近隣国同士を争わせる危険な「帝国戦略」
『日本の進路』編集長 山本 正治
コロナ禍は、近代以来の世界の諸矛盾を一挙に暴き出している。産業化がもたらした気候変動、異常気象、豪雨災害等々も、人びとの生存と世界経済に重大な問題を提起している。
世界的貧困の深まりとデジタル化で経済の「長期停滞」が言われ、とくに2007年の金融危機以来の世界経済はこの1年で文字通り未曽有の危機状況となった。いつバブルが崩壊し金融危機となるか、世界経済は休火山の火口の中にあるようなものである。
人びとの職が失われ、失業者が激増、世界中で貧困化が著しく進み、何億人もの人が食べ物にも事欠く。他方で、これまた未曽有の金融政策の結果、保有資産10億ドル以上の世界の超富裕層2千人余りはここ約1年で資産を200兆円増やした。日経新聞が、富の偏在の矛盾が広がり「世界に埋めがたい深い断層」を刻んだ、「一つの地球に二つの世界がある」と、特集を組んだほどである。
人びとは富の再分配を求め行動し、富裕層はそれに恐怖する。各国の国内対立も、国家間の対立も著しく激化している。
世界経済の構造激変も早まった。早晩不可避と見られていたが、アメリカ中心の先進国と中国中心のアジア・新興国のGDPは、20年に逆転した。中国がGDPでアメリカを上回るのは28年に早まるだろうとの予測が広がっている。中国の技術や基礎研究の目覚ましい発展は世界中の目を見張らせている。この面でも米中はすでに逆転したか、近づいた。
しかもその中国が、コロナ禍をいち早く乗り越えて経済を発展させた。世界の貿易は中国を中心に復活しつつある。世界中の資本投資もついに昨年、中国への投資がアメリカを上回った。中国の急テンポかつ大規模な技術革新、デジタル化は、中国新技術の「世界標準」化を事実上促している。デジタル人民元も来年には導入される。
この世界の趨勢に、第2次世界大戦後の覇権国アメリカは焦っている。
米国には「二つの国」がある
だが、それを押しとどめる力はもはやアメリカにはない。バイデン大統領が3月に発表した暫定国家安全保障戦略で「新しい国際規範や合意を形作るのはアメリカだ」と願望したが、その実力はすでに失われている。
軍事も含めてである。米インド太平洋軍司令官は3月9日、「インド太平洋の軍事バランスはアメリカと同盟国にとって⼀層、不利に傾いた」と議会証言した。日経新聞の秋田浩之氏によると、中国軍の戦闘機は現在、⽶軍の5倍だが25年には約8倍に。同年に空⺟は⽶軍の3倍、潜⽔艦は6倍強、戦闘艦艇も9倍に増えるという。
しかし、アメリカとバイデンにとって外部の中国以上に深刻なのは、大統領がその就任演説で、「暴力と憎悪のネットワークとの戦争状態」と言わざるを得ないほど激化した国内対立である。著しい貧困と貧富の格差拡大がその基礎である。こうした中で、アジア系の住民を狙った人種差別、ヘイトクライムも激増、3月16日には8人が射殺される事件まで起こっている。
すべてはこの和解不可能な国内対立の上にある。アメリカには「二つの国がある」とまで言われる。バイデン政権の「豊かな中間層の復活」は幻想だが、それでもしばらく、少なくとも来年の中間選挙を乗り切るまでは国内、経済に集中せざるを得ない。
先ごろ上下院で民主党単独で、総額1・9兆ドルの経済対策を決めた。長期停滞論のサマーズ元財務長官が批判の先頭に立つほど、誰が見ても過剰な財政で、持続不可能は明らかである。それでも財政出動の手を打たないと社会がもたない。アメリカ社会はそこまで追い込まれている。
持続不可能な財政は、基軸通貨ドルの力に頼っている。しかし、第2次大戦終了時を上回る巨額の国家債務となって、ドルの価値の下落は避けられない。豊かなアメリカの力の根源、世界中から搾り取ったツール・基軸通貨ドルの覇権を危うくしている。
「帝国」への挽歌が流れているのである。
「国際協調」は米国孤立の証し
アメリカは国際社会でもかつての力はない。これを立て直そうと、バイデンは「国際協調」を旗印に、大統領就任前から米日豪印4カ国のQuad(クアッド)首脳会談を対中国戦略の基礎と位置付けていた。辛うじて開催はされたが、同床異夢である。
インドは、伝統的に非同盟政策をとり経済関係も中国と深い。モディ首相はこの首脳会談が対中国戦略とみなされることを嫌った。そこで、アメリカは「ワクチン外交」を前面に、しかも、インドのコロナワクチンを買い上げアフリカ諸国などに提供することで開催合意を取り付けた。いわば「買収」で首脳会談にこぎつけたのだ。終了後、4首脳は米紙に共同寄稿したが、そこでは安倍=菅政権が固執した「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の表現ではなく、「自由で開かれ、柔軟で包括的なインド太平洋」であった。インドは形だけ日米に付き合ったのだ。オーストラリアは、もう少し積極的のようだ。だが、何といっても中国は圧倒的な貿易相手国で、輸出の実に34%(2019年)が中国である(2位は日本だが、12%)。長期に飯を食わずに反中国で政権はやれるのか。
3月、日米に続いて米韓の2+2会合が開かれた。その共同声明では、対北朝鮮での「日米韓3国協力」の重要性がうたわれたが、中国についての言及はなかった。マスコミは「韓国に配慮、透ける溝」と見出しを付けた。この国も、中国貿易が輸出入ともトップで、輸出額の26・8%(18年)が中国である。しかも、南北問題を抱えている。「米韓同盟」があるとはいえ対米一辺倒とはなれない。
