元福島県知事佐藤栄佐久さん追悼

合掌 さようなら佐藤栄佐久さん

金沢市議会議員 森 一敏

 3月28日、私が代表世話人を務める市民の政策研究会「くるま座」が金沢からお送りした弔意です。
 ……ご一緒した在りし日に 政治家の神髄をみました
 その慈愛に満ちたお姿を偲び 心よりご冥福をお祈りいたします

 あの忌まわしい「収賄ゼロの収賄容疑」で知事の座を追われたにもかかわらず、行き交う人に知事さん、知事さんと親しげに声をかけられる柔和で腰の低い栄佐久さんが、権力の横暴には毅然として妥協なく立ち向かうその姿勢に、政治家の神髄をみたのです。
 出会いは、2011年8月の全国地方議員交流会でした。講演で、東日本大震災時の福島第1原発の過酷事故は、東京電力・経済界と政府・官僚により形づくられた「原子力帝国」により引き起こされたと厳しく糾弾したのです。自民党を出自とする元知事が、こんなことを言うのか!と衝撃を受けたのです。この元知事のお話を、志賀原発再稼働阻止を闘ってきた石川の仲間たち、そして「くるま座」の活動から地方自治・地方政府・住民自治を呼びかけてきた金沢市民にぜひとも聴いてほしいと強く願いました。
 12年7月、広範な国民連合の堂下健一志賀町議につないでいただき、金沢で佐藤栄佐久講演会を「くるま座」の公開講座として開催することができました。その日のブログに私はこう書きました。「凄みすら感じさせた佐藤栄佐久さん」
 「日本は原子力帝国になってしまった」……佐藤さんは続けました。3・11を経験しながら、人々の苦悩を黙殺するかのように、再稼働をもくろみ、新たな規制委員会に原子力ムラの責任者が座る。沖縄では、福島の事故を米軍基地と重ね合わせ、国の犠牲になる福島に共通の苦悩を見いだした。

住民の力を結集できれば

 これが、対米従属の日本の構造である。県民の命と暮らしを守るには、国の権力と闘わざるを得ない。国からの官僚派遣には応じず、生え抜きを見いだし配置した。原子力安全管理部門もそうだった。そして、東電の事故隠しや国の横暴な原発推進、プルサーマルと闘った。
 佐藤さんは、政治の劣化、人材の劣化、日本の劣化を嘆きました。が、住民の力を結集し、それを体現した自治体が存在できれば、変えられると力説されました。その規範として、チェルノブイリ事故20周年に、欧州地方自治体会議で採択された「スラヴィティチ宣言」5原則、とりわけ「2.地方・地域自治体の不可欠な役割」「4.透明性と情報」が、地方の主体のあり方を指し示しているが、日本はいまだにこれに学んでいない。3・11事故は、文明論、哲学の問題として捉えねばならない。こう述べて、佐藤栄佐久さんは地方自治の現場の闘いに、命ある限り共にありたいと結ばれたのです。
 この時の栄佐久さんの促しを受けて、私たち市民の政策研究会「くるま座」は、13年10月に、栄佐久さんのご案内で、福島原発被災地を現地視察しました。TEAM二本松理事長佐々木道範真行寺副住職との懇談、飯舘村の全村見守り隊との意見交換、富岡町の被災復旧復興計画の視察・交流会。
 全国の原子力発電所のメンテナンスやプラント管理の仕事を受託している専門会社㈱エイブル、原子炉制御技術サポートの専門会社東北エンタープライズでは、技術者である社長から、国のおざなりな姿勢への憤りも伺いました。
 佐藤栄佐久さんなしに、こうした現場の真情を知ることができなかったと思います。
 私たちが地域の方々や社会的に弱い立場にある親子などとつながって運営している山科農園は、この時に栄佐久さんに案内された二本松市の真行寺で、子どもたちに放射能の少ない食材を食べさせたいと保護者が願っていることを聞いて、農園を食材提供のささやかな場所にしようと始めたものでした。

悲願を果たすことなく

 「金沢は本当にいい街ですね。何度か来ていたが、今回とくにそう思う。金沢の市長になりたくなったなあ」と冗談も言われた。「貴方には実にユニークで、幅広い仲間がいて素晴らしい。頑張ってください」と固い握手を交わした感触は今も温かく残っています。
 18年夏、『「知事抹殺」の真実』自主上映会を金沢で開きました。ご夫妻で金沢に来てくださり、トークに応じてくださいました。日本の真っ当な地方自治、世界の脱原発の流れに沿って、佐藤栄佐久さんの名誉が回復されることに、市民は賛同の意思を示すだろうと上映会を締めくくりました。
 この悲願を果たすことなく「巨星墜つ」となってしまいました。
 残された遺訓を地方自治のビジョンとして、その背中を追い続けようと思います。
 深くご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

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