日中平和友好条約こそ基本
参議院議員 伊波 洋一
戦争あおる南西諸島の軍事化
私はオール沖縄の参議院議員として外交防衛委員会で、南西諸島の軍事化の問題を重視して取り組んでまいりました。
今、私たちの国はたいへん危険な方向に向かっています。10年の中国漁船と海上保安庁の巡視艇の衝突事故を契機に12年に尖閣諸島が国有化され、日中関係がたいへん厳しい状況になっていく中で、「南西諸島の軍事化」が米国から日本に求められたと思っています。現在は、日本が自らの国益や本来の主権を見失って、アメリカの意のままに翻弄される状況です。
今年1月7日に開催された日米の外務・防衛閣僚2+2協議では共同通信が報じた自衛隊と米海兵隊の台湾有事の共同作戦計画原案をさらに進展させる南西諸島の自衛隊基地の日米共同使用や「日米共同作戦」策定の合意となりました。5月5日には岸防衛大臣がワシントンでオースティン米国防長官と会談し、日本の防衛力の抜本的強化と双方の戦略を緊密な協議を通じて擦り合わせていくことを確認しました。まさに戦争への道をまっしぐらに進む状況になっています。
代理戦争で日本が戦場に
私が強調したいのは、台湾防衛のための中国との戦争は日本国内で戦われる戦争だということです。アメリカは最初からそういう戦略なのです。台湾有事になれば台湾はすぐやられるので、米軍は台湾には行きません。日本の米軍基地も中国のミサイルが壊してしまうので使えない。米軍は日本やグアムからも離れてしまいます。
そして、「遠征前進基地作戦」と称して小部隊で日本の領土である南西諸島の島々に行き、そこから中国艦船を攻撃するのです。当然、中国軍は反撃しますから、米軍がミサイルを撃つ行為によって、日本と中国が戦争になってしまうのです。私たちはそこを警戒しなければならない。
私も国会で議論したことがありますが、アメリカは今、代理戦争を同盟国にさせているのです。その名目は核戦争を避けるためというのですが、自らはなんの被害も受けない。今ウクライナで武器を供与しているのと同じように、日本にも中距離ミサイルを配備させて、どこから撃ったかわからないようにする。このような訓練が沖縄を中心にさかんに行われています。日中戦争の引き金を米軍が持っていて、米軍が1発中国艦隊に撃てば、たちまち日中戦争になるという構図なのです。
武力ではなく外交交渉で解決する
日本側で忘れられているのが、1972年の日中共同声明です。日本と中国がお互いの戦争の歴史を総括しながら、その反省を込めて、国交回復と同時に平和条約をしっかりつくっていくと合意しました。それが78年の日中平和友好条約に結実しているわけです。
そのなかで日中は、両国間の課題については武力ではなく二国間の交渉で解決するということを確認しています。条約というのは大きな力です。今この二つを自民党はまったく口にしないし、国民にも忘れさせています。
米軍の軍事力をあてにするのではなくて自分たちの外交力で、話し合えばわかり合えるという立場で中国と話し合いをすることが大事です。現にトランプ政権下の2018年10月25日から27日に安倍総理が訪中し、日中間の32もあったもろもろの課題の解決に向けた入り口を全部合意してきたのです。外務省のホームページの「安倍総理訪中」で確認できます。
それに対して米国は、自民党議員とか右側の人たちを使って政府に圧力をかけたようです。つまり台湾有事、台湾防衛に加担するという流れを消させないということで、反撃に転じているのです。
岸田内閣には期待していたのですが、岸田さんも結局押し切られるような形で、その道をまっしぐらに進んでいます。かつての日本軍や政府のように、戦争への道を進んでいるのではないかと思うわけです。
日本の国民生活や産業は今や中国の経済抜きには語れません。経済安保の法律が通ったのですが、日本は自分の首を絞めるようなことをやり続けている。経済や国民生活はどうなってしまうのだろうかと思います。
高度成長期に沖縄に基地集中させた
1972年の復帰までの27年間は異民族統治、米軍統治という言い方でひとくくりにされてますが、この27年間を二つに分けないといけないと思います。
占領からサンフランシスコ講和条約締結の1952年4月28日までの7年間とそれ以降の20年間です。実は沖縄の今の状況をつくったのは講和条約後の20年間です。講和前、日本は全部占領されていて、全国各地に米軍基地があった。それを日本のどこかにまとめる話だったのがまとめず、講和条約で切り離された沖縄に本土の迷惑な基地を移していったのです。沖縄では52年以降、広大な基地建設のために土地強制接収が行われたのです。だから米軍基地の70%が沖縄にあるのは日本が基地を押し付けた結果なのだということを、私たちは確認しなければいけないと思うのです。
本土にとっては講和後の20年というのは東京オリンピックもあり、各地に鉄道や新幹線がつくられていく高度成長期でした。でも沖縄では鉄道もできず、復帰後も基地があるがゆえに発展できずに厳しさを継続させられてきたのです。だから沖縄県民の所得は今も最下位だし、子どもの貧困率も全国の2倍です。発展の可能性を全部奪い取ったのが米軍基地なのです。
復帰時に当時の琉球政府の屋良朝苗行政主席が建議書を書いて強く訴えたのは、国家権力に意のままに使われてしまう沖縄にしてはならないということです。だから私たちはそのような沖縄をめざさなければならないということを、今一度考えていきたいと思います。
世界の懸け橋となる沖縄へ
今年、沖縄振興特別措置法がさらに10年の延長になりました。この10年の延長の中で、50年間で果たせなかったものをどうしても回復していきたい。ところが政府は逆に南西諸島の軍事化と辺野古新基地を押しつけてきています。それこそが沖縄を将来的にも発展させないしくみになっていることを確認する必要があります。
アメリカが想定する台湾有事は日本を戦場にする道です。そんな道ではなくて、沖縄の私たちがよく言う万国津梁の場所として、世界の懸け橋としての平和的な発展をこの沖縄で実現することを願っています。かつての誇りを今一度しっかりもてるように、誇らしい沖縄をつくっていくことを訴えて頑張っていきたいと強く思います。
直後に9月知事選挙もありますので、なんとしても再選を果たして国政の場で沖縄の声をしっかり訴えていかなければいけないと思っています。皆さまの応援をよろしくお願いします。