日米安保を認めていても、
沖縄だけにこれだけ米軍基地を集中させていいのか。
日本の皆さん、本当にそれでいいんですか
沖縄と日本は「このままでいいのか!?」
沖縄若手新春座談会
・翁長雄治(たけはる)さん(那覇市議会議員)
・照屋仁士さん(南風原町議会議員)
・玉城 愛さん(琉球大学大学院生)
司会:山内末子(沖縄県議会議員)
山内 新年明けましておめでとうございます。
一同 おめでとうございます。
山内 翁長雄治さん、照屋仁士さん、そして玉城愛さんという、これからの沖縄を担うであろう方々を招いてお話をしたいと思います。まず、新年ですので、昨年はそれぞれお忙しい一年を過ごしたと思いますけど、振り返ってみて、感想などを一言ずつお願いします。
■「選挙イヤー」の一年振り返って
「沖縄の未来は自分たちで決めることを示した県知事選」――翁長
「雰囲気変えた樹子さんのスピーチ」――玉城
翁長 昨年は8月8日に私の父でもあった翁長雄志知事が急逝して、そこから怒濤の3カ月間を過ごしました。本当に皆さんに支えていただきながら、沖縄の新しいリーダーである玉城デニー知事を誕生させることができました。県知事選挙はこれから沖縄が新時代に向かっていく、平成最後の大きな闘いだったなと思っています。新しい2019年もさまざまな選挙が予定され、2月には名護市辺野古への米軍基地建設の賛否を問う県民投票も行われます。去年の気持ちを忘れずに県民の皆さんといっしょにがんばっていきたいなと思っています。
照屋 昨年一年間ですが、昨年4月に南風原町長選に出馬するということで、それに向けての準備や運動が前半戦でした。その選挙は残念な結果になりましたが、後半は今、雄治さんがおっしゃられたように、怒濤の県知事選ということで、公私共に「選挙イヤー」だったなという印象ですね。
玉城 「選挙イヤー」でもありましたが、私は今、大学院の修士課程で論文を書いているため表に出ることは少なかったです。その分これまで触れたことがない本や歴史などについて理解を深める機会がありました。大学院での学びの中で、「愛楽園」(名護市にある国立ハンセン病療養所)に何度か行く機会があって、差別に関することなどについていろいろ考えることができました。こうした差別や安全保障の問題について、新しい視点で沖縄を学ぶことができた年だったなあと思っています。
山内 お二人は地方議員ですので、やはり選挙に関わったことがいちばん大きかったと思います。玉城愛さんからは個人的な学業のことも含めて話がありましたが、また「オール沖縄会議」の共同代表の一人ということでいろんな皆さんとの触れ合いとかもあったと思います。
今回の県知事選挙、残念ながら翁長雄志さんが急逝されたということで、本当に急に前倒しに決まりました。知事が亡くなられる寸前、病床で「沖縄が一つになれば、強くなれる」という言葉をおっしゃっていたことを雄治さんはよく紹介していましたね。まさにその言葉を体言した知事選だったと思うんです。選挙戦は、翁長さんがよく言っていた「沖縄のアイデンティティ」を引き継ぐ形で玉城デニー知事が「新時代 沖縄」という言葉を発して走ってきた選挙でもありました。この知事選を振り返っていろんな思いがあると思いますので、それをまた一言ずつお願いします。
翁長 4年前の県知事選以降、沖縄での各首長選挙に、ここまで地方の選挙に入り込んでくるのかなというくらい政府は力を入れてきました。今回の県知事選でも政府は今までになく力を入れてやってきました。本当に恐ろしい思いをしました。相手陣営からバラマキのような「ニンジン」がぶら下げられました。それを沖縄県民がはね返しました。
基地の是非以前に、「沖縄の未来は自分たちが決める」という意思です。上から「決められたことをやれ」ということに従うのではなく、「私たちは自分たちでやりたいことがたくさんあるんだ」ということを体言したのかもしれません。そして選挙戦を通じて、「国防の最先端に立つ沖縄だからこそ、基地はこれ以上受け入れられない」とか、「基地による経済効果よりも、基地返還後の土地利用の方が発展する」ということを県民は本当に理解したんではないかと思います。それで、今回、過去最高の40万近い得票数になったのではないか。
