朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」を建立して、碑の管理や地下壕見学者の案内、工事の真相調査などの活動をしている。
アジア・太平洋戦争末期に本土決戦の遂行と「国体護持」を目的に政府中枢機関や放送機関などを移転するという一大「遷都計画」が秘密裏に計画された。長野市松代に大本営工事が開始された日が1944年11月11日だ。敗戦まで約9カ月間にわたり、昼夜を問わず過酷な突貫工事が行われた。工事は、朝鮮半島から強制連行されたり、国内の建設現場から動員されたりした朝鮮人労働者が主力だった。発破事故などで犠牲者も多数出たが、その人数はいまだに正確にはわからない。日本のアジア侵略と加害の象徴である松代大本営。二度と戦争を引き起こさない日本人の反省と決意が込められた史跡である。
私の母校である長野市の高校が沖縄戦の歴史を学ぶ学習から地元にも戦争史跡があるが、放置されている状況であることに着目し調査を始めたことをきっかけに一般公開につながってきた経過もあり、私はこの運動に加わっている。
松代大本営象山地下壕の維持管理は、長野市(市商工観光部観光振興課所管)が行っており、長野市は地下壕入り口に案内看板を設置し、案内パンフレットを見学者に配布している。
突如「強制的に」にテープが
2014年に長野市は、市が設置した松代大本営地下壕の説明看板から、建設工事に動員された朝鮮人などについて従来「強制的に」と表現していた文言に白いテープを張り隠したうえ、市が作成した案内パンフレットも作り直し、同様に「強制的に」動員されたという表現を削除していることが判明した。
「追悼碑を守る会」として同年8月11日、「強制的に」という文言を復元するように長野市に緊急の申し入れを実施した。応対した長野市副市長は「『強制的に』という部分を白いテープで覆ったことは、思慮を欠いた対応であり、混乱を招いたことをお詫びする」と謝罪、「史実に沿った正確な説明となるよう案内表示を早急に改める」と述べた。暫定的な措置として、①案内看板の原状回復は直ちに行えないが、「地下壕の案内説明について精査中である」旨の表示を行う、②新しい改訂版の案内パンフは地下壕訪問者への配布を中止するという態度を表明した。
長野市は、庁内に設置した「検討会」で3回にわたり案内表記について協議した。
長野市が作成した新たな説明文では、松代大本営工事は戦時中に朝鮮人労働者を「強制的に」動員していたとする従来の説明文を「多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われている」とする一方、「必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解がある」と両論を伝聞調で併記する表現にした。
その場で「追悼碑を守る会」は、大きく2点の問題について意見を表明した。1点目は、この協議の場が、市からの一方的な通知ではなく、意見を聞いたうえで持ち帰り検討するのかどうかという点。
2点目は、説明文の内容の問題点。市が示した説明文案は、「必ずしも強制ではなかった」とする見解を併記することで、松代大本営工事に関わる主たる労働力は、朝鮮半島や日本国内の建設現場などから強制的に連行、動員された朝鮮人労働者であるという歴史的史実を隠蔽するものであると私たちは指摘した。
さらに、「と言われている」と伝聞表現で史実をぼやかしている問題も指摘した。これらの点についても市観光振興課長は、「指摘された点は持ち帰り検討する」と確約した。
このような経過をたどってきたにもかかわらず、長野市は翌日、市長の定例記者会見の場で、説明文について確定稿として公表した。その内容は、前日に私たちに説明した文案そのまま。このような市の対応は「持ち帰って検討する」と確約したことを反故にし、さまざまな協議を通じて合意形成を図るべき行政としての役割を放棄するものであり、市民の意見を無視する強権的な対応だと言わざるをえない。
追悼碑を守る会は10月9日、このような市の対応に抗議の申し入れを行った。当日は、在日2団体(民団、朝鮮総聯)の代表者も同席、3団体での共同申し入れとなった。
長野市は、副市長が対応し、「市長に申し入れの趣旨は伝える。しかし、検討会で出た結論なので白紙撤回することはない」と強硬な姿勢であった。また、副市長は「観光看板なので歴史には深く立ち入らない」と、長野市がアジアへの侵略と加害の象徴である松代大本営跡を、単に観光資源としてしか見ていない実態も明らかになった。
私たちは、松代大本営工事は、朝鮮半島の植民地支配、朝鮮人の強制連行と強制動員の歴史を背景に、戦争の侵略と加害の象徴と位置付けている。長野市の新たな説明文はその歴史的事実をあいまいにするものであり、自公政権によって進められている歴史認識の改竄、歴史修正主義の横行という状況と軌を一にする対応と断ぜざるを得ないと認識している。
民族を超えて若い世代の交流が進む
いまだ案内看板の復元には至っておらず、運動の力量を強めなくてはならないとも感じるが、希望は民族の違いを超えて若い世代との交流が生まれていることだ。
2022年10月には留学同(在日本朝鮮留学生同盟)東海の皆さんと県労組会議青年女性連絡会が集い、交流会を催した。
また、毎年長野朝鮮初中級学校の皆さんも授業の一環で松代大本営を訪れている。
一方、日本教育を経た若い皆さんは近現代史に向き合う経験が少ないまま、今日を迎えていることを顕著に感じていた。
この交流が今後の日朝関係をよりよくする一歩になっていくと信じたい。
松代大本営追悼碑の裏面には私たちの決意が刻み込まれている。亡くなられた朝鮮人犠牲者を追悼し『過去の戦争、侵略。加害を深く反省し、友好親善、恒久平和を祈念してこの碑を建立する』と記されている。戦争の反省もないままに戦争の準備をする国に突き進むこの国の姿に強く抗いたい。
戦後80年に記念講演会
本年2025年は、戦後80年、追悼碑建立30年という節目の年にあたる。日本では戦争体験者が少なくなるなか、戦争の記憶が風化し、昨今、世界中での紛争の多発や軍事的緊張が増大するなか、非戦、反戦の誓いが揺らいでいかないか危惧されている。
追悼碑を守る会では戦後80年という節目の年に、改めて松代大本営工事の実相に触れて、日本は過去とどう向き合って、未来に臨めばいいのかを考える機会として、明治大学文学部教授の山田朗先生を迎え、「戦後80年 松代大本営から考える戦争と平和~日本は過去とどう向き合ってきたか」と題して、記念講演会を計画している。
追悼碑を守る会会員などの関係者と朝鮮総聯、民団関係者、地域の住民にも参加を呼びかけ開催をめざしている。
日時 2025年8月10日(日)13時30分
場所 サンホールマツシロ
長野市松代町
松代163―9
主催 松代大本営追悼碑を
守る会