危機が叫ばれる真っただ中に朝鮮訪問

渋谷区議会議員 芦沢一明

 「こんな時に北朝鮮なんかに行って大丈夫か?」「帰ってこられるのか?」 5月3日~8日の6日間の朝鮮民主主義人民共和国訪問は、メンバー6人全員が、事前の周囲とのこんなやり取りに苦労させられた。もとより、明日にも戦争勃発かという報道が溢れたこの時期をわざわざ選んだのではない。
 もともとこの時期に準備して、主宰する日朝関係を中心とした研究会・東アジアフォーラムをはじめとして参加者を募り、日本人遺骨の遺族探しや墓参に取り組む平壌・龍山会会長、地元の商店会長(この2人は80歳代)など何人かと私とで団を構成し、招請元の朝鮮対外文化連絡協会(対文協)と折衝を進めてきた。
 だが、「4月危機」など、米空母の朝鮮半島近海に向けた航行などの動きに加えて「先制攻撃」の可能性まで取り沙汰される情勢になってしまった。訪問延期を覚悟していたのだが、1週間前になって対文協から「入国許可が下りたので予定どおりお越しください」との連絡をもらった。

無言のカメラに閉口

 こうした情勢から、旧知のメディア関係者にも事前のお知らせは一切していなかったのだが、なぜか出発2日前からいくつか問い合わせのTEL。出発当日にも、羽田空港のJAL搭乗手続きカウンター前には、TBSのカメラが待ち構えていた。マイクを向けられたので、「これまでも国同士の関係が動かないなか、対話は閉ざさない、交流は絶やさないとの立場で活動してきた。こういう事態になってもその考えは変わらない」と述べた。翌日の北京出発時にもテレビ各局。日本人記者は話しかけてくるからいいが、「とにかく映像だけ撮ってこい」と指示されている現地スタッフが、車を降りたところから無言でカメラを回してつけてくるのには閉口した。報道陣には復路の北京、羽田でもつかまり、コメントがTBS、フジのニュースで放映された。
 北京―平壌間は、朝鮮の高麗航空とともに運航していた中国国際航空(CA)が運航を停止したことが、中国の朝鮮に対する制裁の一環であるとして大きく報じられていたが、われわれの滞在中に復活していた。別に丹東―平壌便も週2便の運航を3月から始めている。中国のこのような対応を日本のメディアは報じていない。
 平壌到着後、出迎えの対文協・桂成訓日本局課長と再会。高齢のメンバーもいるため、移動に大型バスを用意してくれた。こうした心遣いは嬉しい。ホテルへ向かう車中、完成したばかりの黎明通りの高層住宅群を案内しながら、桂課長の「今にも戦争が始まると報じられている真っただ中に、6名の皆さんが勇気をもって全員、無事に到着されたことを心より歓迎します。実は途中で引き返されるのではないかと半分心配していました」とのユーモラスな挨拶に、緊張もほぐれる。
 車内から眺めた1年半ぶりの平壌市内は、4月の太陽節や人民軍創建記念日、5月1日のメーデーなどの行事を終えて、落ち着きを取り戻した様子。車の交通量もさらに増えた。やはり来てみないとわからないものだ。日本の報道との落差に驚く。

日朝関係改善への姿勢

 私自身がこの訪問で意識していたのは三つの課題であった。ひとつは、緊張が伝えられているなかで、膠着状態が続く日朝関係について、朝鮮側がどういう見解を持っているかを知ることであった。これに関しては、2日目の夜、昨年11月に設立された外務省傘下の研究機関・日本研究所の崔光明上級研究員と意見交換する機会を得た。
 日本研究所は、日本の植民地支配を直接、経験していない世代が増えるなかで、日本に対する正しい認識を普及させることを目的につくられたという。日本の研究機関や学者、ジャーナリストとの交流も希望しているという。
 対日関係については、「両国間の不幸な過去の清算が必要」と前置きしたうえで、対立してきた相手であっても、自主権を尊重し、友好的に付き合おうという国との関係は改善するというのが労働党大会で確認された方針だと紹介。ストックホルム合意の扱いについては、「日本がわが国への独自制裁によって合意内容を一方的に放棄した」と指摘しながらも、「制裁を解除すれば、朝鮮に対する重要な政策変更と受けとめる」とも語った。「近くの親戚でも行き来しないと遠くの縁戚よりも遠くなる」と朝鮮のことわざを紹介しながら、関係改善への意欲も明らかにした。