山内 今、翁長さんからもあったように、私の選挙(一昨年4月のうるま市長選)のときもそうでしたが、首長選挙になると本当に政府の圧力というものを実感しました。照屋さんも昨年南風原の町長選挙を闘いました。そして、県知事選でもそのことを感じたのではないかと思うんですけど、今回の県知事選の大きな特徴や感じたことなどについて照屋さんからお願いします。
照屋 県知事選挙については当初からいろんな不安がありました。翁長県知事が誕生したころからつくり上げてきた県民の思いというのがことごとく(政府に)はね返されてきた流れのなかで、知事が亡くなってしまったときの失望感というのは、本当に僕のなかでも大きな支えを失ったような気持ちでした。しかし今回の県知事選では、それでも県民はあきらめないという思いを結集できて、玉城デニー知事を誕生させることができた。沖縄県民の思いには本当に強いものがあるということ示しました。
一方で、県下の首長選挙で見られるように、地域政治では実際の生活や目に見える利害というものが優先されてしまうことは否めません。民意というのが必ずしも一つの方向だけで決まるのではないということも示しています。このいちばん大きな例は名護市長選挙だったと思います。自分が闘った選挙も含めて、これまでの運動の積み上げすべてが選挙結果に表れるわけではないということを現実問題として知っておかなくてはいけないと感じたところでした。
山内 今お話ししていただいた二人は候補者、地方議員として選挙に関わったんですが、玉城さんは「オール沖縄会議」の共同代表として、また一県民として今回は選挙に十分関わったわけではなかったということでした。そのなかでも一県民としてこの県知事選についての感想や、周りの友達などがどう受け止めていたのかなどについて、感じたことを少しお話しください。
玉城 今回、県知事選で積極的に外に出て話題にするということよりも、SNSなどを通じて、自分の近い友達に知事選について話すぐらいでした。
私の友人らも翁長知事が亡くなったとき衝撃を受けていました。でも、「若者」と言われている人々がすべて、次の県知事については「翁長さんの遺志を継いで」というようなことを直接的に意識して投票したかといえば、そうであったと確信をもって言うことができません。
私の周囲の人々は、候補者それぞれの政策であるとか、今後自分がどんな沖縄で生きていきたいかと考えたときに結果としてデニーさんを選んだ友達が多かったですね。それでも、基地はイヤだけど、「保育料を無償化」や、「携帯電話代の利用料4割削減」という公約を信じて、とくに経済的に暮らしが困窮している友人は佐喜真さんに投票していました。
私の印象で県知事選の雰囲気が変わったのは(選挙戦後半に玉城候補の総決起集会が開かれた)那覇の新都心公園で樹子さん(故翁長知事夫人)が登壇してお話しされたときでした。そこから雰囲気がガラッ と変わったなあと印象を受けました。デニーさんは「新時代沖縄」というのを掲げながら選挙戦を闘い、それに加えて、あの樹子さんのスピーチで候補者と県民がより近くなった印象をもちました。あれが私のなかで境目と感じた瞬間でしたね。
山内 樹子さんのスピーチは全体的な選挙の流れの大きな節目だったということが、マスコミの皆さんに聞いてもそうだったと言っていましたね。選挙戦のなかで県内地域の温度差を感じたときがあったのですが、その流れを変えたのが樹子さんのスピーチでした。ここで本当に「オール沖縄」になって、選挙の後半、伸びていったイメージがあります。
もう一つ、亡くなった翁長県知事は「日米安保を認めていても、沖縄だけにこれだけ米軍基地を集中させていいのか。日本の皆さん、本当にそれでいいんですか」ということをよく問いかけていました。これは引き継いだ玉城知事も当初から言っていることです。
沖縄、日本を取り巻く状況も大きく変化しています。国際環境の変化のなかで沖縄と日本は「このままでいいのか」ということを、沖縄から本土の皆さんに問いかけることの必要性というのを感じています。
■「沖縄だけにこれだけ米軍基地を集中させていいのか」 ――沖縄の思いをどう伝えるか
「本土の普通の感覚もつ人に発信」――翁長
「相手の思いに心寄せることも必要」――照屋
