2022年の年頭に労働運動の課題を考える

原点に立ち返り平和・人権の大切さを将来世代に引き継ぐ

日本労働組合総連合会(連合)副事務局長 山根木 晴久

 昨年は、東日本大震災から10年、熊本地震から5年という節目の年であった。近年、特に脅威を増す自然災害に対し、尊い命を犠牲にされ、また今もなお不自由な生活を余儀なくされている方々に思いを馳せつつ、今に生きる私たちはその教訓を将来世代に生かし引き継いでいく、そうしたことを確認し取り組んできた一年だったと振り返る(復興五輪だった2020東京オリパラからそのようなメッセージが発信されたと思えなかったことは極めて残念であった)。
 さて、迎えた22年もさまざま周年記念を迎えるが、全国水平社宣言から100年、沖縄返還と日中国交回復から50年の節目を迎えるということをふまえれば、改めて、それら原点に立ち返り、平和や人権の大切さを再認識し、将来世代に引き継ぐ取り組みを進める年にしなければならないと思う。


 すなわち、全国水平社宣言100年にあたっては、すべての人々があらゆる差別を受けることなく人間らしく暮らしていくことができる社会になっているのか、沖縄返還50年にあたっては、太平洋戦争における唯一の地上戦の舞台となった沖縄が、その後27年に及ぶアメリカ統治下を経て本土復帰した50年の歴史を振り返りつつ、今の沖縄はどうなのか。日中国交回復50年にあたっては、国交回復に至った背景と現在の日中関係をふまえつつ、今や産業や経済において日本の重要なパートナーである隣国中国との友好関係を維持、発展させていくためにはどうすればよいのか。
 今回、『日本の進路』に寄稿させていただくという貴重な機会を頂戴したので、こうした観点から私見を述べさせていただく。

身近な人権問題を直視する

 連合の労働相談には解雇、労働条件切り下げ、ハラスメントなど数多くの多様な相談が寄せられている。特に新型コロナウイルス感染症の拡大が本格化した20年3月以降は相談件数が急増し、年間ベースで2万件を超える件数に至った。多様な労働者に多くの影響が及んでいるが、特に、いわゆる非正規雇用で働く労働者、ひとり親世帯、外国籍労働者、アルバイトで学費を稼いでいる学生など相対的に社会的立場の弱い層への影響が顕著であった。また、性別で見れば女性に多くのしわ寄せが及んだことも特徴であった。女性は非正規雇用の7割超を占める。また、感染リスクに直面する医療・介護従事者や食品やドラッグ、日用品を扱うスーパーマーケットの最前線で働いている方々の中で女性が占める割合は大きい。さらに、感染リスクを避けるための在宅勤務においては女性の多くは家庭での役割(育児、介護、日常的な家庭の役割など)を多く担っており、家庭に仕事を持ち込むことが困難な状況であった。また、事務処理など現場実務を担っている方々は在宅勤務することが難しく、多くが非正規雇用で働く方々である。
 この現状に対して、「コロナ格差」という表現をあちこちで見かけるのだが、個人的には「格差」というよりも「差別」や「人権侵害」ではないかと思われるケースもある。
 具体的な相談例を挙げてみる。
 ・正社員の休業保障は90%であったが、非正規雇用は60%であったというケース。仕事の内容によって、既に正社員と非正規の賃金(時給)水準が異なっている中にあって休業保障の率に差があるのは納得できない。……単価の違いは格差につながるものであるが、率の差は差別しているとしか言いようがないのではないか。
 ・正社員は在宅勤務で安全な自宅から電話やメールで指示してくるが、自分たち非正規雇用は通勤リスクや職場での三密リスクにさらされて働いているのは納得できない。……この場合、感染リスク=生命・健康リスク=生きる権利への影響であることをふまえれば、人権問題ではないか。
 労働組合活動に携わる者として、こうした実態を目の当たりにした時、どのように感じるのか。雇用形態や人事制度、あるいは組合員であるなしによる違いであり仕方がないと思うのか、違いは違いとしても、それを不条理だ、理不尽だと思うのか……。働き方が多様になる中にあって扱いの違いの合理性がよく見えなくなっている。そんな時、不条理・理不尽だと思う(=正義感)、そんな感性が大事ではないかと思う。