米軍の戦略ではフィリピンに中距離ミサイルを配備することになっている。しかし、すでに米軍基地を追放したフィリピンがそれを認めるはずがない。ASEAN諸国も中国を警戒するが、ではアメリカと関係を深めてとはならない。
しかも、世界最大の輸入国(世界貿易の約13%)アメリカの対中経済制裁からのバイアメリカン政策は、輸出に頼るアジア諸国をますます中国に傾斜させるだけである。アメリカ抜きの、中国を含むアジア太平洋諸国の「地域的な包括的経済連携(RCEP)協定」も間もなく発足する。すでに触れたが、世界中の資本は金利のよい中国へ引き付けられている。アメリカの投資銀行ですら、中国に殺到している。
西側の大国EU諸国も、フランスは「戦略的自立」の道を進んでいるし、ドイツも対中経済関係最優先である。これらの大国は、もはやアメリカの世界戦略の対抗者であっても、対中での戦略的同盟などあり得ない。
国際社会が結束して中国に対処しているなどという見方は幻想にすぎない。
「日中対立」を煽って覇権維持を画策
このアメリカの危機の深さ、力の衰え。ここをわが国の野党も与党もマスコミも見落としているか、語らない。
力の衰えたアメリカは、日本に、日米同盟に頼る。こともあろうに菅政権は、対中国の「日米同盟の能力向上」を対米公約してしまった。
「影のCIA」と言われるジョージ・フリードマンは、かつてオバマ大統領に「帝国の戦略」を献策した。「旧来の帝国主義国は、力ずくで覇権を握ったのではない。地域の諸勢力を競い合わせ、抵抗を扇動するおそれのある勢力同士を対抗させ、自らの優位を保った。敵対し合う勢力同士を潰し合わせ、帝国の幅広い利益を守ることで、勢力均衡を維持した」といった内容である(『激動予測』)。
日中両国を対立させ、支配する「帝国の戦略」である。
しかし、その戦略で生き延びを策したローマ帝国も大英帝国も、崩壊を免れなかった。バイデン政権は、アメリカ帝国最後のあがきに出ている。それだけにきわめて危険である。
少し前に読売新聞で某大学教授が、満鉄を爆破して介入の口実をつくった旧日本軍の謀略、柳条湖事件(満州事変)を取り上げながら、尖閣諸島でその手のことが起こる可能性を述べていた。中国がそうした事件を起こすというような筋書きだった。そこだけが違っているが、危ない情勢にあることは間違いない。評論家の高野孟氏や私が本誌で、「日本漁船」を隠れ蓑に右翼的な一部勢力が画策している様子を丹念に暴露したが、すでに危ない時代になっている。
この「帝国戦略」は、決して成功しない。だが日中関係と東アジアが危険なところになることだけは間違いない。文字通り、アジアの平和とわが国の運命がかかるところとなった。
国交正常化以来の日中両国間の積み上げを基礎に
いかなる国も、自国に全力を注ぎ、他国の運命なんぞ気に掛けない。米国バイデンとて例外ではない。日本は自力、独立自主で局面を切り開かなくてはならない。
幸いなことに、日中両国間には1972年の国交正常化以来の積み上げがあり、来年で50年である。経済関係は大きく発展し深く相互依存の関係にある。多くのわが国大企業も利益の相当部分を中国に依存している。文化・スポーツなどを含む友好関係は発展し、両国関係は密接な関係となった。文字通り一衣帯水の関係である。
平和共存、平等互恵などの原則に立つ「4つの基本文書」と両国の努力がそれを導いた。
日中間で最も激しく対立する尖閣などを含む海洋問題ですらも日中高級事務レベル協議が続いている。最近でも「海警法」施行後の2月3日の第12回協議では、「東シナ海を『平和・協力・友好』の海とするとの目標を実現していく観点からも、海洋分野における具体的な協力・交流を推進していくことで一致」(日本外務省発表)している。中国政府は最近、「中国海警局の艦船が沖縄県・尖閣諸島周辺で活動する際、海上保安庁の巡視船や日本漁船に対する武器使用や強制退去を『自制している』と、日本政府に伝えていた」と共同通信が伝えた。
政府も、与野党の政治家たちも、こうした経過と成果を尊重し、日中関係をさらに強固に発展させなくてはならない。
もとよりこの島はわが国の領土である。それにしても、わが国はその主張を認めないにしても中国側も領有権を主張していることも事実である。事実上そうした前提で、日中漁業協定があり、海洋協議が続き成果も上げてきている。島の問題は重要でも、日中関係の一部にすぎないからだ。
香港やウイグルの人権問題への私たちの関心は当然である。しかし、バイデン政権の「人権重視」は対中戦略の一部でしかない。そうした「人権攻撃」にわが国はくみするべきではない。どの国であれ、人びとが「人権」を求めるのは当然である。日本でも決して満足できる状況ではない。すべての国の「人権」の前進のために奮闘しなくてはならない。また、中国の台湾統一は平和的な成功を望むが、あくまでも中国の内政問題である。この原則を外れることは両国関係を破壊する。
国民の多くは中国の動向に危惧も持っているが、それでも日中関係の発展を望んでいる。昨年秋の世論調査(「言論NPO」による)でも、47・4%が「米中対立にかかわりなく日中の協力関係を発展させるべき」と考えている(米国と行動を共にはわずか14・2%、29%が「わからない」)。きわめて健全である。
政治家も政府も、この国民世論に応えるべきである。野党はもちろん、与党の心ある国会議員も、自信を持って発言すべきだ。アジアと共に未来を切り開く、かつて石橋湛山元首相が唱えたアジアの一員との考えこそが重要だ。
国の進路を誤ってはならない。