翁長 今、おっしゃられた通りで、「安保」「防衛」ってそもそも何なのかという議論がないなかで、「とりあえず、沖縄に基地を置いておけ」ということがまかり通っています。僕もツイッターでいろいろ発信しています。そのなかで、「沖縄に基地を置くべきだ」という本土の人たちのなかにはもう「防衛」ということは関係ないんですよね。「普天間を返さなくていいのか」「辺野古で工事に従事している人はどうなるんだ」とか、議論がまったくずれているんですよ。ウチの親父がよく、「あんたたちは日米安保に賛成じゃないのか」と言いました。「賛成ですよ」と答えると、「なら、なんで基地を引き受けないの」と言うんですよ。だから、「本土の皆さんは(日米安保に)反対なんですね。だって、基地を引き受けないじゃないですか」と返すと、黙ってしまうんですよね。
僕も上京したときにタクシーに乗って、「沖縄から来ました」と言うと、ドライバーの方から、「基地問題でもめているところですね」と聞かれ、「そうですよ」と答えると、「お客さんは基地に反対なんですか。予算もらっていいじゃないか」と言うから、「東京の海を埋め立てて、基地つくれば、予算も来ますよ」と返すと、「それは、ちょっと……」と言うんですよ。だから、僕は「いっしょですよ」と言うんです。
本当に沖縄の米軍基地が日本の防衛、国防のために重要だったら、ちゃんとした説明があるはずですよ。しかし、それがないんですよね。ただただ、「日米で合意した。沖縄はそれを認めたはず」という訳が分からない論理だけですね。本当にすべてにおいて本質からずれていると思います。
だから、僕は一生懸命、ツイッターで叩かれることも多くありますけど、気にしてもしょうがないので、どんどん発信しています。少しでも本土の普通の感覚をもった人たちに「沖縄に悪いことをしているのかなあ」と思ってもらわないといけない。
また僕は共産党の人たちによく、「沖縄にいらないものは全国でもいらない」というのではこの問題、解決しないから、「ぜひ、本土で米軍基地の引き取り運動をしてください」と言うんです。まず、本土に米軍基地を移して、日本国民1億2千万人の力で基地をなくしましょうと。沖縄県民140万人の力だけでは足らないから、日本国民全体の力を使って日本の土地を、国民を守りましょうよという話です。
ただ、これは恐らく、僕とか照屋さんとか保守的な立場の人しか言えないことなので、どんどんこれから発信していって皆さんにご理解いただきたいなと思うところです。
山内 照屋さんは日本青年団協議会の会長だったということで若い人とよく接すると思いますが、そういう感覚のなかで日米安保とか、いろいろ議論したりすることもあると思うんですが。
照屋 僕は地域から青年運動に入って、日本青年団協議会の会長を昨年5月に退任しました。そうした役職、役割柄、日本全国に仲間がいるとともに、中国、韓国、北朝鮮、ロシアなど海外の青年組織の仲間の意見を聞くことも多かったと思います。
今、雄治さんがおっしゃったように、沖縄の課題を解決するためには、全国の皆さんの力がやはり必要なんですよね。でも、一方で全国の皆さんの理解が深まらない。この矛盾が国との対立、沖縄の民意が踏みにじられているという形になっているんだろうと思うんですけど。
全国地方議員交流研修会で一つ、「これだ」と思った言葉がありました。これは京都精華大学の白井聡先生の言葉です。白井先生がおっしゃっていたのは、「日本、本土の人たちだって、沖縄の人たちが苦しいし、大変だということは理解している。さらに歴史的背景も戦争の時代、そして27年間にも及ぶ米軍支配で苦しんだ歴史も知っている。そういうなかで沖縄に自分たちが基地を押し付けていることを実際は知っていて、それが心苦しい。自分たちが悪いことをしているような思いを言いづら い」のだと。理解を示してくれる本土の人の本音なんだろうなと思いました。
翁長 良識ある本土の人たちね。
照屋 全国の仲間と話すときに、沖縄のことは注目もされ、沖縄に理解を寄せている人も多いです。それでも、「沖縄のことを理解してくれ」という主張だけではやっぱり伝わらないですね。
僕が心がけてきたのは、沖縄に関わる問題をより深く理解してもらうためには、相手のことをもっと理解する必要があるということです。自分の主張をするだけではなくて、相手の主張をどうやって受け入れていくか。
