変革していく大きなうねりを今年こそ全国的に結集しないと
東京大学教授 鈴 木 宣 弘
日本は「保護主義と闘う自由貿易の旗手」かのように振る舞っている。規制緩和や自由貿易を推進して国内外を規制のない「自由市場」にすれば、「対等な競争条件」で社会全体の経済利益が増大する、との見方を受け入れる人は多いように思われる。しかし、本質は、日米などのグローバル企業が「今だけ、金だけ、自分だけ」で儲けられるルールをアジアや世界に広げようとする企みである。日本企業も、アジアへの直接投資を増やして企業(経営陣と株主)利益は増えるが、現地の人は安く働かされる。国内の人々は安い賃金で働くか失業する。だから、保護主義vs.自由貿易、実は、国民の利益vs.オトモダチ(グローバル企業)の利益と言い換えると本質がわかりやすい。彼らと政治(by献金)、行政(by天下り)、メディア(byスポンサー料)、研究者(by研究資金)が一体化し、国民の命さえ犠牲にしてもはばからない。これは、現在の政治経済システムが本質的に持っている欠陥であり、普遍的にこういう方向が進む。
TPP(環太平洋連携協定)は本来の自由貿易でないとノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授は言う。ただし、氏は「本来の」自由貿易は肯定する。筆者は「本来の」自由貿易も否定するというか、それをめざすべきものとは考えない。なぜなら、「本来の」自由貿易なるものは現実には存在しないからである。規制緩和や自由貿易の利益の前提となる完全雇用や完全競争は「幻想」で、必ず失業と格差、さらなる富の集中につながるからである。市場支配力のある市場での規制緩和(拮抗力の排除)はさらなる富の集中により市場を歪めるので理論的に間違っている。しかし、虚構の完全競争市場を前提にして新古典派経済学はグローバル企業による「世界の私物化」を後押しする。
グローバル種子企業への便宜供与「7連発」
「TPPの付属文書の内容は日本が『自主的に』決めたことの確認なので、TPPの発効に関わらず、『自主的に』実行する」と外務大臣も国会で答弁したTPP付属文書には米国投資家(ウォール街、グローバル種子企業、製薬企業など)の追加要求に日本は規制改革推進会議を通じてさらなる対処をすることも「自主的に」(=米国の要求通りに)約束されている。今後も際限なく続く米国からの要求に対応して巨大企業の経営陣と投資家の利益のために国民生活が犠牲になる「アリ地獄」にはまっている。
象徴的なのは、種子法廃止に関連した一連の動きである。命の源の基礎食料(中でも特にコメ)、その源の種は、安全保障の要であるから、国として、県として、いい種を安く供給し、生産と消費を支えるのが当然の責務としてきたのをやめて、企業に任せろ、というのが種子法廃止である。
グローバル種子企業の世界戦略は種を握ることである。種を制するものは世界を制する。種を独占してそれを買わないと人々は生きていけなくすれば、巨大なビジネスとなり、人々を従属させられる。だから、公共種子の提供を後退させ、自家採種を禁じて、自分たちのものにして、遺伝子組み換え、F1(一代雑種)化して、買わざるを得ない状況を世界中に広げてきた。それを日本でもやりたい。それに日本は応えている。公共種子事業をやめさせ(種子法廃止)、国と県がつくったコメの種の情報を企業に譲渡させ(農業競争力強化支援法)、自家採種は禁止する(種苗法改定)という3点セットを差し出した。一連の改定をセットで見ると、意図がよく読み取れる。
全農の株式会社化もグローバル種子企業と穀物メジャーの要請で農協「改革」に組み込まれた。子会社の全農グレインがNon-GM(遺伝子組み換えでない) 穀物を日本に分別して輸入しているのが目障りだが、世界一の船積み施設を米国に持っているので、買収することにしたが、親組織の全農が協同組合だと買収できないので、米国からの指令を一方的に受け入れる日米合同委員会で全農の株式会社化が命令された。
消費者庁は「遺伝子組み換えでない」という表示を実質できなくする「GM非表示」化方針を出した。これも、日本の消費者の要請に応えたかのように装いながら、グローバル種子企業からの要請そのままである。しかも、消費者庁の検討委員会には米国大使館員が監視に入っていたという。
カリフォルニアではGM種子とセットのラウンドアップ(除草剤)で発がんしたとしてグローバル種子企業に320億円の賠償判決が下り、世界的にラウンドアップへの逆風が強まっている中、それに逆行して、日本は一昨年12月25日、クリスマス・プレゼントと称して、米国の要請に応じて、ラウンドアップの残留基準値を極端に緩和した。
