与那国、国のように豊かな島
小さな島の軍事基地化が急テンポに
与那国島の明るい未来を願うイソバの会 山口 京子
私が与那国に移住してきた頃(1981年)、島にはまだ〈ゆいまーる〉も残っていて、田畑には人がいて、キビ刈り作業に疲れたら誰かがトゥバルマを唄いだす。島は中央志向ではなく苦しい自給自足のような時代からやっと脱して、まさしく与那国という国のように豊かな島でした。あれから幾年月……。
2016年の与那国駐屯地開設から9年。22年からのこの24年へと与那国島は大きく変貌しています。なんの遠慮もなくこの周囲27㎞の小さな島の軍事基地化を進めています。
多くの住民は当初、沿岸監視部隊だけで配備は完了すると思っていたと思います。しかし自衛隊の誘致に賛成だった人も、「まさかミサイル・戦車・米軍が来るとは考えていなかった」と話します。
「もう嫌」止まらないのか
この現状は一度許したらこうなることのお手本のように、自衛隊を誘致したら与那国みたいになってしまうよ、と広くお知らせしたい。そして、「もう嫌」と言ってもそれは止まりません。
●電子線部隊の追加配備
●ミサイル部隊の新設
●レーダー施設の増設
●最新鋭の(Over The Horizon)見えない水平線の下を探索できるレーダーの配備
●3年続く島での米軍との合同演習。これからは常態化していく予想
●土地規制法の全島網掛け(規制が始まっているのに説明なし)
●島の最高峰宇良部岳の映像監視装置の新設計画
●特定空港・港湾(有事の際自衛隊などが訓練などに円滑に利用できる施設)の計画。新設港湾に与那国固有の自然重要湿地の樽舞湿原が狙われている
島は衰退、軍事の島に
なるのか
町長は、本当は第一次産業の手当てをしたいが国防問題が喫緊の課題で、それどころではないと話します。
第一次産業の衰退。人手不足。基地建設工事関係者や民間住宅を借りる自衛隊員が増え家賃高騰。新設予定のミサイル部隊が来たらあっという間に4人に一人は自衛隊関係者という住民自治の危機も心配です。
島の自治が奪われたら、島の選挙はどうなっていくのか? 少数派である基地の弊害を語る人は消えていくのでしょう。この時代にこうして軍事の島になっていくのか?
去年、国民保護計画が作られ始め与那国でも説明会がありました。最悪の場合を考えて、保護計画も立てられて真面目に議論がなされています。しかし、全員が島を出て(捨てて)どこかに行くことなど、どう考えてもそんなことができるとは考えられません。三原山の噴火災害時の避難の映像を見せられて、説明を受けました。しかし、戦争と災害が同列で語られてどう考えても適切ではありません。当たり前ですが、多くの住民が、自分は避難しません、と声を上げています。
隣の島に外交団を出したい
一連のこの騒動のなか、なぜか語られないことがあります。
この国境地域の問題を話し合いによって解決する試みや姿勢です。国をあてにすることはできそうもないので、沖縄県が独自に隣国との外交を進めてほしいと思っています。
私たちも隣の島に行って紛争を避ける方法を話し合いたい。そんな外交団を小さな地域から出していけたらどうでしょうか。
与那国の未来は明るいか?
アメリカに依存しない政治に変えていく。日本は自衛のための必要最低限の専守防衛に戻して隣の国と仲良くやっていく。農業・漁業・長命草・カジキ・キビ・コメ・畜産・与那国馬・民具・工芸・観光・ダイビング・豊かな自然、数えたらきりがない与那国島の持っているものをもっと利用して島を豊かにしていく道を模索したい。
根拠のない中国脅威論に煽られて、経済的にジリ貧日本の希望は軍事産業だけとしたら、それの犠牲になった与那国島がかわいそうです。
地域再生がまだあると思いたい。与那国島の未来は明るいと信じたい。