僕が全国の活動をしたなかでは東日本大震災の経験がいちばん大きく、そこから原発の問題も非常に大きくクローズアップされました。また昨年は九州や広島での豪雨被害をはじめ、全国各地で災害が多発しています。「自然災害」という違いもあるかもしれませんが、その現場の人しか分からない苦しみというものは沖縄だけではありません。本土における自然災害などについても、沖縄の人たちにとって共通なものになっているかどうか。そういうものを自分自身にも問いかけています。
それは海外との関係でもいっしょですね。中国に行っても、中国の対日感情が厳しいとき、緩やかなときの両方を経験していますけど、相手してみていちばん思うことは、日本人として中国との共通の歴史認識だったり、被害者、加害者としての認識をもっているのかというのが、会話の入り口としてあったのではないかと今にして思えば感じているところです。
やはり、自分たち沖縄の課題を全国民の共通課題にどうもっていくか。玉城デニー知事が訪米して、アメリカの国民にも沖縄について理解してもらう努力もしています。
山内 とても大きな課題ですよね。戦後70年以上、こうした構図が続いてきたわけですから。故翁長知事が全国知事会で日米地位協定についても一石投じたということで、少しずつ間口が開いてきて、期待したいところなんですけど。
玉城さんみたいに、若い人たちというのは、例えば日米安保について普通の生活感覚のなかで話題にすることなどあんまりないと思うんですけど。でも、選挙になるとこうした問題がクローズアップされますよね。そういう問題について若い人たちはどういうふうにとらえているんでしょうか。
玉城 私も普段の生活のなかで、一部の友達とはそういう話をしますが、話さない友達も多いのが実際です。自分から意識的に話すときもあるんですけど。やはり、楽しい話題に話がシフトしてしまうことも多いですね。
■若い世代の力をどうやって集めるか
「こちらから声をかけることこそ」――照屋
「一人ひとりの思いを大事に」――玉城
山内 そういうなかで、今回の知事選では「デニってる」という言葉が若い人たちの間ではやりました。これまで、沖縄の選挙では比較的、自民党陣営の方が若い人たちを前面に出して、一方、こちら側は若い人たちに支持を広げるのが課題でした。しかし、今回の県知事選では若い人たちが前面に出て、積極的に運動を展開したり、一歩踏み出したりしたのかなと思うんですけど、そのへんについてはどういうふうに思っていますか。雄治さんはデニー選対本部の青年局長だったわけですが。
翁長 僕はずっと自民党側にいたんですけど、当時、普通のサラリーマンだった自分はJC(青年会議所)などの組織のなかで活動していたんですね。今回の知事選を見ていても、向こう(佐喜真陣営)は大学を卒業したての人が青年部長でしたけど、この青年部が独自に何かやっているかといえば、そうではなかった。彼らは普段何もしていない。
それに対して、われわれ玉城デニー陣営では若い人たちは最初は一人、二人といった感じでしたが、「沖縄の未来は自分たちで決めたいんだ」という思いをもった若者でした。選挙だから集まったというよりも、沖縄の未来を考える若者が集ったイメージをもっています。
玉城 何というか、JCみたいに組織の考えで集まったんじゃなくて、それぞれ思いをもつ個人が集まってという感じでしたね。
翁長 そう、個人が集まった。今回の県知事選で自分たちが応援したい人がしっかり当選して県民に受け入れられたという「成功体験」があったので、知事選後の豊見城市長選、那覇市長選とその流れは続きました。そして、今年行われる県民投票、衆院補選、参院選というところまで続くんじゃないかなと期待しています。
僕は自分の選挙でも、「あなたが望む沖縄をつくってくれると思う候補者を一生懸命応援したらいいよ」と言っています。「僕じゃなくてもいいよ」、「君の声が那覇市を変えていくかもしれない」ということを言っている。今回関わった若い人たちが周りに広めていったら、これからもっと若い人たちの間で盛んに議論ができると思っています。