さらに、ゲノム編集(切り取り)では、予期せぬ遺伝子喪失・損傷・置換が世界の学会誌に報告されているのに、米国に呼応し、GMに該当しないとして野放しにする方針を打ち出した。
インド、中南米、中国、ロシアなどは、国を挙げてグローバル種子企業を排除し始めた。従順な日本が世界で唯一・最大の餌食にされつつある。
野菜の種は国内の種苗メーカーが担っているが、9割が海外圃場で、かつ、表に名前は出てこないが、グローバル種子企業の受託生産になっている場合が多いようだ。野菜に続き、今回のコメ・麦・大豆で日本における種の支配は次のステージに入った。
これは「世界における歴史的事実で、同じことが日本で進んでいる」という明快な現実である。さまざまなカムフラージュでごまかそうとしても、事実は揺るがすことはできない。
現状の輸入農水産物の怖さ~命を削る食料は安くない
今入ってきている輸入農産物というのがいかに危ないのかについても、もっと私たちは情報共有しなければいけない。検疫でどれだけの農水産物が引っかかっているかをみると、米国からは「アフラトキシン」、発がん性の猛毒のカビ。防カビ剤の 「イマザリル」をかけていても、ほとんどのものからこのカビ毒が出ている。それから、ベトナムなどの農産物にはE-coli(病原性大腸菌)に汚染されていたとか、あり得ない化学薬品がいっぱい検出されているが、港の検査率はわずか7%。検疫が追いつかず、93%は素通りで食べてしまっている。私の知人が現地の工場を調べに行き、驚愕したことには、かなりの割合の肉とか魚が工場搬入時点で腐敗臭がしていたという。日本の企業や商社が、日本人は安いものしか食べないからもっと安くしろと迫るので、切るコストがなくなって安全性のコストをどんどん削って、どんどん安く、どんどん危なくなっている。
輸入農産物が安い、安いと言っているうちに、エストロゲンなどの成長ホルモン、ラクトパミンなどの成長促進剤、遺伝子組み換え、除草剤、防カビ剤と、これだけ見てもリスク満載、食べ続けると間違いなく病気になって早死にしかねない。これは安いのではなく、こんな高いものはない。日本で安心・安全な農水産物を供給してくれている生産者の皆さんを、みんなで支えていくことこそが自分たちの命を守ること、食の安さを追求することは命を削ること、孫・子の世代に責任を持てるのかということだ。
牛丼、豚丼、チーズが安くなって良かったと言っているうちに、気がついたら乳がん、前立腺がんが何倍にも増えて、国産の安全・安心な食料を食べたいと気づいたときに自給率1割になっていたら、もう選ぶことさえできない。今はもう、その瀬戸際まできていることを認識しなければいけない。
国民が求めているのは日米のオトモダチのために際限なく国益を差し出すことではない
「企業参入が活路」の名目で、既存事業者=「非効率」としてオトモダチ企業に明け渡す手口は、農、林、漁ともにパターン化している。H県Y市の国家戦略特区で農地を買えるようになった企業はどこか。その社外取締役は国家戦略特区の委員で、自分で決めて、自分の企業が受注、を繰り返している。国家「私物化」特区だ。森林の新しい法律は、H県Y市と同じ企業が バイオマス発電で「意欲がない」と判断された人の山を勝手に切って燃やして儲けるのを、森林環境税までつぎ込んで手助けする。
漁業権の開放は、日本沿岸の先祖代々、生業を営んできた「漁場を有効に活用していない」と判断された既存の漁業者の生存権を剝奪して大規模養殖をやりたい企業に漁業権を付け替える法改定である。気づいたら、予期せぬ海外のオトモダチに日本沿岸の制海権を握られ、企業参入だ、民間活力だ、と言っているうちに、いつの間にか、外国に日本が乗っ取られる。
「攻めの農業」の本質は、既存の農家が潰れても、日米の特定のオトモダチ企業が儲けられるお膳立てができればいい、というだけだから、仮に少数の企業が利益を増やしても、国民に全体として必要な食料を供給するという自給率の視点は欠如している。自給率は間違いなく下がる。すでに食料自給率は「死語」になりつつある。
日米FTAの交渉開始は、一連の農林水産業の家族経営の崩壊、協同組合と所管官庁などの関連組織の崩壊に「とどめを刺し」、国内外の特定企業などへの便宜供与を貫徹する「総仕上げ」を敢行するという強い意思表示と理解される。
食料と農林水産業とその関連組織(農協・漁協や農林水産省)に「とどめを刺す」と意気込んでいる人たちに、「民間活力の最大限の活用」だ、「企業参入」だと言っているうちに、気づいたら、安全性の懸念が大きい輸入農水産物にいっそう依存して国民の健康が蝕まれ、日本の資源・環境、地域社会、そして、日本国民の主権が実質的に奪われていくという取り返しのつかない事態に突き進む愚かなことを進めているのだということに一日も早く気づいてもらうべく、国民一人一人が事態の本質を正しく認識し、行動を起こす必要がある。
