侵略戦争美化、沖縄戦を風化させる教科書を許さない
東京都高等学校教職員組合書記長 富崎 豊和
「沖縄戦を美化してはならない」――4月1日、沖縄県内21の師範学校や、旧制中学校の元生徒らによる「元学徒の会」が強い憤りと、危機感をあらわにした声明を発した。というのも2022年の学習指導要領改訂によって、新しく必修科目となる「歴史総合」の一部出版社の教科書に、沖縄戦の事実を歪曲する記述があることが明らかになったからだ。
沖縄には沖縄戦没者を慰霊するための慰霊碑が数多くある。「一中健児之塔」もその一つである。一中とは、旧制の沖縄県立第一中学校のことであり、現在の沖縄県立首里高校のことだ。太平洋戦争時には、激烈を極めた沖縄戦下、県内の範学校や、男女中学校の生徒とともに、戦闘に動員され、数多くの生徒が命を落としている。
「一中健児之塔」は、そうした戦没学徒を慰霊し、恒久平和を祈念するために戦後建立された。明成社版の「歴史総合」の教科書は、その塔の写真を掲載し「県立第一中学校の戦没学徒の顕彰碑」と記述した。「顕彰」とは功績を明らかにし、表彰することである。
本土決戦を遅らせるために沖縄は「捨て石」とされた。そのため沖縄は、県民の4人に1人が亡くなったといわれるほどの激戦地と化した。日米双方で約20万人が命を失ったといわれている。沖縄を「捨て石」とする国策と、皇国教育によって、戦闘に動員をされた犠牲者を慰霊するための碑を、顕彰碑として記述することは、沖縄を犠牲にしてきた加害を隠蔽し、沖縄戦の惨事を美化しようとする意図が見える。
さらに同じ教科書の中には、「ひめゆり学徒隊」を「ひめゆり部隊」と記述している箇所もある。「元学徒の会」は、明成社の教科書記述に対する声明の中で「女子学徒は、軍隊に補助要員として動員され、看護に従事したのです。『部隊』とすると独立編成し、軍隊と一緒に戦ったという印象を受けます。『ひめゆり学徒隊』の表記とただすべきであります」と、沖縄戦の認識を正しくすることを求めている。
日本会議と明成社教科書
「元学徒の会」に問題とされた明成社は、日本最大のナショナリスト団体とされる「日本会議」と関係の深い出版社と言われている。教科書の作成にあったては、戦後の日本史教育を「自虐史観」によるものときめつけ、太平洋戦争における日本の侵略性を否定し「自衛戦争」とする教科書を発行した「新しい歴史教科書をつくる会」と同様の姿勢を取っている。「元学徒の会」が指摘した記述は、すでに日本史Bの教科書として発行した「日本人の誇りを伝える―最新日本史」の中にも見られ、そこでは「米軍の攻撃により壊滅的な被害を受けた沖縄では約千四百名の中学生、約四百人の女学生がその尊い命をささげた」と書かれている。
学業半ばで戦場に動員され、後に「鉄の暴風」とまで形容された米軍による艦砲射撃と空爆にさらされ、若い命を落とすことになった悲惨さと無念を「命をささげる」と美化することは、国家による戦争の加害と、住民の犠牲を考える教育に蓋をすることになる。しかし、すでにこの教科書は、愛媛県教育委員会などで採択されている。こうした教科書が採択され、公教育の場で使われることで日本の右傾化が加速することへの危機感がつのる。
そもそもこうした記述が教科書検定を通ること事態が疑問だ。教科書調査官にとっては、「慰霊」も「顕彰」も、あるいは「部隊」も「学徒隊」も同じ言葉として映るのだろうか。科学的な歴史認識を欠いているようにしか思えない。
ここまで問題を指摘してきた教科書は、「歴史総合」という教科に関するものだ。
「歴史総合」という新たな教科
「歴史総合」とは、2022年度から始まる高校の新学習指導要領における新たな必修科目だ。現学習指導要領は、「世界史A」(近現代中心)もしくは「世界史B」(原始・古代~現代まで)を必修科目としている。他に選択科目として「日本史A」(同)、「日本史B」(同)がある。
「歴史総合」は、これまでの「世界史」と「日本史」を融合させ、近現代史を学ぶことを目的としている。それだけでなく、「暗記科目としての歴史」から「考える歴史の学び」への転換も示唆されている。日本と世界の歴史を関連づけて流れをつかむことや、年号や人名、事象を詰めこむのではなく、生徒たちが調べたり、議論をしたりしながら歴史的な思考を養うことが意図されているのだ。
暗記科目から考える科目への歴史教育への転換は進めるべきだ。一方、日本史と世界史を融合することで問題点も指摘されている。ここでは紙幅も限られていることから、「歴史総合」の批判的検討にまで触れず、「歴史総合」が思考力を養う科目とされていることと、明成社の教科書記述を関連させ、再度論じてみたい。
今さら言うまでもなく歴史は科学である。その意味では、そもそも暗記すればすむという類いのものであってはならない。科学である以上、歴史の記述が情緒的であってもならない。
「日本人の誇り」というおごり
しかし、明成社の日本史教科書に関して鼎談をしている渡部昇一や、櫻井よしこなどのナショナリストからすれば「歴史とは誇りである」のだ。それゆえ、戦争の被害者も、命をなげうって国土を守った尊い者として記述するのだろう。そのような姿勢は、新科目である「歴史総合」の目的とはとうてい相いれないものだ。だからこそ、繰り返しになるが、教科書検定が合格となった根拠が知りたいものだ。当時の経験者たちが、事実ではないと声を上げる事態にまでなっている教科書に科学的な歴史観などありはしないだろう。
歴史という学びには「問い」が必要だ。自ら「問い」を立て調査し、そこからまた「問い」を発見する。それが歴史を学ぶ醍醐味でもある。だからこそ、歴史的事実には真摯に向き合う必要がある。たとえそこに不都合な真実があったとしても。
新型コロナ感染症による社会不安や、格差の拡大がさらに広がることが危惧されている。日本の周辺海域に及ぼす中国の動きなども活発になりそうだ。そうした状況が「日本人の誇り」を取り戻すといった風潮を過度に強め、広めることへと作用する恐れがある。それは自国民中心主義と排他性を強める温床となっていくだろう。
「元学徒の会」が投げかけた問題は、沖縄戦を風化させることなく、正しい歴史認識を持ち続けることを訴えている。同時にそこから発せられた課題は、沖縄や沖縄戦だけに限らず、私たちが太平洋戦争を風化させないことで、戦後築き上げてきた平和憲法を守り抜くことにもつながっている。