山内 選挙が政治に関わる第一歩ですからね。それでも、普段生活の不満を口にしても、投票に行かない若い人たちもたくさんいます。だけど、動かないと何も変わらないということを若い人たちが感じ始めていると思います。
照屋さんは青年団の活動をずっとやってきて、若い人たちとの関わりをもってきました。若い人たちを選挙に関わらせることの意味や意義というのを少しお願いします。
照屋 もう僕は40歳を過ぎました。34歳から議会に入って活動をしてきたわけですけど、今でも日ごろ若い仲間や後輩たちと触れ合う機会は多いかなと思っています。
よく、「若い人たちをどう集めるか」「投票率をどう上げるか」と言われます。「若い人のことは若い人たちがやってくれ」とも言われますが、それではダメなんですよ。やはり、組織、運動でも同じですが、まずは若い人たちにこちらから声をかけることが大事です。声をかけずに「どうやったら若者が集まるのか」なんて言ってもダメです。自然に人が集まって、興味をもつなんてことはまったくないんです。こちらから何かを投げかける言葉がないと、スタートはしません。それは組織づくりでも、地域づくりでも、選挙でもみないっしょだと思っています。
逆に僕は自分の町長選挙のとき、「こんなにも集まるのか」というくらいに若い人が集まった経験があったんです。なんで集まったのか。やはり、一人ひとりに声をかけたことが大きかったですね。今まで「若い人を集めよう」と言っていた人たちは、「あれはよくない」「こうやってはいけない」と言うばかりでした。
結局、声をかけることを恐れてしまったり、接点をもつことを避けてしまったりしたら、やっぱり進まないなと思うことはいろんな場面で感じています。声をかけることによってしか、相手の言葉を聞けません。そういうことの積み重ねが選挙だったり、政治だったりだろうと思っています。いろんな人の力を借りないといけないなと常々思っています。
翁長 自分がすごく信頼できる10人がいたら、その10人が一人連れてきたら20人になるし、あと数人連れてきたらもっと増えるし、一人が一人連れてくるだけで大きな力になります。「この人たちとならいっしょにできるな」と思ってくれたら必ず次も参加してくれると思うんですよ。それを「楽しいことをしているからおいで」だけではなかなか難しいですよね。だって、世の中、もっと楽しいことたくさんあるわけですから。
■夢と希望がもてる沖縄とは
「子どもや孫につなげられる沖縄に」――翁長
「沖縄のおかげで日本がアメリカと対等になったと言われるように」――照屋
山内 変わり始めました。このイメージが若い人たちにどんどん広がっていって、これが次のいろんな選挙にも波及して、若い皆さんたちが積極的に関わる。そんなステップにできたらいいと思います。
沖縄の今は本土から見れば、観光がいちばん大きいですが、光り輝いているイメージがあるようです。それでも、辺野古の問題だとか、県知事と政府とが対立しているという相反するイメージもあるみたいです。
そうしたなかで沖縄の若い皆さんがもっている夢や、その沖縄の夢を本土の皆さんたちにどういうふうに見ていただくか。こうした本土に対する思いを一言ずつお願いします。夢を語っていただきたい。
翁長 僕たちの子ども、そして孫たちが胸を張って、「沖縄に生まれてよかったなあ」と思えるようにしたいですね。何かに賛成でも反対であったとしても、一度も逃げることなく、自分たちの世代にどういう沖縄を残していきたいかということを必死に考えてくれたんだと思われたらいいですよね。そうした思いをまた次の世代に向けて考えていこうという、数珠つなぎというか、ずっとつないでいける沖縄県であってほしいと思います。
僕は、個人的に沖縄はアジアのど真ん中に位置して、経済的にも日本に非常に貢献できる場所だと思っています。物流やIT分野などで先頭を走れるものをもっています。そして、沖縄を介して各国が平和について考えてくれたり発展に貢献できたりするような地域になってほしいなと思います。そのためにも私たちはまた一生懸命、沖縄の将来について、日本の人たちに訴えながら、自分たちのなかでもしっかり議論をしながら、やっていきたいと思っています。
