[米軍オスプレイ墜落]「国家主権なき日本」を改めて暴露"> [米軍オスプレイ墜落]「国家主権なき日本」を改めて暴露"> <span class="em08">[米軍オスプレイ墜落]</span>「国家主権なき日本」を改めて暴露

[米軍オスプレイ墜落]「国家主権なき日本」を改めて暴露

自主的でアジア共生だけが平和で安全の道

『日本の進路』編集部

 米軍オスプレイ墜落とその後の飛行継続強行、さらには事故から1週間後の米軍による飛行全面一時停止決定などの経過は、国家主権なき日本の現実を改めて暴き出した。この国の政府には、国民のいのちも安全も財産も守れない。
 国民のいのちと安全、財産も守れず、何が安全保障か。米軍依存、「抑止力強化」一辺倒ではなく、中国敵視をやめて、対話と外交を中心に自主的な安全保障の確立こそ求められる。
 主権国家を取り戻す、自主の日本を実現する2024年にしたい。

「属国根性」丸出しの政府

 米空軍横田基地に所属するCV22オスプレイが鹿児島県屋久島沖で2023年11月29日、墜落事故を起こし、米兵8人が死亡した。墜落事故は予想されたことだ。
 開発段階の1991年からの10年間に墜落事故で計30人が死亡し、「未亡人製造機」と呼ばれるほどだった。最近だけでも、2016年12月には名護市安部に普天間基地所属のMV22が墜落した。22年6月には米カリフォルニア州でMV22が墜落し5人、23年8月にはMV22がオーストラリアで墜落し3人が死亡している。
 国民のいのちと安全、財産を守る政府であるならば、こうしたオスプレイの日本領空・領海、国民の頭上の飛行を許すべきでないのだ。米軍とそれを止めなかったわが国政府に強く抗議する。
 より根源的にみると、今回のオスプレイ墜落事故は日本の国家主権なき従属的な姿を浮き彫りにした。
 そもそもこの事故発生に際して、政府・防衛省は「墜落」との事実すら認めず、「不時着水」と表現していた。海上保安庁に至っては当初は「墜落」と発表したが、その後わざわざ「不時着水」に改めたほどだ。米軍がそう言っているからとの理由である。その後政府は「墜落」を認めたが、それも、「米軍」がそう発表したからと。どこまで属国根性なのか。
 日米安保条約と「地位協定」や「日米合同委員会」で主権を放棄させられている実態が徹底的に国民の前に明らかとなった。

飛行停止を求められない政府

 事故後も同型機は、沖縄県の普天間基地や嘉手納基地で訓練を繰り返し、住民の頭上を飛び回って恐怖に陥れていた。屋久島にさえも「救難」と称して飛来した。
 だがわが国政府は、国民のいのちと安全、財産を守るために毅然たる対応をとらなかった。自公政権には、国民のいのちを守るために国家主権を貫く意思も皆目見えなかった。防衛大臣も、外務大臣も米軍に対して、「安全が確認されてからの飛行再開を要請」したにとどまった。
 これでは飛行を止めることはできない。木原防衛大臣に至っては「米側から、日本に配備されている全てのオスプレイは徹底的かつ慎重な整備と安全点検をした上で運用されているとあった」とわざわざ記者会見で語っている。笑止とはこのことだ。だったら何故事故は起きたのか、問い質すべきではないか。「日本をバカにするな!」と一喝すべきだ。
 だから米国防総省報道官は、「正式な飛行停止要請は受けていない」と居直っていた。この事態に、「遺憾」などと泣き言を言う政府を許せない。
 沖縄の地元紙「琉球新報」が「主権国家の体なさず」とのタイトルで社説を掲載したがその通りだ。国民のいのち、安全、財産を守るために主権が行使できないとしたら、何が安全保障か。

それでも政府の姿勢次第

 「日経新聞」は「事故の究明を急げ」との社説を掲載し、「今後、米軍主体で原因を調べる」と平然と書いた。わが国の国土、領海での事件ではないか。何故、「日本政府主体で調べろ」と書けないのか。一事が万事この調子である。
 政府は何をしているのか。漁民が危険を冒して集めた事故機残骸もすんなりと米軍に引き渡され、日本側の原因究明の手がかりは失われた。「事故原因究明」など空語だ。何故、日本政府は残骸を押さえられないのか。
 こうしたことが沖縄では何度も繰り返されてきた。事故現場を米軍が治外法権の状態に置き、県警察や海保、行政を含む地元関係者を排除してきたのだ。2004年8月、普天間基地の大型輸送ヘリコプターCH53Dが沖縄国際大に墜落した際、米軍は現場を封鎖し、沖縄県警すら排除し寄せ付けず、機体を搬出した。16年の名護市墜落の際も、17年の普天間基地所属のCH53Eが東村高江に不時着炎上した時も同様だ。いずれも県警や海保は機体が現場に残っている間は現場検証ができなかった。
 日米地位協定に縛られているからだ。
 確かにそうだが一方、米軍機墜落事故で米側が日本の警察の現場検証を認めた例がある。
 1968年福岡市の九州大学に米軍機ファントムが墜落した事故、77年横浜市のファントム墜落事故、88年CH53が沖縄県国頭村で墜落した事故などでは、米軍と地元警察が合同で検証している(以上、「琉球新報」社説による)。
 日米地位協定を独立国にふさわしく抜本改正しなければならない。それを進められる独立の気概を持った政権が必要だ。
 しかし、実際の事故対応でも、ある程度主権を行使できるかどうかは時の政府の姿勢次第ということだ。
 属国的対応を繰り返させてはならない。沖縄でも全国どこでも、主権国家らしい対応が必要だ。

