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座談会 福島の教訓と能登地震

30年後を設計する復興を

農林漁業者はしぶといよ

前JA全中副会長・前JA福島中央会会長
菅野 孝志さん
福島円卓会議事務局長・福島大学准教授
林 薫平さん
福島大学教授・副学長補佐
小山 良太さん

左から菅野孝志さん、林薫平さん、小山良太さん(福島大学食農学類演習室で)

 能登半島地震では、石川県で死者241人(2月16日現在)をはじめ新潟県、富山県に、家屋倒壊や農漁業基盤、輪島塗・伝統産業などに甚大な被害がもたらされている。志賀原発(石川県志賀町)でも一部の外部電源が喪失、燃料プールから水が漏れるなどトラブルに見舞われた。東日本大震災に襲われた東北一帯や熊本県をはじめ全国の人びとが心を寄せ、復興支援に駆けつけている。編集部は、福島県で大震災と原発事故からの復興に立ち向かっている3氏に集まっていただき座談会で語ってもらった(2月7日)。文責編集部

先が見通せないつらさ

林薫平さん(以下、林) 元日早々の地震で、13年前福島で思い出すのもつらい目に遭った人は、自分のことのように心配したと思います。福島も揺れましたね。最初はこんなに大きな地震とは思っていなかったですけど、ふたを開けてみたらたいへんな被害でした。東日本大震災と共通点もありましたが、避難の仕方については全然違いましたね。福島は海沿いでしたから平場がありましたけれども、能登は急峻な場所に集落が点在している。
菅野孝志さん(以下、菅野) 大津波警報が出て、すぐに夜も更けるでしょう。何もできないじゃないですか。被災された方々はすごくつらかったんじゃないでしょうか。
小山良太さん(以下、小山) 震災はこの後どうなるのか分からないというのがいちばんつらいんだと思います。東日本の場合はプラス原発事故があり、これからのことがある程度判断できるまでに、最低でも数カ月、人によっては1年~2年かかるという状況でした。能登でも2次避難の判断を迫られたり、集落がどうなるのか、どの時点でどう判断したらいいのか分からない方も多いと思うんですね。
林 そうですね。漁業とか伝統産業、輪島塗だとかは復旧までのイメージすら想像できない状況です。地盤隆起でまったく地形が変わり、津波で船も港に乗り上げたままです。

被災地への逆風に憤り

小山 能登は漁業とか伝統産業を一生懸命やってきた地域で、なおかつ原発を誘致して共存してきたわけです。東京や消費地の人は水産物も食べて電気も使ってきたので、能登半島に対してどこまで親身になって復興の支援ができるか。一部に「なんであんな狭い不便なところに小さい家を並べて暮らしているんだ」という意見も強く出てきているように感じますね。
 それは東日本大震災のときとオーバーラップするんです。被災した人に親身にならずに、逆風になってしまう。こんな冷たい日本の論調になっているのは東日本以来じゃないでしょうかね。東北の人びとは北陸にはすごく親近感があり、そういう意味でも心配してしまうところはありますね。
菅野 能登半島は山間でけっこう急峻な感じじゃないですか。だから平場は少ないが自分たちの生活の基盤で家と家が寄り添わないといけない。今、白米千枚田を再生することに否定的な意見や、農村部はどうでもいいとかいう意見も出始めていることに、非常に憤りを感じます。暮らしの面から都市と農村の関係を見れば、電気は農村からいただいていても彼らは感謝の言葉もなくて冷たい。これはね、やるせないというか、日本人ってそんなだったんだろうか?
小山 インフラとか水道とか教育とか全部商品だと思って見ると、ここは非効率だということになる。その視点をいろんな人がもつようになっている。東日本大震災が起こったときに、いろんなところに行って放射線を測定する検査機器なんかを集めたんですね。そのとき「震災に税金を使ってほしくない。もっと経済成長する分野に使ってほしい」と言われたこともあります。株とか持っている都市部の人はそこを心配していたんですね。
 どういう循環の中で自分が生きているかということが分からず、お金出せば買えると思っている。あのときも自分はお金持っているから沖縄に避難したとか、有名人でも自慢げに話している人がいっぱいいて、その状況は熊本なんかでもあって、今回能登でも出ている。

「俺には関係ない」のか?