照屋 ものごとや沖縄の将来というのは、一気には変わりません。今、僕があるのも直近でいえば故翁長知事が残してくれたものがあって、それを新たな視点含めて、どうやって展開していくかということが課題です。僕は地元で仲里利信さん(前衆院議員)が地域の先輩としていて、その生きざまを見てきて、やっぱり信念をもって生きる大切さというのをとても身近で学ばせてもらいました。
今ある沖縄の社会は過去の悲惨な歴史の延長線上にあるわけです。今、辺野古新基地建設をめぐって、政府と争っていますが、同じようなことは過去にもあったじゃないですか。米軍統治下での闘いや、戦争に踏みにじられた歴史もありました。それ以前は琉球が侵略された歴史もあります。その過去の延長線上に自分たちがいて、自分たちの子どもたちはまたその未来の延長線にいる。
だから、妥協することもあると思うんですよね。後ろめたいこともたぶんあると思うんです。だけども、「譲れないものは何なのか」ということを固めながら、それを実現するために一つだけでもいいから、自分にできること、自分が譲れないものはこういうことだっていうことをもてるような仲間づくりをしていきたいですよね。
いちばんは自分がそうならないといけないと思っています。まずは自分が実践しないと、人には理解してもらえませんから、自分自身を高めながら、やっていけたならなあと思っていますけどね。
山内 玉城愛さんは「オール沖縄会議」の共同代表の一人として重い課題を背負って、毎日厳しい思いをもっていると思いますが、学生、女性の一人としてもっている沖縄への夢をどうぞ。
玉城 私も含めて翁長前知事が遺した言葉やメッセージをちゃんと受け継ぐ沖縄の人たちは多いなと思っています。そして、こうした人たちがもっとこれからも多くなると思うんです。
今起こっている問題だけじゃなくて、沖縄がどんな歴史的な背景をもっているかとか、さまざまなことを認識することが必要だし、これを子どもたちにも伝えることができれば。そういうことに関われたらなあと思っているところです。抽象的にもなりますが、ウチナーンチュの根本的にあるものをどうやって育てていくのかが大事なんじゃないかと思って。
照屋 僕は今まで活動してきたなかで、「沖縄はとても素晴らしい」「日本全国が沖縄のようになればいい」「そして、世界中が沖縄のようになればいい」ということをいろんなところで発信してきました。
分かりやすく言うと、お盆になったら、いつまでもエイサーの音が聞こえてきて、子どもや孫を連れて、「お父さんも若いころやっていたんだよ」と言えるような沖縄。いつまでもおじいちゃん、おばあちゃんとお父さん、お母さんが三世代同居していて、「大変だよ」と言いながら孫の面倒を見るような沖縄。そしてお祭りなど地域のつながりが根づいている沖縄。そして、昨年、安室奈美恵さんが引退しましたけど、芸能やスポーツを誇りに思える沖縄。
そういうことが自分たちの子どもの時代にもあってほしいと思います。
そして、「沖縄のおかげでアメリカと日本も対等になった」と言われる沖縄にしたいと思います。
山内 最後になりますが、今年の抱負を一言ずつお願いします。
翁長 私は昨年、非常にあわただしい一年を過ごしましたので、個人的には子どもの生活を見たいなと(笑)。子どもたちが家で見る父親かテレビで見る父親か、どちらが本当なのか分からないような親はやめようと(笑)。
照屋 僕は昨年5月に青年運動の組織は卒業しました。今年43歳になるので、雄治さんと似ているかもしれないけど、これまで本土とかいろんな組織運動に情熱を傾けていた部分を、今は町議会議員ですので、もっともっと、町づくりにこだわりたいですね。地方自治体には課題がたくさんありますから。「国や県がやってくれる」というのではなくて、一地方自治体でも解決できる、めざせる、そして、自分が解決できる。それにこだわって、とことん地域のなかであがいてみたいと思っています。そのためにもまずは自分を高めていく。それは心身共にですね。
玉城 私はまず、論文を書くことですね。あと一年延ばして書こうかなと思って。
山内 どうも、ありがとうございました。沖縄の若い3人の力強い言葉を聞いて、私も涙が出そうで(笑)。頼もしくて、沖縄の未来が明るいということを本土の皆さんにも広げながらがんばっていきたいと思います。今年もいっしょにがんばりましょう。