農業基本法改正と関連法成立への懸念

「権利としての食料」を重視する
国際的潮流から考える

愛知学院大学教授 関根 佳恵

1.基本法改正と食料安全保障、フードセキュリティー

 2024年5月29日に、食料安全保障の強化を基本理念に掲げる「改正食料・農業・農村基本法」(以下、改正法)が成立した。日本で言う食料安全保障は、英語のフードセキュリティーを訳したものだが、国際的な定義と国内の定義には違いがある。そのため、本稿では日本の法律に基づくものを食料安全保障、国際的な定義の方をフードセキュリティーと呼ぶ。フードセキュリティーが国際社会で定義されたのは1974年だ。穀物輸出国だったソビエト連邦(現ロシア)が輸入国になることで世界市場が逼迫し、国連世界フードセキュリティー委員会(以下、CFS)が発足した。
 改正法では、食料安全保障を「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ、国民一人一人がこれを入手できる状態」と定義し、不測時だけでなく平時から一人ひとりの食料安全保障の実現を図るように見直した。しかし、この定義は1983年のCFSの定義に準じる内容になっている。日本の食料安全保障の議論は、40年以上前の国際的な議論を踏襲したものにとどまっていることになる。その後、国際社会ではフードセキュリティーの定義が繰り返し見直されており、構造的な貧困、栄養、安全性、社会的差別・女性差別等への対応が盛り込まれてきた。
 現在のフードセキュリティーの定義は、「全ての人が、いかなる時にも、彼らの活動的で健康的な生活を営むために必要な食生活のニーズと嗜好に合致した十分な安全で栄養のある食料を物理的にも社会的にも経済的にも入手可能であるときに達成される」(09年)である。これは、①供給可能性、②入手可能性、③適切な利用、④安定性の4要素がすべて満たされたときに実現される。
 ところが近年、国際社会ではこの4要素では不十分だと認識されている。CFSの専門家ハイレベルパネルの報告書(20年)において、⑤「主体の権利」(エージェンシー)と⑥「持続可能性」を新たに追加することが提案されたのだ。⑤は「個人や集団がどのような食品を食べるか、どのような食品を生産するか、また、食料システムにおいて食品がどのように生産・加工・流通されるのかを決定する権利、食料システム政策の形成や統治の過程に参加する権利」と定義されている。これは消費者の権利であると同時に、生産者の権利でもある。⑥は、将来の世代の経済的・社会的・環境的基盤を損なうことなく、食料システムがフードセキュリティーを提供する長期的な能力のことである。⑤と⑥は、「食料主権」「食料への権利」という概念から影響を受け、発展してきた。「食料主権」とは、世界最大の農民組織ヴィア・カンペシーナが1990年代から提案してきたものである。持続可能性や環境・生態系への配慮などはもちろん、巨大なアグリビジネスが世界を席巻するなかで農家の自己決定の権利等を求めている。「食料への権利」は、1948年の国際人権宣言で認められたものだ。⑤と⑥は、今夏にも国連で構成要素として正式に認められると見込まれているが、日本の改正案に含まれていない。国際社会におけるフードセキュリティーをめぐる議論のように、日本でも市民社会の運動で「食料主権」「食料への権利」を確立する必要がある。

2.改正法の矛盾と関連法案への懸念

 改正法の柱のひとつである「環境と調和のとれた食料システムの確立」には、みどりの食料システム戦略で拡大が謳われている有機農業についての言及がなく、関連政策間の整合性が問われる事態になっている。副業的農家等の多様な農業者による農地の確保は盛り込まれたが、農地の集積・集団化やスマート技術の活用が目指されており、既存の農業近代化路線の弊害から脱却できなかったといえる。EUや米国のように小規模・家族農業を政策対象として正面から位置づける政策への転換は、環境だけでなく農村振興の観点からも今後の課題として積み残された。
 2024年通常国会では、改正法とともに農業関連法案が相次いで成立した。不測の事態が起きた際に農家に生産計画の提出や特定品目の増産を指示し、従わない場合は氏名を公表したり、罰金を科したりする「食料供給困難事態対策法」も成立しており、戦時統制の時代への回帰を思わせる。これは、食料主権を尊重しようという国際社会の潮流に逆行していると言わざるを得ない。
 貿易自由化(輸入食料)を前提とした食料安全保障の確保、有事を想定し農業生産者への罰則を定める「食料供給困難事態対策法」ではなく、国内農業への支援策を抜本的に強化し、学校給食を無償化し、食料自給率を高めることが平和への道であり、命と暮らしを守ることにつながる。改正法の下で策定される最初の基本計画になる「食料・農業・農村基本計画」(2025年3月閣議決定予定)に向けた議論はすでに始まっている。日本でも権利としての食料を実現するために、運動の拡大を期待したい。