ウクライナ戦争1年―安保3文書閣議決定 前泊 博盛


沖縄から見た安保関連3文書
台湾有事という「危機」演出

沖縄国際大学教授 前泊 博盛

 前泊博盛沖縄国際大学教授は衆議院予算委員会公聴会で2月16日、公述人として意見陳述と質疑応答をおこなった。本稿は、そこでの発言を『日本の進路』編集部が整理・要約したもの。(見出しを含めて文責編集部)


 「見捨てられる恐怖」と「巻き込まれる恐怖」というが、日本は今まさに(アメリカに)「見捨てられる恐怖」から、アメリカの戦争に巻き込まれる危険な水域に入っていると感じる。
 そうならないために今沖縄では、「ノーモア沖縄戦」という取り組み、「対話プロジェクト」として台湾の皆さんを招いて議論する取り組み、さらに「沖縄ハブ・東アジア平和プロジェクト」など、沖縄を戦争に巻き込まないために鬼気迫る感じでさまざまな取り組みが始まっている。
 さらに政府だけに任せていたら沖縄が戦場にされかねないということで、沖縄県による独自の自治体外交も始まっている。ぜひ、国会も傍観者ではなく、当事者として取り組んでいただきたい。

戦争を今引き起こそうとするのか

 現在、国会審議もなく「安保関連3文書」が閣議決定され、軍拡や敵基地攻撃能力の保持などが決められた。防衛省の予算書を見ると愕然とする。「もう戦争が始まったのか?」と思ってしまうほど、一気に1兆4000億円も増額されている(図1)。「戦時体制」のための予算編成が第一歩を踏み出している。

図1 歳出予算の推移(当初予算)

 今回の「安保関連3文書」による新国家防衛戦略では「我が国自身の防衛体制の強化」が強調されている。まさに「見捨てられたときに困らないような自主防衛体制強化か」という印象を受けた。
 「日米同盟の抑止力と対処力」に続き、「同志国等との連携」とある。このなかには豪州、インド、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア等、さらに韓国、カナダ、ニュージーランド、さらに東南アジア諸国がある。岸田首相の外交力の発揮について注目していたが、岸田首相が昨年来おこなった外交は、これらの同志国への訪問を繰り返し、並べてみると明らかに中国包囲網をつくろうとしているかのような印象だ。中国からすれば心穏やかではなく、この包囲網への対抗策を講じさせる。まさに戦争を惹起する外交ではないかという印象を受ける。
 そもそも何のための「安保関連3文書」なのか、国民に十分な説明をおこなっていない。文書のなかには「海上自衛隊と海上保安庁の融合」とある。尖閣問題を抱えている沖縄からすると大きな問題だ。今までは海上自衛隊が出てきておらず、海上保安庁による対応のおかげで戦争に至っていないという視点で見ていたが、ここに海上自衛隊が出てくることになれば、一触即発の危機すら招きかねないという懸念がある。
 沖縄には陸上自衛隊第15旅団が駐屯している。文書では第15旅団を師団へと格上げし、現状2500人を、5000、6000あるいは7000人にまで増員することになる。師団は、単独で戦争が遂行できる規模といわれる。師団化することによって沖縄での局地戦を展開する準備を進めているかのような印象を受ける。こうした問題に対しても沖縄では非常に危機感が広がっている。
 そして、国是であったはずの「専守防衛」が、あっと言う間に「敵基地攻撃能力」に転換されてしまった。ここに踏み出してしまうと軍事力はいくらあっても足りないという状況になる。トマホーク500発で、本当にこの国を守れるのか。現在、ロシアはウクライナ侵攻では、3000発~1万発のミサイルを撃ったがまだ劣勢にあり、「今後の勝利を得るには10万発が必要」という話も出ている。そうすると、もしも日本が中国に立ち向かうときにどれほどのミサイルを準備しなければならないのか。
 沖縄には本土復帰前まで、約1300発の核ミサイルが配備されていた。そのミサイルがどこに行ったのか。これはアメリカの「曖昧戦略」のなかで明らかにされないまま現在に至っている。その核が台湾に行っていないという保証はあるのか、という疑問が残る。偶発的な戦争勃発の危険性が、専守防衛の国是を撤回することによって出てくる可能性がある。
 台湾有事の危機が演出されようとしている。危機を煽れば煽るほど軍事的な有効需要が創出され、軍需産業がもうかる。43兆円という莫大な防衛投資がおこなわれようとしているのだが、なぜこのような額になるのか?
 以前、私が衆議院の公聴会で発言したときの予算にも、オスプレイ購入予算があったが、トータルの費用としては出てくるが1機当たりの価格はわからない。私がワシントンで聞いたときには1機当たり98億円ほどだと言われていた。ところが、予算書ではオスプレイ17機に対し約3700億円、1機当たり約200億円にもなっている。なぜ日本が買うとそんなに値段が跳ね上がるのか。
 さらに戦時体制の構築という観点で今回の予算書を見てみると、世界第3位の軍事大国化という指摘もある。防衛費のGDP比1%も撤回して2%に設定したが、その算出根拠はどこにあるのか、日本は本当に軍事大国を目指していくのかどうか、この予算委員会のなかでしっかりと議論すべきだ。

なぜ沖縄が戦場にされるのか?