小山 食と農、生産者と消費者がお互いを想像できないと、いわゆる風評問題がいつまでたっても起こるわけですよ。同じように地域もそうで、今は都市部がものすごく純化していて、例えば都内の大学も都内出身者がすごく多い。昔はバラエティーに富んでいたわけですよ。高度経済成長期みたいに人が流動的でもない。だんだんに東京は東京で完結するようになっている。
 以前に神奈川で住民調査をしたとき、農家でもないのに高齢者がけっこうJAバンクを使っている。なぜかというと、地方から出てきた人の実家が農協を使っていたから。それくらいつながりがあったんですよ。東京には故郷(ルーツ)が東北の人が大勢います。でも世代が交代したり、地方を観光地としか見ていない人たちからすると、そこのつながりが想像できないんだと思う。

小山良太さん

林 確かにそう思いますね。狭い意味の学力で見ても都市部だけで再生産していて、地方の人はなかなかそこに食い込んでいけない構図になりつつありますね。政治の面でも以前は中央集権的とは言われながらも地方にはそれなりの人物たちがいて、地方からも主張していくことが多々ありましたけれども。地方のリーダー層が弱体化してきているんじゃないですか。
小山 地方のトップまでが東京の進学校出身。岸田総理は広島選出なんだけど、開成高校でしょう。そもそも石川県知事はお正月に東京にいた。政治家の話は別にしても、都市と地方の関係が変わっているんですね。地方のことは「俺には関係ない」。それが沖縄に対してもそうだし、政治も経済界もそうで、いろんな分野で想像力が働かなくなっている。
 そこは学習とか教育とか啓発とかでマインドセットを変えない限り思い浮かばないと思うんですね。その人に悪気があるんじゃなくて経験がないんですよ。数字だけ見て、例えば平均年齢や若者の数だけ見て、「これはデータ上無理でしょう。ここはいらないでしょう」という話なんです。
林 私の中の能登のイメージは、木を大事にして魚を大事にして、牛を育てて、加工業なんかも盛んにやりながら助け合いが強い。裏返せば辺鄙な場所で、街に出るのもなかなかたいへんだからそうやっていたわけですけれども。日本人が切り捨ててきたようなところが根強く残っていて、田舎同士すごくシンパシーを感じます。
 でも都市の消費地の方から見ると、まだあんな所にしがみついているのかというふうにも見える。じゃ、東京だけで国が成り立つのかというとそうではないでしょう。自分たちの中で能登半島はどういうかけがえのない存在なのかということを第一に考えて、まずは尊重するところから出発しなければおかしいんじゃないでしょうか。

福島の震災復興の経験

小山 災害復興の初期と中期と、ステージの分け方は東日本大震災と能登は違うと思います。今は避難者対策をしているわけですね。例えば4月になって田植えをするのかどうか、次の段階が出てくるわけですね。
 最初は元に戻してほしいというのは当然です。だけど3年4年後はどうするのか、福島でも議論したんですね。戻った後10年20年30年後はどうなるのか、いや俺はそこまで生きられないから、そこは考えられる人たちに入ってほしいとか。
林 福島の農林漁業は駄目かもしれないと言われながら、13年間なんとか頑張ってきた。農林漁業者がいちばんしぶといことは13年間感じてきましたし、やはりこの土地でなければ仕事を再開できないんだという思いが強いのは畜産も含めて自然相手の仕事。そういった方たちを中軸にしながら復興していく以外に道はないと思います。福島からも支援できることを考えてつなげていきたいですね。
小山 最終的に10年とか20年後を考えたときに、地域と切り離せない農林水産業がベースになるかどうかが非常に大きい。福島を見ても企業誘致しても企業は撤退しちゃうんで、全然持続可能ではないですね。おそらく国はそういうのにはお金出しますという話になってくるんだと思うんですね。当時も言われた「創造的復興」というのは、よその人が考えてお金をつけるというんじゃないんだと思います。
菅野 復興は宮城と岩手のほうが福島より早いんです。それは原発事故という問題がなかったためで、福島は原発事故の被災でなかなか進まなかった。インフラとか基盤整備に一点集中できたこともあるんじゃないかな。岩手の三陸あたりはいっぱい学んでいる。地形的に見ても、今回の能登の再生のためにはすごく役立つ部分があると思います。

菅野孝志さん

小山 避難所についても、集落の人が同じプレハブに入り、みんなが集まれる中央広場を常設した疑似集落をつくれるような2次避難を設計する。東日本でも熊本でもその経験はあるので、経験者がコーディネートに入ってくるのが重要だと思う。能登にもそういう人が十分入っており、僕にも連絡が来ます。初期の支援と中期は全然違うんで、このあと支援する人も減ってきて、必要なものも変わってくる。これは福島は経験豊富なわけですよ、20万人が避難したわけですから。その経験は生かしていけるんじゃないかと思っています。
菅野 集落が一緒に移転して、後で戻っていけば同じような形ができる。戻らない人が出てきても「後はみんなに頼むぞ」ということを含めてみんなで相談できる。バラバラになった所ではそういう話ができず、地域そのものがちょっと沈んでいくような様相になっています。

