イスラエル/パレスチナへスタディーツアー

現地に目を向け考え続けたい

日本・イスラエル・パレスチナ学生会議

 日本・イスラエル・パレスチナ学生会議(JIPSC)は、2003年に設立された団体です。
 会の理念は大きく二つです。
 一つに、直接に紛争に関与していない日本において、イスラエル/パレスチナ両地域の学生交流の場を設けて対話を促すことです。パレスチナ紛争が長期化し、昨年10月以降は大量虐殺(ジェノサイド)といわれるほどの悲劇的事態になっています。イスラエル/パレスチナ両地域間の学生が現地で交流することはほぼ不可能な状況にあります。日本で交流の場を設けることには、ますます重要な意義があると思っています。
 もう一つは、日本でイスラエル/パレスチナ問題への関心を高めることです。残念ながら、日本ではこの地域・問題への関心が低く残念ですが、紛争が激化しないと注目が集まらないといった状況です。この状況を少しでも改善したいと思っています。


2週間の交流プログラム

 毎年8月、イスラエル/パレスチナの学生を招いて交流を行っています。日程は、約2週間です。
 2022年度の交流を例に取ると、イスラエル/パレスチナ側参加者の募集は、大学や教員にメールで呼びかけました。書類選考や面接を経て参加者を決めましたが、ユダヤ系、ドゥルーズ系(イスラム教シーア派の一つとされる)、ヨルダン川西岸出身で欧州で暮らす学生など、幅広い参加がありました。
 会議本番では東京、福岡、長崎を訪れ、九州国立博物館(福岡県太宰府市)や長崎平和記念資料館(長崎市)などを訪れました。寝食を共にしながら、「植民地主義」「近代化と民主化」「メディア」などをテーマにディスカッションしました。
 「植民地主義」の項を例に取ると、1948年のイスラエル建国が、パレスチナ側では約80万人の難民が生まれた「ナクバ(大災厄)」として記憶されていることが指摘されました。私たちは植民地主義を超えた未来を目指す必要があり、ユダヤ、パレスチナ双方が聖地に暮らせる権利が保障されなければならないと議論されました。また、日本におけるアイヌ問題が紹介され、「発展」や「豊かな生活」は民族自身で決められるべきことが確認されました。
 ディスカッションに先立っては料理会も行われ、カレーや唐揚げ、フムス(ひよこ豆のペースト、植物性食品だけで作られる)を作りました。体を動かし、会話をしながら交流することで、ディスカッションにつながるよい雰囲気をつくることができました。

初のツアーを開催

 2023年度には、初めての試みとして、現地へのスタディーツアーを行っています。参加者は8人でした。
 ツアーでは、イエルサレム旧市街(東エルサレム)の「聖墳墓教会」や「岩のドーム」「嘆きの壁」などを訪れました。会議に参加したパレスチナ学生の親戚宅なども訪ねています。エルサレムでは、現地で活動する日本の非政府組織(NGO)からお話を聞く機会もありました。ヨルダン川西岸のベツレヘムでは、博物館や難民キャンプなども訪問しました。
 訪れた難民キャンプは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が設立したものです。キャンプの入り口には「帰還の鍵」のモニュメントがあり、パレスチナ人の故郷への帰還の意思を示していました。イスラエル軍の銃撃で亡くなった少年の写真も掲げられていました。
 キャンプで支援活動を行うセンターは、文化活動や教育プログラムを通して、子供や若者の支援を行っています。エグゼクティブ・ディレクターのアナスさんからは、キャンプの歴史や、同地が世界で最も催涙ガスが使われた場所であることを聞きました。
 情勢は現在の紛争が始まる直前でしたが、私たちが考えていた以上に厳しいものでした。訪れた難民キャンプは、2つの入植地と分離壁、7つの監視塔とイスラエル軍の前哨地に囲まれています。
 行く先々に銃を持った兵士が立ち、電柱には監視カメラが備え付けられています。検問所では、イスラエル軍がパレスチナ人に対し、言葉にできない非人道的な行為を行っているところも目にしました。行き先によって、イスラエル人とパレスチナ人では乗るバスが異なります。同じ場所にいても、イスラエル/パレスチナ人が交わることは少なく、さながら「パラレルワールド」にいるかのようでした。

ツアーを通して考えたこと

 ツアー中に目前で起きることが衝撃続きであったので、どうしても目前の現象に目を奪われがちでしたが、その背景には必ず歴史があります。その「重み」を知らないと、認識できないことが多いと感じさせられることばかりでした。
 そうしたなか、「占領反対」を訴えてデモ行進するイスラエル人の団体や、イスラエルとの平和共存を模索するパレスチナ人にも出会うことができました。
 参加者の一人が語っていたのですが、イスラエル/パレスチナと日本人学生が出会い、互いの声を残し、全員が「記憶装置」となることは、意味があることだったと思います。SNS上にはさまざまな「フェイクニュース」が流れているだけに、私たちの「記憶装置」としての役割を意識せざるを得ません。他者の「痛み」を想像する努力をしながら、日本人である自身の「第三者」という「特権性」に自覚的になり、その是非を考え、責任ある行動をとらなければならないと感じています。
 帰国後、エジプトからの留学生の友人が、実はパレスチナ難民であったと知った際に衝撃を受けましたし、自分の「想像力の欠如」を恥じるばかりでした。
 今後も考え続けることをやめず、現地に目を向け続けたいと思っています。

紛争激化と日本

 10月初旬から紛争が激化し、2万5000人以上のパレスチナ人が亡くなるなど、現地の状況は悪化しています。UNRWAへの資金拠出停止問題も浮上し、パレスチナ住民の生活に甚大な影響を与えているようです。
 私たちの知人でも、難民キャンプで私たちのガイドをしてくれたアナスさんが、イスラエル軍に行政拘束(罪状や拘禁場所が公表されない逮捕)されていることが分かりました。イスラエル軍による弾圧は、ガザ地区に限られたものではありません。彼の生存にはひとまず安堵しましたが、紛争が私たちの身近な人々にも及んでいることを実感しました。
 日本でも10月以降、さまざまな行動が行われています。個人レベルで集会やデモに参加する人もいます。イスラエル/パレスチナ問題の解決策に関しては、さまざまな意見があるようですが、一刻も早い「停戦」を願う点なら一致できると思います。
 24年度のJIPSCの活動をどうするかは討議中ですが、実りのあるものにしていきたいと考えています。