 安保関連3文書は、沖縄が戦場として想定されていると受け止められる文書になっている。燃料や弾薬など補給基地の強化など兵站基地化という話も入っており、離島防衛という名目で離島におけるミサイルの配備、超高速滑空弾の配備、長距離弾もこれまで射程が500~600キロメートルだったものを1500~2000キロぐらいまで延ばす話までされている。敵基地攻撃までできるような拠点に南西諸島を位置づけようとしている。
 沖縄を戦場にする方向が示されるなかで、学生たちからも「もう沖縄ガチャから抜けたい」「なぜ沖縄に生まれたばかりに基地問題や戦争の話ばかりされるんだ」という発言が出ている。

図2 対中国を想定した南西諸島を中心にした自衛隊の配置図

 沖縄を戦場にしなければならない理由は何なのか。今ウクライナでは東部ドンバスが砲撃を受けているが、首都キーウでは普通の生活が続いている。日本に置き換えれば、沖縄は戦場になっても、東京では普通の生活が続くというイメージすら浮かんでくる。
 現在、沖縄を含む南西諸島全体、馬毛島、奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島と次々に自衛隊のミサイル基地等が建設され、あるいは建設が予定されている。このミサイル基地は誰から誰を守るためのものなのか、というところが非常に気になる。
 「軍は民を守らない」ということが、沖縄戦における最大の教訓だった。
 自衛隊将官クラスのOBたちが有事関連本を出しているが、台湾有事問題をめぐる本では「国民保護については自衛隊の仕事ではない」「国民保護は地方自治体の仕事だ」と言っている。私も沖縄戦を戦った当時の航空参謀・神直道氏を取材したときに、「軍は民を守らないというのは本当か?」と問うと、「その通りだ。軍の任務は敵の殲滅だ」と語っていた。
 与那国島や石垣島、宮古島では、万が一の際には住民避難のため100隻余りの大型艦船が必要になるが、それを用意するのは事実上困難だ。しかも避難には1週間から10日もかかるという議論になっている。「避難は無理だからシェルター」という話だが、まさにウクライナのドンバスと同じようなシェルター生活が何日続くのか?
 そして今、ウクライナ戦争を見ていると、軍隊は国民を守らないどころか「軍は民を盾にする」という新たな脅威が出現している。民間地域を戦場にすることにより、攻撃を受けて犠牲者が出る。その犠牲者数を外に向けて公表することによって国際世論を味方に付け、NATO軍からさらに武器供与を受ける。このように民を盾にするような戦争であるように映る。沖縄がこのような犠牲を受けないためにどうすればよいのかということを考えている。
 私は、沖縄は日本の「カナリア」(炭鉱などで毒ガス検知の警報器代わりに飼育された)だと思っている。この国のなかで沖縄が犠牲になるときは、日本全体が犠牲になるときだ。沖縄という地域は、日本という国が抱えている問題がすべて凝縮されている。沖縄の危機を共有することによって、日本の危機に対処することができると思う。ぜひ傍観者でなく当事者としてこの問題について注目してほしい。

新年度予算の問題点

 国会で提示された国家予算の推移を見ると、すさまじい勢いで異次元の軍拡が進められていることがわかる。
 これだけ大きな予算が付けられるのであれば、物価高に苦しむ国民の生活保障をもっとしてほしいという声も多く聞く。
 沖縄は昨年、本土復帰50年を迎える節目の年となった。これまで3000億円台を維持していた沖縄振興予算が2600億円台に減らされた。復帰50年のご祝儀かと思っていたら、逆に減らされた。その理由には県知事選挙などを含む政治的な問題が絡んでおり、県民の選択いかんによって予算を増減させるという非常に残念な国だと感じる。
 沖縄の所得水準は、50年間全国最低のままだ。復帰後、沖縄には総額13兆5000億円が「沖縄振興予算」として投入されたとされるが、所得水準は全国最低。その理由について調べると、国から落とされてくる予算のうちの48%が本土ゼネコンに還流し、公共投資の投資効果が低いという実態がある。

