酪農危機、農業・食料の危機打開を 永井 照久

危機打開を求める切実な声
大半の酪農場の経営が立ち行かなくなることは必至

釧路農協連(酪農技術支援室) 永井 照久

 酪農現場からの悲痛な声は強まるばかりです。
 これまでに幾度も厳しい情勢を乗り越えてきた酪農産業ではありますが、現在おかれている状況はかつてないレベルで生産現場を苦境へと追いやって、生産者の不安感を増幅させています。こうした状況が続くと、大半の酪農場の経営が立ち行かなくなることは必至です。それは単に生乳生産基盤を揺るがすばかりでなく、地域社会の崩壊などその影響は多岐にわたります。日本全体の活力に悪影響を及ぼすことが強く懸念されます。

酪農家戸数は40万戸から1万戸に激減

 日本国内で1年間に消費される牛乳・乳製品は、生乳換算量で約1200万トン。これに対して国内生産量は750万トンほどですから、消費量のほぼ3分の1は輸入に依存するといった状況が長く続いています(先進国の中でこれほど輸入に依存している国は他にありません)。
 生乳の取引(売買)については、かつては個々の酪農場(個人)と乳業メーカー(企業)の間で行われていましたが、対等な立場になかったことから乳業メーカーから一方的な乳価の値下げが頻繁に行われ、安定的な酪農経営の大きな支障となっていました。そこで窓口となる指定生乳生産者団体(指定団体)が多農場から生乳を一元集荷し、乳業メーカーと一括して乳価交渉を行うことによって生産と価格の安定を図り、集送乳を合理化するなどといったさまざまな役割も果たしてきました。
 現在、全国に10の指定団体があり、北海道ではホクレンがその任に当たっています。一部の評論等では生産現場と消費者の間にある協同組合組織や共販体制、関連する規制を取り除いて企業の自由な取り組みを推進すると消費者の益となり、農業も活性化されるとの指摘もあります。しかし、合理化、民間活力などといった言葉で巧妙に仕組まれた罠にはまってしまうと、農業や食、さらには国の安全保障が大きく脅かされることになります。ですから、これを死守していくことは国の重要な使命となります(しかし同時に、生産者や農業を守るべき責任のある組織の中に使命感や緊張感が乏しいような体質がなかったかという反省も忘れてはならないでしょう)。


 酪農家戸数はピーク時には全国で40万戸以上を数えたものの減少の一途をたどり、現在は約1万余を数えるほどになりました(表)。この傾向と同時に1戸当たりの平均飼養頭数は増加基調にあり、特にここ20年間に頭数規模を拡大した酪農場(メガファーム、ギガファーム)の戸数が増え、一般的な家族経営とともに全体の生乳生産量を支える構造となっています。
 生乳も消費財のひとつですから、需給バランスの変動により不足や過剰をこれまで幾度も繰り返してきています。そのため生乳不足によってスーパーの棚からバター等が姿を消してしまうこともあれば、その反対に余剰が見込まれる生乳の行き場をコントロールするのに苦慮することもあります。生乳生産量は飼養される乳牛頭数や個々の乳牛の泌乳ステージ(注)等によっておおむね決まってきますから、短期間のうちに総生乳生産量を増加あるいは抑制させることは簡単でない側面があります。また相当な投資を行い、生産量を増やそうと努力している途上にある酪農場に対して生乳出荷量の抑制を無理強いすることは、経営に多大なダメージを与えることにもなります。
 (注)個体牛の日々の産乳量は遺伝能力や飼養環境の他、その牛が分娩後どれほどの日数を経過しているかという泌乳生理によって変動する。

飼肥料などの急騰

 昨今の生産現場の困窮は、購入飼料や燃料、肥料などあらゆる生産資材が急激に上昇し、生乳生産コストが大きく押し上げられたことが主因となっています。同時にぬれ子(注)などの個体販売の価格の暴落も収入面で大きな打撃となっており、さらには乳業メーカーで余剰とされる乳製品の在庫が積み増していることにより北海道内の酪農家は生乳出荷量が強制的に抑制されているという状況が苦境に追い打ちをかけています。
 (注)ぬれ子とは乳用種の初生雄牛のこと。ホクレン市場平均で5月に12万円近かった価格は9月には9千円台に暴落。
 生産コストの中で大きな比率を占めているのが購入飼料費ですが、これは今までも海外での原料価格、それに輸送費や為替などにより変動を繰り返してきました。これまでは、一時的に高値に推移することがあっても飼料安定基金等の仕組みによりある程度緩和されてきました。しかし、今後の飼料価格の見通しは過去の推移とは別次元に移行しつつあるようで、これまでの調整機能が今後とも同様にその機能を果たすには、かなり心もとないというのが実情でしょう。
 また過去半世紀で地球の人口はほぼ倍増しましたが、世界全体の農地面積はほとんど変わっていません。限られた農地で食糧生産の増加を支えてきたのは、農業生産技術の進化や育種改良です。特に施肥技術が果たした貢献は大きかったのですが、その重要な肥料要素である窒素・リン酸・カリウムも今後はその供給がこれまでとは異次元へと突入していくことが予想されます(窒素源を作り出すには多くのエネルギーを必要とし、リンやカリは世界に偏在する鉱石に依存しています)。これらは各国の思惑がますます強く絡んできますから、現在高値に推移する肥料価格がかつてのような値段に落ち着くことは期待し難いでしょう。