F35戦闘機を105機、1・3兆円とか、米国の言いなりに武器を買い増すのが安全保障ではない。武器による安全保障ばかり言って、食料の安全保障の視点が抜けているのは、安全保障の本質を理解していない。高村光太郎は「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」と言ったが、「食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うこと」だ。
農業政策を農家保護政策に矮小化させてはいけない。食料・農林水産業政策は、国民の命、環境・資源、地域、国土・国境を守る最大の安全保障政策だ。「食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うこと」だと肝に銘じて、安全保障確立戦略の中心を担う農林水産業政策を、政党の垣根を越え、省庁の垣根を越えた国家戦略予算として再構築すべきである。
国民が求めているのは、日米のオトモダチのために際限なく国益を差し出すことではなく、自分たちの命、環境、地域、国土を守る安全な食料を確保するために、国民それぞれが、どう応分の負担をして支えていくか、というビジョンとそのための包括的な政策体系の構築である。競争に対して、共助・共生的システムと組織(農協や漁協や生協や労組)の役割の重要性、消費者の役割、政府によるセーフティネットの役割などを包括するビジョンが不可欠である。
自分たちの安全・安心な食と地域の暮らしは自分たちが守る
このままでは、際限なきTPPプラスの自由化ドミノとそれと表裏一体の規制「改革」によって地域社会がグローバル資本に略奪されて崩壊する。大店法が撤廃され、巨大店舗の進出で日本中の商店街がシャッター街になり、ある程度儲かると撤退して、町を荒廃させてきた同じことが農業を含むさらに広範な分野で進む。これは地方創生ではない。著しくバランスを失した持続しない「歪んだ成長」であり、地域の食と農と暮らしの崩壊である。
「3だけ主義」から自分たちの安全・安心な食を自分たちで守るには、消費者(生協)が生産者(農協・漁協など)と共同してホンモノの価値を評価する基準を策定して適正価格で支え、安くても不安な食を自分たちの力で排除できるような共助・共生システムの強化・拡大が不可欠である。より進めて農協と生協の協業化、合併も選択肢になる。
国政が国民を守らないなら、地域の政治・行政と生産者と関連産業と消費者が一体となって、自分たちの力で自分たちの命と暮らしを守る仕組みを強化していくことが不可欠である。国産牛乳供給が滞りかねない危機に直面して、乳業メーカーが動いた。J-milkを通じて各社が共同拠出して産業全体の長期的持続のために個別の利益を排除して酪農生産基盤確保の支援事業を開始した。JA組織も系統の独自資金による農業経営のセーフティネット政策を国に代わって本格的に導入すべきである。
先日、農機メーカーの若い営業マンの皆さんに講演させていただいたとき、「自分たちの日々の営みが日本農業を支え、国民の命を守っていることが共感できた」と講演後の筆者の周りに大勢が集まってくれた。本来、生産者と関連産業と消費者は「運命共同体」である。
日本の生産者は、自分たちこそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者は、それに応えてほしい。それこそが強い農林水産業である。
フランスのように政府が動くまで徹底的にやらなくては
国民生活の危機は差し迫り、「頑張ったけどだめでした」ではすまないレベルにきている。以前、私のセミナーに参加してくれたフランス女性が指摘してくれた。「日本人は詰めが甘い。フランスのように政府が動くまで徹底的にやらなくては意味がない。流れを変えられなければ、すべての努力は、残念ながら、結局パフォーマンス、アリバイづくりで終わってしまう。フランスなら食料の大切さをわかってもらうためなら、パリに通じる道路をデモで封鎖して政府が政策変更するまでやめない」。大規模デモでパリ・コミューンを実現したフランスはさすがに違うと感心している場合でない。
日本も、各地の生産者、労働者、地域の政治・行政、関連産業、消費者が一体となって、地域を喰いものにしようとする人をはね返し、安くても不安な食料の侵入を排除し、地域の暮らしを守る強固なネットワークをさらに拡大し、欠陥が露呈して限界にきた社会経済システムを変革していく大きなうねりを今年こそ全国的に結集しないと手遅れになる。一人一人の毎日の営みがみんなの命と暮らしを守ることにつながっていることを常に思い起こし、誇りを持ち、われわれは負けるわけにはいかない。