課題の多くは日本人の問題

 二つ目は、実は、日朝間に横たわっている課題の多くが日本人の問題であるということをどうとらえるのかという問題である。拉致問題、日本人遺骨、残留日本人、日本人配偶者など、いずれも当事者とその家族は、両国間の対立のもとで置き去りにされてきた。高齢化が進むなかで時間的猶予は一刻も許されない状況になっている。
 訪朝団は3日目に、平壌郊外にある日本人埋葬地・龍山墓地を訪れた。ここには2千4百名の日本人が眠っている。朝鮮領域には、敗戦前後に亡くなった2万名を超える日本人の遺骨が埋葬されているが、遺骨の収容・返還は手付かずのままだ。訪朝団に参加した平壌・龍山会の佐藤知也会長は、4歳から16歳までの12年間を平壌で暮らし、父親が作成した埋葬者名簿を頼りに遺族探しや墓参に取り組んできたが、国や地方自治体の積極的な協力が得られないなかで、判明した遺族は26名。それでも、訪朝の直前に新たな問い合わせがあったという。
 ストックホルム合意では、すべての日本人についての包括的な調査の実施が謳われており、その調査結果を受けて、一つひとつ検証しながら課題を前に進める姿勢を日本政府はなぜ持たないのだろう。拉致問題、核とミサイルの問題が解決しなければ、他の問題を進めるわけにはいかぬというのが日本政府の姿勢だが、では他の課題は置き去りにしたままでよいのだろうか。当事者とその家族にとっては、どの問題も「最優先」であるはずだ。

分断以来続く緊張

 三つ目は、朝鮮有事が喧伝されるなかで、板門店は実際どうなっているのかをこの目で見ることであった。案内してくれた人民軍中佐に、現地での緊張状態を尋ねると、「緊張というなら、南北分断以来、ずっと緊張状態は続いてきた」との答えが返ってきた。「現在の状況は、互いに銃の引き金に指をのせた状態。だが、どちらかが引き金を引けば破滅を招くのは目に見えている。われわれは決して戦争など望んでいないのです」と語った。
 南北分断は続いており、朝鮮戦争はいまだ終結していない。そういうなかで取り沙汰されている「北朝鮮危機」である。朝鮮半島情勢を考えるうえでの前提や背景をわれわれはもっと理解すべきだ。

市民の日常を奪うな

 帰国後は、多くの方々から「よくぞご無事で」「よく帰ってこられたね」などの反応をいただいた。「平壌はいたって平穏でしたよ」と答えると、皆さん「えっ」と驚く。滞在中には、結婚式を迎えた新郎新婦の姿を、少なくとも2ケタは見かけた。こうした市民の日常を安倍首相が「米国の選択を全面支持する」とした日本が奪うようなことがあってはならない。
 日朝関係が冷え込むなかで、朝鮮で日本語を学ぶ人たちが減ってしまっている。朝鮮革命博物館を案内してくれた女性説明員は、平壌外国語大を卒業したばかりで、案内するのがわれわれで2組目とのことであった。「日朝関係が良くないのになぜ日本語を」と尋ねると、「日本は隣国ですから」との答えが返ってきた。
 日朝関係は、まだまだ困難な局面が続く。政府が、政治が動きだす日まで、直接顔を合わせ、言葉を交わし、触れ合うさまざまなレベルでの対話と交流を積み重ねる必要がある。

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