軍拡は軍拡競争をもたらすだけ

 岸田内閣は軍事力を強化することで武力攻撃を受ける可能性を低下させるという考えだが、これは間違いだ。軍拡は、新たな軍拡を招く。日本がこれだけ大幅な軍事費増額をおこなえば、仮想敵とされる相手国は日本を上回る軍拡をしてくる。この「チキンレース」を日本が仕掛けているかのような印象を受ける。アジアにおいて軍拡がどんどん進む危険性があり、今はむしろ軍縮に向けた動きを外交として進めていくべきだ。
 2020年3月に米軍のインド太平洋司令官が、「6年以内に中国が台湾に侵攻するかもしれない」という発言をしてから、日本でも「台湾有事は日本有事」といわれ議論されるようになった。軍人は、軍事的利権に伴う発言をする。軍事的な分野からの発言が増えていくと、当然危機感は高まる。アメリカに行くと国防総省と国務省では見解が違う。そのようにアメリカからの情報を多面的にヒアリングすべきだろう。軍人たちはリタイア後の就職先についても考えるため、軍事的な脅威を煽ることによって有効需要が創出されてそこに仕事が生まれるという関係だ。
 70兆~80兆円のお金を国防費に充てているアメリカでは今、かつてアイゼンハワーが提唱した「軍産複合体」の概念がさらに広がり、軍・産・官・学に「報(メディア)」まで加わった複合体が、軍事的な風潮を煽っている印象すら受ける。
 「トゥキディデスの罠」という言葉がある。従来の覇権国家が台頭する新興国を戦争が避けられない状態にまで追い込む現象を指している。このアジアでも、旧来の覇権国が新興国をつぶすための戦争を仕掛けているのではないかという印象を受ける。では、このなかで国民はどう対応すればいいのか。日本がその罠にはまりかねないということを懸念している。アメリカの戦争に日本が巻き込まれないためにはどうするのか。国を守るよりもまず国民を守る安全保障のための議論をしていただきたい。

日本の自主的な平和外交が必要

 しかし、日本の政治家でアメリカにものが言える政治家がどれだけいるのか、というのが気になるところだ。アメリカと対等にものが言える関係をつくっていただきたい。
 日本独自の外交を展開することによってアジアにおける有事を起こさせない。私は、大きな話であるが、アジアは一つのチームをつくるべきだと思う。EU(欧州連合)があるように、「AU(アジア連合)」を形成し、アジア人の手によってアジア人の血は一滴たりとも流さないという決意が必要だ。
 そして、フェイクニュースに踊らされないように、アジアで共通のメディアをつくることも必要だと考える。ファクトとエビデンスに基づいた冷静な判断ができるようにしなければならない。
 台湾有事をめぐっては、中国の習近平国家主席が「独立の動きがあれば武力攻撃も辞さず」というスタンスである以上、独立について議論をさせないことが一つの回避策だ。また内乱や外部介入も武力攻撃を惹起する条件とされている。今はこの三つをまずは起こさないことが最重要。
 だが、日本が今ミサイル防衛という形で外部から介入しており、日本が有事を招きかねないような環境をつくっている印象を受ける。
 米軍普天間基地にも米兵が地下から湧いてくる穴があると聞かされたことがあるが、それは核シェルターだと聞いた。当然、嘉手納や普天間には地下シェルターがある。なぜ有事の際に米軍だけが生き残るのか。基地の外では146万人の沖縄県民が暮らしている。県民を守れるように外交による安全保障政策を実現しなければならない。
 米ジョンズ・ホプキンス大学は朝鮮有事でどれだけの犠牲者が出るかという数字を出しているが、なぜか日本の防衛政策のなかでは出てこない。台湾有事で想定される犠牲者についても俎上に載せて議論しなければいけない。

経済を無視する愚かさ

 私は大学で経済を教えている。日本の貿易取引額の総額に占める割合は、1990年まで中国は6・7%で、アメリカは27・4%だった。だが2021年には中国は25%まで増え、アメリカは14%になっている。これだけ依存度が高まっている中国を相手に有事を構えることがどれだけ大変なことか。

図3 日本の貿易相手国トップ10(2020年)

 以前、私は福田康夫元首相に対し、中国脅威論を強調するのはなぜかを聞いた。すると「日本の首相として中国脅威論を言わない人はいない」と話していた。首相を辞めた後、再度本人に今もそう思うかを問うと「首相を辞めた後になってまで中国脅威論を言うバカはいない」と言っていた。中国に対して、政治的パフォーマンスのためにこのような付き合い方をするべきではないと思う。これだけ日中両国の経済的な結びつきが強まっているなかで、軍事的な問題だけを議論することの愚かさをわきまえ、もっと経済的な議論をしっかりすべきだと国民的には思っている。
 今、軍事のことを議論しているが、やはり経済に目を向けなければならない。世界に占める日本のGDPの割合は、2000年時点で14%あった。それが今や6%まで落ち、さらに2030年には4%になると想定されている。その縮小をどう解決するかについてもっと論議すべきだ。
 日本という国は、国防よりも経済が豊かだったからこそ平和だった。周辺国に対して援助をし、ODAも出し、技術も惜しみなく提供する国として、周囲からは宝島のように見えていたはずだ。だからこそ大切にされてきた。世界から大切にされる国をつくっていくことこそが安全保障の基本ではないかと思っている。