変わらない原発の闇

林 悩ましいのは原発の問題です。能登半島の人はほんとは怖い思いをしていても、東京の人から何を思われるかという重圧の中で、「志賀原発が怖い」となかなか声を発せられないのでは。

林薫平さん

小山 志賀原発は商業炉としては再開していて、運転停止中だったんですね。
菅野 珠洲にもつくる予定だったけど、地域の人たちの反対でおじゃんになっています。
小山 あれだけ複雑な地形で震度7が来たら、これに対応することは無理です。ビルが倒れていたじゃないですか。そんな不可能なことを消費地は要求しちゃだめですよ。原発を稼働するんだったら、放射線が漏れることを前提に運用すべきなんですね。いざというときは誰かが犠牲になるということをはっきり言って、それでもやるかどうかを問わないといけない。100%安全ですと言っちゃいけない。それで原発でやると国民が決めるんだったらいいと思うんです。そこを言わないで進めると、今回みたいに何かあっても情報を出せないとかね、また13年前に戻ってしまう。
菅野 原発事故は立地の町村だけでなく、すごい広いところまで影響がある。福島では放射能が太平洋に飛んでいたと思っていたのが、風向きで東京まで飛んで行ったことが後で分かった。ところが国や推進している人たちは、立地の市町村がいいと言えばそれで判断する。原発立地の意思決定をするのは誰なのかを明確にしていく必要があるよね。志賀原発でも火事が起きたとか起きないとか闇から闇に。不都合なことは隠してしまおうという問題はけっこう根深いという気がする。
小山 この構造は13年前と変わってないんです。立地の問題もカネのない市町村に札束で立地させちゃうという形にしかならない。エネルギーは本来地産地消できるんですから、大阪と東京につくったらいい。

復興を地域の皆で進める

菅野 復興はまったく同じものをつくるということではなくて、その土地の持っている力というか風土みたいなもの、これを生かして新しい能登をどうつくるんだという地域計画をみんなで考えることが大事なんじゃないですか。国はこういう枠組みで検討してくださいとタガをはめる。そうじゃなくて、市町村に10億か30億円どーんと落として、これからの10年~30年をやっていくためにいちばんいい方法をみんなで知恵を出して考える。そういう予算の割り振りがないと、個別で考えていたら住民と関係のない復興になってしまう。
小山 地方分権と言うんだったら実は自治体の失敗の経験が大前提になると思うんです。チャレンジして失敗したっていいんですよ。それを積み重ねれば、周りが失敗しなくて済む。国は絶対失敗できないんで、必ず成功する企業を連れてくるわけですね。だから同じようなスマート農業とかになる。能登でスマート農業やってもしょうがない。
林 地元は力が小さいので、配慮してある程度権限を残すことが必要で、それとともに何か前向きな新しい産業を起こす必要も出てくる。そうなってきた場合、JAとか漁協とか森林組合などが半分公共的な役割をもって、重要な舵取り役になっていく可能性があると思いますね。
 その土地に密着した事業をしていく上で一次産業が一つの復興の軸になってこなければ力が出てこない。例えば漁協が漁業を回復しながらそこで新しい水産加工事業を誘致して合同事業をする。もしくは福島県浪江町でやってますけれども、森林組合と木材加工連が木材加工会社を誘致するというスタイル。福島も国主導のトップダウンと言われながらも、実は協同組合が粘り強く、少しでも地元と橋渡しするような企業誘致にしていこうと汗をかいていますので、そういった経験はつなげていきたいと思います。
小山 日本の人口も将来ピーク時の半分の6500万人になるわけで、集落をどうするかという議論は震災とは別にあると思うんです。江戸時代には地名に危ない名前をつけたりとかして、ここまでしか人が住めないということが考えられていた。自然の中で人間が住んで生活にふさわしいのはどういう所なのか、どこまで残すのかと。今出ているのはこれを機に整備できないかという惨事便乗型の議論で、被害を受けた人たちからするとなかなか受け入れられないと思う。
菅野 戦後どんどん生活圏を増やしていったエリアがありますよね。農地の利用のあり方として継承、伝承されてきたものを、どこかの時点でわれわれが崩してしまった。どこまでが生活圏なのか、それともここはもう山に返してもいいんじゃないかとか。日本の農業のあり方、国のカタチを再構築しなくちゃいけない時期に来ているようにも思いますね。