どこまでバカにされるのか

 マスコミ報道だと在沖米海兵隊は12月5日、声明を発表し「日本における全てのオスプレイは、徹底的かつ計画的な整備と安全チェックを受けた後にのみ運用されている」と説明。わが国政府・自衛隊はこれを鵜吞みにした。
 ところが米軍は6日、「全てのオスプレイの飛行を停止する」と突如発表した。遅過ぎだが当然だ。
 だが、その発表文には「操縦士と乗組員の安全は私たちの最優先事項だ」とある。日本国民の安全など考慮されず、ましてや日本政府の「申し入れ」など一顧だにされていない。
 沖縄県幹部が、事故後1週間少なくとも140回以上もオスプレイが県民の頭上を飛行したことに対して、「日本政府がもっとしっかりと飛行停止を求めるべきだった」と抗議したのは当然だ。

オスプレイ墜落事故に抗議し撤去を求めるオール沖縄会議(2023年12月4日、嘉手納町沖縄防衛局前)

オスプレイ墜落事故に抗議し撤去を求めるオール沖縄会議(2023年12月4日、嘉手納町沖縄防衛局前)

 こんな政府では、米軍が飛行再開を発表すれば、何の検証もなく、無批判に追随し、飛行は再開される。佐賀空港配備も強行される。
 日本はどこまで米国の属国なのか。これでは国民のいのちも安全も守れない。

「対中国」が必要とするオスプレイ

 安倍政権以来、米国の中国敵視政策に引きずられて日本も「中国敵視」を鮮明にした。「台湾有事は日本有事」となり、法的には何の根拠もない安保関連3文書はいつの間にか「わが国の国家安全保障戦略」となった。
 オスプレイは、ヘリコプターと飛行機、両者の特徴を具備し、滑走路なしでしかも長距離作戦行動できる。南西諸島などで「中国軍と戦う」という米軍の、従って自衛隊の戦闘計画に不可欠なのだ。
 再び三度の事故の危険もだが、何よりも戦争の危険である。
 だが、軍隊が戦争を始めるのではない。ましてや武器が戦争をするのではない。人が戦争をするのであり、政治が決める。昔から言われるように、戦争は政治の延長である。政治が始めるのだ。
 中国敵視の政治は戦争の危険であり、憲法違反で平和と主権の放棄である。
 岸田政権、中国敵視で自立・平和国家を諦めた自民党には政権を任せてはならない。

「米国の発想がわが発想」

 中国敵視路線で、わが国の軍備増強、自衛隊強化が進んだ。だが、強国中国に対抗するには単独では不可能だ。同時に、「日米同盟強化」という、対米従属の深化が進んだ。
 「対中国」で、わが国の主権はますます失われる。国家安全保障会議(NSC)発足から10年に際して、元防衛省の柳澤協二さん(元防衛担当の内閣官房副長官補)が語っている(「東京新聞」12月5日)。
 「変わったのは、NSCの下に事務局の国家安全保障局(NSS)ができ、官邸と官僚機構の情報共有が進んだ点だ。昨年(2022年)12月にNSCが決定した安保関連3文書は、米国の国家安保戦略をNSSが焼き直し、岸田政権ではそれを政治が追認する形になった。『米国の発想がわが発想』という一体化は、もはや永田町と霞が関の常識になっている。他に選択肢がないというところで思考停止しているからだ。NSSは米国の意思を日常的に伝える装置という意味で、便利に機能している。(NSC所管の)防衛装備品の輸出ルール見直しも、米国のニーズがまずあって、それを実現するにはどうするかというところから議論が出発している。政治の側が『そんな輸出はできないから断れ』という判断にならない」と言うのだ。説明は不要だ。
 柳澤さんは続ける。「ここまで来たから次も仕方ないとずるずる進むのは、太平洋戦争に入っていった論理と同じだ。戦争と平和は、政治家や官僚に任せるにはあまりにも重大な問題だ」と。

沖縄は限界、全国がわがことに

 「これ以上県民は黙っていられない。CV22は嘉手納に向かう途中で落ちた」と、オスプレイが日常に頭上を飛び回る沖縄は飛行停止を強く求めた。玉城デニー知事と県は繰り返し声明を発表し米軍と政府に対応を求めた。県内の保革を問わず自治体首長と議会は声明や決議で強く抗議している。オール沖縄会議をはじめさまざまな団体が抗議行動を起こしている。
 特徴的なことは、国民の安全安心を守る立場から主権国家として配備の撤回を要請していること、主権国家としての対応、外交を求めていることだ。11月23日の県民平和大集会では、政府が日中平和友好条約の精神に沿って対話と外交を進めることを求める発言も相次いだ。
 そうしたなかでのオスプレイ墜落事故だ。抗議の集会で嘉手納基地のある沖縄市の70代の女性は「事故を主体的に見ない政府の態度が許せない。県民でなく、どこに向いているのか」と語った。うるま市の稲福政吉さん(78)は、「政府は戦後ずっと、アメリカに萎縮して気概がない。ヤマトとは縁を切った方がいいんじゃないか」と怒る。もう限界だ。
 平和へ、主権国家が問われている。オスプレイ墜落事故は「『日本は主権国家なのか』という根源的な問題をあぶり出した」という「琉球新報」社説は全県民の思いだ。
 国民のいのちと安全、財産を守るために、東アジアの平和を実現するために、第一に、オスプレイを即時国外撤去させるとともに、少なくとも日米地位協定の抜本改定は不可欠だ。
 だが、それにとどまれない。従属的な日米関係そのものを見直す必要がある。安保3文書に象徴される中国敵視路線を止めなくてはならない。独立・自主の国を実現し、中国はじめアジア近隣諸国と平和的に共生し、世界の国々と共存共栄する安全保障を実現しなくてはならない。