統一自治体選挙を闘って ■ 群馬県の経験

戦争反対の旗色鮮明に
大衆運動を基礎に野党は協力して

広範な国民連合・代表世話人 角田 義一

 群馬はご承知とおり戦後、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫の4人の総理大臣を輩出いたしました。文字どおり全国でも有数な保守王国です。
 私は現在 86歳で立憲民主党群馬県総支部連合会の最高顧問を仰せつかっております。今回の県議会選挙前橋地区の小川あきら、高崎地区の鈴木あつ子、伊勢崎市区のかがや富士子の女性3人の選挙責任者となり、微力ではありますが懸命に頑張ってまいりました。
 その結果を踏まえ、新たな教訓を得ましたので報告いたします。


1、前橋地区

 当地区は定数8人のところ立候補者10人の少数激戦地区でした。立候補者は自民4人、立憲民主1人、公明1人、共産1人、無所属2人、維新1人でした。小川あきらは無所属ですが、立憲、社民、国民の推薦を受けておりました。
この選挙区での最大の特色は、維新から立候補した宮崎タケシの存在でした。彼は民主、希望、立憲等から立候補して衆議院当選を果たし、知名度は抜群です。先の総選挙でも前橋地区で3万3千票余りを獲得しております。彼は立憲を基盤として戦っていましたので、わが方2人の立候補者と支持者が重複していました。まさに仁義なき戦いであり、すさまじい闘いでありました。結果、小川あきらは幸いにもトップ当選し、もう1人の立憲の候補者も当選しました。
 他方、自民党は衆議院中曽根の現地秘書が落選しました。投票率は37・86%で史上最低でした。

2、高崎地区 

 ここは福田、中曽根の牙城です。定数9人、立候補者11人でした。自民は6人公認で全員当選を狙っていました。立憲は鈴木あつ子と県連会長の後藤かつみを公認しました。他に公明1、共産1、無所属1でした。
 鈴木あつ子は一昨年の県議選の補欠選挙で 6万票で当選しましたが、本格的な選挙は今回が初めてでした。鈴木は奈良県の出身で群馬県人ではないというハンデがあり、ゼロからの出発だったため、支持者訪問、街頭演説、少人数の座談会をこなしてきました。2児を育てているので、子育て問題、女性の地位問題を訴えて女性の支持を受けて懸命に頑張り、1万7196票を護得し、1位で当選し、後藤も当選できました。
 自民党の福田派候補は敗れました。投票率は41・42%で史上最低でした。

3、伊勢崎地区

 ここは定数5のところ、 自民4、立憲1、共産1の6人が立候補しました。
 かがや富士子は前回トップ当選でしたが、今回は地元から自民党市会議員を3期務め、いつも上位当選のつわものが立候補したため激戦となりました。地元後援会をはじめ、後援会の幹部、労働組合が一体となって戦った結果、2位で当選しました。
 地元の自民新人候補を得票の上では破りました。投票率は34・10%で史上最低でした。

沖縄に学び「外交による平和構築を求める」県議会意見書を

 3地区で選挙責任者を務めましたが、私は昨年秋に胆管がんで2カ月入院しておりましたので、演説会のみ出席し、車椅子であいさつをさせていただきました。その際、岸田内閣が「専守防衛を捨て、敵基地攻撃能力を持ち、 アメリカと一体となって戦争準備に邁進しているのを阻止するために、県議会議員は何をなすべきか」を訴えました。
 そのために沖縄県議会の意見書を紹介しました。
 1 アジア太平洋地域の緊張を強め、沖縄が再び戦場になることにつながる南西地域へのミサイル配備など軍事力による抑止ではなく、外交と対話による平和の構築に積極的な役割を果たすこと。
 2 日中両国において確認された諸原則を遵守し、両国間の友好関係を発展させ、平和的に問題を解決すること。
 「群馬県議会は自民党が強いところですが、戦争反対に絞った意見書を採択するよう努力することが責務ではないでしょうか」と強調し、多くの人の共感を得ることができました。

日常の住民の中での
大衆運動が最も大事

 私がこのことを強く訴えた結果、多くの支持者から5月3日の憲法記念日に私の話を聞きたいという要望があり、当日約1時間私の所信を申し上げました。私は今日の政治状況を訴え、今は新たな戦前であると訴えました。何としても戦争をさせないという一点に絞って国民世論を盛り上げるための地道な日常活動をする必要を強く訴えました。
 その中で強調したことは、中国とこのような状況の中でどのように付き合うかということです。それには歴史を鑑としなければなりません。古い話になりますが、日清戦争で日本は清国から当時のお金で3億円と、遼東半島の割譲を得ました。が、三国干渉によって半島を返還することになり、その代償としてさらに5000万円の合計3億5000万円の賠償金を取りました。この金額は当時の国家予算の3年分です。そのお金は八幡製鉄所の設立や鉄道の敷設、当時の公債の返還に充てられました。
 翻って日中戦争で中国が勝利した際に、今度は日本から賠償金を取り立てる番であるという空気が中国に蔓延しておりました。しかし当時の周恩来総理は、「この戦争は当時の軍国主義者が引き起こしたもので、中国人民も苦難を味わったが、日本の人民も苦難を味わった。したがって、もし日本から賠償金を取り立てれば日本の人民の負担になり、日中の友好は確立できない」と考えました。周総理はこのことを10年にわたり共産党幹部を説得し、日本に対する賠償金の請求を放棄したのです。周恩来総理の恩義に対し、日本人は謝意を表すべきであると私は思います。

歴史を鑑として日中関係を発展させる

 かつて小泉総理の靖国神社参拝で日中関係がどん底に冷えていた時がありました。
 私は2005年当時、参議院の副議長に就任しておりました。副議長外交を独自に進める権限が与えられておりましたので、中国をこの訪問先に選びました。05年11月16日、呉邦国全人代常務委員会委員長(日本の国会議長に相当する)との会談で、小泉総理の言動には触れず、周恩来総理の賠償金に関する経過を話し、中国側に伝えました。
 もし万が一、日中が再び戦ったときには「周恩来の恩義を忘れたのか」と容赦ない戦いになることを私は憂えております。だから再び中国と戦ってはならないのです。
 日本の多くの都市は中国との友好関係を結んでおります。地方議員の皆さん、友好姉妹都市関係を活用し、中国へ親善使節団を派遣し、友好関係を進めていってほしいと思います。
 あらゆる立場の人々に話しかけ、中国との対話を広く深く進めていくべきだと思います。さらに、自治体議員の皆さまにおかれては、沖縄県議会に倣い各自治体で特色ある意見書を国に提出するべくご努力をお願いいたします。

迫る総選挙では
野党は調整・連携して

 サミットが終わった今、いつ解散総選挙があっても不思議ではありません。
 統一選挙で日本維新の会が躍進しました。しかし、維新は第2の自民党、あるいは自民よりもっと「右」かもしれません。
 対中国戦争準備に反対する野党、群馬では少なくとも立憲、共産、社民、れいわの4野党が結束して闘える態勢をめざしています。県単位での調整も必要です。小選挙区ごとに候補者を調整・擁立し勝利の態勢を築き、岸田を引きずり下ろすため奮闘しようではありませんか。

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