しわ寄せされる生産現場

 このように生産現場でコントロールできる範囲をはるかに超えたところで次々と酪農を取り巻く情勢が変わっています。そしてそのしわ寄せは大半が生産現場へと押し付けられています。抜本的には生産者が得る乳価に生産コストが反映されなければなりませんが、それがなかなかスムーズには行われていません。その背景には小売り・メーカー・生産側の相互関係が関与します。大型小売店同士の食料品の価格競争は激しく、小売価格は引き上げが難しい状況ですが、小売り側はメーカーに対して取引の交渉力が優位な立場にありますから、メーカー側に卸値の上昇を容易に許しません。そのため生産費に見合わないような安売りによって生じる歪みはメーカーや生産者が受けやすいという構図になっています。
 窓口である指定団体と乳業メーカーとの乳価交渉は毎年行われていますが、今年のようにあまりに急激な生産費の高騰には全く追いつけず、期中に飲用向けとなる生乳の乳価を10円値上げするにとどまっています。これは上昇した生産コストを補える額では到底ありません。さらに北海道では加工原料向けとなる生乳の割合が高くなっていますが、加工向けの生乳の乳価は変わっていませんから、飲用向け乳価が10円上がっても全体の乳価は2円程度しか上がりません。生産コストがスムーズに乳価に反映されやすい仕組みを再構築していくことが強く求められます。

「豊富な食料」は未来
永劫続くわけではない

 乳価の値上げは牛乳・乳製品の価格に反映されることになります。消費者の理解は不可欠であり、需要にも影響してくるでしょうが、再生産できない価格であってはそもそも産業が成り立ちません。先進国、特に日本は豊富な食料、そして安価な食料価格に慣れ過ぎてきた経過がありますが、こうした豊か過ぎる食に恵まれた状態は人類史上で稀有な状況であって、これが未来永劫続くことは保証されているわけではありません。また新興国の躍進に伴い、日本の経済的な優位性も相対的に失われていくなか、不足する食料は輸入で賄うという考えは、あまりに脆い基盤にあることを忘れてはなりません。食料自給率が異常なほど低い日本が自国の農業の生産基盤を崩してしまうような状況を放置すれば、国の安全保障の基礎さえ失いかねません。
 現況においては各酪農場の経営は急速に悪化をたどっており、来年以降の営農計画も立てられない状況にあります。セーフティーネット資金(注)の活用や各JAなどが打ち出した諸対策はもちろん相応の助けになっていますが、残念ながら根本的な解決につながるものではありません。個々の農場では管理や技術面でカイゼンを重ねることで生産性向上に努めていますが、これをはるかに凌駕した情勢の変化にあり、このままではかつてない勢いで離農戸数が増えるのが避けられません。
 (注) 自然災害や社会的・経済的環境変化等により、農業経営の維持安定が困難な農業者が、一時的影響に緊急的に対応するために必要な長期かつ低利な資金制度。
 また見逃せない大きなポイントとして冒頭にも記しましたが、生乳の国内供給量は需要量の3分の2程度しか満たしていません。不足分は輸入に依存してきましたが、今回のように国内で過剰が見通せる状況にあっても脱脂粉乳をはじめとする乳製品の輸入を断行したことは理解しがたい措置です(注)。国際的に最低輸入義務を負っているわけでもない量の乳製品の輸入を実施したことは大失策であったと指摘されても仕方ないと思われますが、余剰と分かっていながら輸入を強行したことで誰が得をしているのか、検証する必要もあるでしょう。
 (注) バターの消費が増加傾向で在庫量は前年同期に比べ減少したとの理由で10月7日、国家貿易での輸入を決めた。
 また一方、消費面では高い品質を誇り、他国が欲しがる日本の乳製品を国際援助といった措置でも輸出できないのか、また国内で生活に困っている人々に食料として直接援助する仕組みができないのかについての議論を強力に進めてほしいものです。こうして循環を促す策を講じることはコスト以上の効果が期待されるでしょう。

地域の主産業
農林漁業を守る

 日本は豊かな自然に恵まれ、人々が日々暮らすのに大変に恵まれた環境を有する稀有な国のひとつです。そうした国土を保全していくには離島や山間部、中山間地域の人々の営みを守っていかなればなりません。そうした地域での主産業である農業、林業や漁業は短期的な採算、新自由主義の経済学の理屈ばかりで論じられるべきではないでしょう。長期にわたって国民に必要とする食料を確保していくのは、国の安全保障の最重要な責務ですし、美しい日本各地の風景を大きく損なうことなく次世代にしっかりと受け渡していくことは、現在の私たち日本人に課せられた使命といえるでしょう。