半壊状態の自公政権を引きずる役割の石破茂
ジャーナリスト 高野 孟
自民党単独で解散時勢力256から65も減らし、過半数233を42も下回る191議席。自公の与党合計ですら過半数に18も足りないという大惨敗で、普通なら石破茂首相は即刻辞任して然るべきである。ところが、石破は9月27日に自民党総裁に選ばれて、早ければ早いほど有利だろうという党利党略以外に何の理由もなく、したがって国民にとっては意味がないどころか迷惑千万でしかない解散・総選挙に、最短期間でバタバタと持ち込んで、勝手にこけたわけなので、ここで惨敗したからといって今さら辞めるとは言い出せない。すでに半壊状態に陥った自公政権という荷車を引きずって行くしかないのである。
自民党の負け方で一番激しかったのは、2009年の政権交代時で、当時は定数480、過半数240のところ自民党119に対し民主党308で鳩山由紀夫政権が誕生した。その前は1993年の政治改革解散で、まだ中選挙区制下の定数511、過半数255の時代に自民党223で、細川護熙の日本新党や小沢一郎の新政党など7党1会派の改革派連立政権に道を譲り、「55年体制の崩壊」と言われた。
今回は、その二つのケースより過半数ラインが低くなっているのに、それをさらに大きく割り込んでいるという意味で、史上最悪の敗北と言えるだろう。
長続きしない少数与党政権
そうは言っても何とかしなければならず、まずは公認・無所属で勝ち上がってきた者を追加公認するという常套手段がある。しかし今回の場合は、地元事情で公認の調整がつかなかったというのではない。「裏金」づくりが発覚した議員46人のうち重罪12人を非公認とした。その12人の中から当選してきた4人を追加公認するのはどうなのか。選挙戦中にその「非公認」候補者の支部にも党本部から2000万円の軍資金が振り込まれ「裏金議員への裏公認だ」と批判された経緯があるので、それを蒸し返すことになるし、そのリスクを冒して強行したところで過半数に達するには程遠い。
そこで、維新や国民民主にアプローチしようとするかもしれないが、自民がここまで落ち目になってしまうと救いの手を差し伸べる方が損に決まっているので、交渉は成り立たないだろう。その上、公明は維新と今回選挙で大阪で対決し4つの選挙区で全滅させられた経緯があるので、両党の連立内での共存はもはや不可能だろう。
とすると、自公は少数与党に甘んじつつ、野党と常時妥協しケース・バイ・ケースで協力を求めていかざるを得ないが、細川政権の後の94年羽田孜政権がわずか2カ月で崩壊したように、少数与党政権は長続きしない。
怨念噴出不可避の党内
それよりも何よりも問題は党内で、先の総裁選の結果が示したように、高市早苗元総務相を担いで「安倍政治の再現」を求める勢力がほぼ半分を占め、しかもその中核は「裏金」処分で痛い目に遭わされ恨み骨髄の旧安倍派であるため、「石破降ろし」の号砲をいつ上げるかと待ち構えている。
今年2月に解散するまでの旧安倍派「6人衆」のうち5人が無所属ないし比例復活なしで苦しい戦いを強いられた。高木は落選したが、世耕、松野、萩生田、西村の4人は頭頂から怨念の火柱を噴き出しそうにしながら這い上がってきた。とりわけ長く参院自民党幹事長を務めた世耕は今なお参院に影響力を持っていると言われ、彼こそが党外からでも「石破降ろし」を仕掛ける急先鋒になるのだろう。
ひとたび彼らが動き出すと、来年春には東京都知事選、夏には参院選があるので、「石破を頂いては戦えない」という気分がたちまち全党に燃え広がるに違いない。
安倍政治継続では再生不能
この様子をどう解釈すればいいのか。私の理解では、自民党は本来ここで、安倍政治の害悪の全てを徹底検証し、その残骸の一切を除去しない限り、生き残ることも前に進むこともできない局面にある。そこで、「反安倍」と言うと褒めすぎで「かなり非安倍的なのかな?」という程度にすぎない石破に突如スポットライトが当たり、その役割が割り振られることになった。確かに彼は、「安倍政治の再現」を目指す高市が総裁の座を奪うという(国民にとってはもちろん、客観的に見れば自民党にとっても)最悪の事態を回避する上で決定的な役目を果たした。
そして実際の内閣の編成にあたっては、安倍の長年にわたる宿敵であり昔の宏池会的穏健保守リベラルの継承者でもある林芳正を要の官房長官に据え、安倍を「国賊」とまで罵った一匹狼の村上誠一郎に総務相の重責を担わせるなど、「反安倍シフト」を人事の骨格にするかに振る舞い、大いに期待を持たせたのだった。だが、残念なことにそこらあたりまでが彼の精いっぱいで、そこから先は何につけても一知半解の中途半端。それをカバーしようと朝令暮改の二転三転というありさまで、あの渋い顔つきで低音で語るのでよほど深い考えがあるのかと思いきや、意外や意外、軽々しくて底が浅い人物であることを露呈してしまった。
つまり、石破は、人々がほのかな期待を持った「安倍政治の徹底検証を通じてのそこからの完全脱却」を担うだけの見識も力量もなく、それをやるようなふりをしたが実はただ単にウロウロ・オロオロしているだけだと見抜かれてしまった。それがこの歴史的大敗の根本原因であるけれども、本人はそこがよく理解できていない。
安倍政治の害悪とともに沈むのか
私の説では、「安倍政治からの脱却」は次の3本柱の全てに及ばなければならない。
第1は、安倍が大好きだったお友達同士の身贔屓主義、縁故主義、世襲主義などベタベタ舐め合いの政治体質の克服である。派閥の内輪の理屈に従った裏金づくりというのも、あるいはまた統一教会の活動家を事務所の中にまで招き入れてしまう警戒心のなさの問題も、この政治体質の現れに過ぎない。
第2は、インチキ『おまじない経済学』の所産にすぎなかった「アベノミクス」の徹底批判。朝日新聞の原真人編集委員は10月19日紙面で、石破が「7年前、日本記者クラブでの講演でアベノミクスや異次元金融緩和を批判して『こんな政策をいつまでもできるわけがない』『おかしくないかと誰も言わない自民党は怖い。大東亜戦争の時がそうだった』」と言っていたのに、今時になって「デフレ脱却」などと言い出しているのは何なのか、「変節したのか」と問いかけている。そう、ここでも石破は腰砕けである。
第3は外交・防衛で、長年の持論だという「アジア版NATO構想」なるものを、総裁選で勝利したその日に米ハドソン研究所のサイトで発表した。が、これはまるで冷戦時代の反共軍事同盟の発想で、安倍の「QUAD」安保構想よりよほど古色蒼然としていて、たちまちインド、韓国、東南アジア各国からも「今ごろ何を言い出すんだ」という反応が返ってきて、口にするのをやめてしまった。
こうしてこの3つの柱のどこから見ても、石破では到底、安倍政治の害悪を摘出手術することはできず、そのためにこの政権と共に自民党は沈み込んでいくのである。
と言って、今回躍進したと言って喜んでいる野党も、安倍政治を根本から否定し克服していこうとする姿勢も論理も持っていない。そこにこの選挙結果とその先の政局の虚しさがある。
(見出しは編集部)