琉球の「万国津梁」の精神で日中関係の改善を
沖縄大学地域研究所特別研究員 泉川 友樹
1979年、沖縄県生まれ。沖縄国際大学卒、放送大学大学院修士課程修了。2003年、北京外国語大学に留学。06年から日中経済交流促進団体に勤務、20年から沖縄大学地域研究所特別研究員。
2022年は日本、中国、沖縄にとって極めて重要な意義を持っている。一つは沖縄の「復帰」50周年、もう一つは日中国交正常化50周年だ。
1972年9月29日に日中国交正常化が成し遂げられたことで北東アジアの安全保障環境は大幅に改善した。かつて戦火を交えた日中両国は互いに衝突しないことを誓い合い、安定的かつ平和的な環境の下で経済交流を進め、自身の発展に注力した。今日、日本と中国はそれぞれ世界第3位、第2位の経済大国となった。また、1972年に11億ドルにすぎなかった日中貿易総額は2020年には3175億ドルに拡大、日本にとって中国は最大の貿易相手国となり、今や貿易全体の約24%を占めるまでになった。50年前の両国の決断が完全に正しかったことは歴史がすでに証明したといっていい。
一方、それに先立つ1972年5月15日、アメリカに統治されていた沖縄の施政権が日本に「返還」された。アメリカ統治下の沖縄は日本国憲法が適用されず、「復帰」直前までは国会議員を選出することすらできなかった。琉球政府という自治組織はあったものの、高等弁務官が絶対的な権限を持ち、住民の権利は大きく制限された。広大な米軍基地が造られ、ベトナム戦争時には沖縄から爆撃機が飛び立ってアジアの同胞を殺害した。そのような状況で、沖縄の人々は憲法の適用や米軍基地の縮小を求めて「祖国復帰」運動を展開した。祖国復帰はそれ自体が「目的」ではなく、平和と安全を実現するための「手段」だった。
この「二つの50年」を迎えるにあたり、現状を見つめ今後のあるべき姿について考えてみたい。
沖縄の歩んだ道
その前に沖縄の歩んできた道について簡単に触れておく。そもそも沖縄の人々にとって、1972年の「復帰」は誰もが無条件で祝えるような単純なものではない。
1429年の琉球国建国以来、沖縄は中国(明・清)を中心としたアジアの国際秩序を担う一員であり、日本とは別の独立国家であった。尚泰久王の治世に鋳造したと伝わる「万国津梁の鐘」には「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鐘め、大明を以って輔車と為し、日域を以って唇歯と為す。この二の中間に有りて湧出せる蓬莱島なり」と刻まれており、日本とは別の国であるとの認識が明記されている。その一方「舟楫を以って万国の津梁と為し、異産至宝は十方刹に充満せり。地霊人物は遠く和夏の仁風を扇ぐ」とあり、各国の橋渡しをすることで繁栄を確保し、土地柄や人々は日本と中国の影響を受けているとも印している。琉球国にとって日本や中国をはじめとした各国と安定した関係を築くことは何よりも重要だった。
琉球国は明・清の皇帝から形式的に国王の地位を承認される「冊封」と呼ばれる体制を受け入れていた一方で、1609年の薩摩藩の侵攻以降は幕藩体制に組み込まれ、日中に両属しながらも独立国としての地位は存続するという極めて特異な状況に置かれた。アメリカ、フランス、オランダが江戸幕府とは別に条約を締結していることからも、欧米列強が琉球を独立国とみなしていたことに疑う余地はない。その琉球国は1879年に「琉球処分」と呼ばれる日本政府による強制併合で名実ともに滅亡し「第一次沖縄県」がスタートした。その後、1945年にアジア・太平洋戦争末期の沖縄戦で住民を巻き込んだ熾烈な地上戦が行われ、20万人を超える死者を出した。敗戦後は米軍の占領下に置かれ、52年に発効したサンフランシスコ講和条約によって日本から切り離されてアメリカの統治下に置かれることとなった。なお、条約第3条には「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)(中略)を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」とあり、沖縄は国連の信託統治制度を経て独立する道もあり得たのだが、アメリカは信託統治の申請を行わず、72年に沖縄に対する施政権を日本に「返還」し「第二次沖縄県」がスタートしたのである。
このように見てくると、沖縄が日本の一部であることは絶対不変ではないし、歴史から見てもそうではなかった時期の方が長い。複雑な道を歩んできた沖縄の人々が日本への「復帰」50周年を心から祝うためには、基本的人権の尊重や米軍基地の大幅な縮小がどうしても必要なのだ。このことを理解せず「沖縄の人々は最初から日本人で、日本への復帰を祝うのは当然」というのでは、沖縄の人々の心に寄り添っているとは到底いえない。
日中関係と沖縄の現状
では「二つの50年」を迎える日中関係と沖縄の現状はどうだろうか。沖縄は米軍基地の整理縮小が遅々として進まず、依然として国土面積の0・6%しかない沖縄県に日本にある米軍専用施設の約70%が集中している。そればかりでなく、近年は「中国脅威論」を理由に奄美、宮古、石垣、与那国に自衛隊の基地が建設され、南西諸島の軍事要塞化が進む。沖縄の人々が過重な負担の軽減を訴え、米軍基地の県外・国外移設を唱えても実現することはなく、ネット上では沖縄県外の人々から「中国の脅威はどうするのだ」「沖縄は地政学的に重要」といった発言が飛び交う。このような状況から「復帰」という手段を通じた沖縄の人々の目的は達成されたといえるのか、立ち止まって考えてみる必要さえ出てきている。
そして、日中国交正常化から50年を迎えようとする現在、両国の政府間関係は中米対立を背景にして急速に悪化している。これまで日中両国の首脳が政治的な英知でコントロールしてきた尖閣諸島をめぐる問題に日本からあえて火をつけただけでなく、日中共同声明で「台湾は中国の一部であるとする中華人民共和国政府の立場を理解し、尊重する」とする旨が謳われているにもかかわらず、首相経験者が「台湾有事は日米同盟の有事」とわざわざ表明し、中国と対決する可能性に言及するまでに至っている。
「二つの50年」を迎えるにあたって
いうまでもなく戦争になれば米軍基地と自衛隊基地が集中する沖縄は中国の攻撃対象となり、人々の生命は脅かされることになる。よって、日本や沖縄が目指すべきは中米対立や「台湾有事」をいたずらに煽ることではなく、日中関係を改善して「中米の和解」を促し、台湾有事を未然に防ぐことだ。今ほど琉球国の「万国津梁」の精神が必要とされている時はない。
そこで、「二つの50年」に際し、延期となっている習近平国家主席の訪問を再調整し、地方視察先として沖縄へ招待することを提案したい。習主席は福建省勤務時代に沖縄を2度訪問したことがあり、旧交を温める旅ともなろう。
日中両国の首脳が沖縄の地でアジアの平和と安定について膝を交えて議論を交わすことこそ日中両国のあるべき姿であり、そのための橋渡しをすることこそ沖縄が果たすべき本当の役割である。