平和、そして沖縄

 今年は戦後77年、すでに多くの日本人は戦争を知らない(戦後生まれの日本人の人口比率は約85%)。そのことは戦争の悲惨さを伝える方々が間もなくいなくなってしまうことを意味する。
 他方、近年日本の平和を脅かす出来事による緊張が増している。北朝鮮の核開発と度重なるミサイル発射、中国による台湾、尖閣諸島などへの進出と自衛隊と米軍による南西諸島軍事化の動きなど、安全保障面での緊張が高まっている。また、コロナ禍の影響によりNPT(核拡散防止条約)再検討会議の開催も延長に次ぐ延長で、核軍縮に向けた協議の足踏み状態が続いている。
 日本における戦争体験の風化と米中の対立、日本を取り巻くアジア諸国の緊張の高まりは、日本はいつ戦争に巻き込まれるかも分からないという危険性の高まりを意味しており、強く懸念するところである。
 冷戦終焉後、北海道に配備されていた部隊が沖縄や南九州に移動し、近年、過去最大規模の共同訓練など米軍の戦略との一体性が高まっている。連合は結成来、国の基本政策で日米安保の役割を評価し、日本の安全保障のための基地提供に対して異論は唱えていない。ただし、それは日本の安全保障のためであって、アメリカの対アジア戦略のためでも何でもない。だからこそ連合は米軍基地の整理縮小と過度に沖縄に偏った基地負担の軽減を求めているのである。
 必要以上に米軍の対アジア戦略に同調することで日本が戦争に巻き込まれるリスクが高くなることは避けなければならない。また、連合は安全保障に関してアジア太平洋諸国との連携に基づく地域の安定と世界平和の実現をめざしている。こうした観点をふまえつつ日米関係を見ていく必要がある。
 今年6月の沖縄慰霊の日における連合・平和行動は極めて大きな意味を持つ。今、沖縄周辺で何が起きているのかを学びつつ、改めて、本土復帰50年を経た今なお、県民の期待を裏切るかたちで、日本の安全保障のために過度な基地負担を強いられ続けている沖縄の思いに寄り添う機会にしたい。
 日米地位協定の抜本的見直しも急務である。米軍軍人、軍属による事故、事件は後を絶たない。昨年は有機フッ素化合物「PFAS」が含まれた汚水が、事前確認がないまま、基地内から公共の下水道に放出されるという事件があった。また、最近では米軍によるオミクロン株の感染が拡大するという事態も生じている。日米地位協定という見えない壁により、人権が侵害されることはあってはならない。

人権に関わるグローバル・ルールの策定~「ビジネスと人権」関する行動計画書

 昨年12月、アメリカのバイデン大統領の呼びかけにより、世界の約110カ国が参加する民主主義サミットが開催された。ロシア、中国は招待されなかった。アジアではベトナムやタイ、シンガポールも招待されていない。民主主義を議論するサミットの招待国の選定が果たして民主的だったのか、違和感を覚える。民主主義において大切なのは対立ではなく対話である。そして対話を通じて全体での取り組み、ルールづくりにつなげることこそ重要ではないか。
 国連は2011年にビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)を採択し、各国での行動計画策定を求めた。日本は16年に行動計画策定を決定し、19年10月に行動計画が策定された。作業部会には連合推薦委員も参加した。
 今や世界はグローバルレベルでの分業化が進み、バリューチェーン、サプライチェーンは複数の国境をまたいでいる。コロナ禍にあって原材料や部品の流通がストップし日本国内においても大きな影響が出ている。今や世界は人権や民主主義を含む公正なグローバル・ルールの下で、各国の経済活動を進めていこうとしている。経済安全保障に向けた法整備の検討も進んでいる。そのような中で、労働組合は、積極的に国や産業、企業におけるルールづくりにコミットしていくと同時に、ルールに関わるチェッカーとしての役割も果たしていかなければならない。
 その際、重要なことが二つあると考える。
 一つは、自らの責任領域においては自らで課題を解決していくこと。国際社会における人権問題を議論するだけでなく、国内で起きている人権問題に目を向けその解決に取り組まなければならない。とりわけ、労働組合は日本の職場における人権・労働に関わる問題に責任をもって対処していくことが大事だと思う。
 二つに、国家間の交渉においては、国益が絡むのは不可避であることをふまえれば、労働組合など民間セクターが積極的に民間外交を果たしていく必要がある。
 例えば、中国であれば、連合は中華全国総工会と定期的な交流を図ってきている。また、連合の関係団体である国際労働財団(JILAF)も労働分野の国際交流を通じ、労働組合の育成による民主化支援を長く行ってきている。民間交流、草の根外交というのは、これまでは支援のための活動という側面が強かったと認識するが、今後は人権や民主主義に関わる国際的なルールづくりといった観点から積極的に関与していくべきである。その意味では連合や連合が加盟する国際労働組合総連合(ITUC)の役割が大きくなってくると思う。

改めてILOフィラデルフィア宣言を見つめ直す

 7年前、ワシントンに行った際、フィラデルフィアまで足を延ばし、市内にあるテンプル大学を視察した。目的は同大学の講堂の片隅にあるILOフィラデルフィア宣言のプレートを見るためだ。第2次世界大戦終戦直前の1944年、ILOはテンプル大学で臨時総会を開き、3度戦争を起こさないための宣言を行ったのである(ILOは第1次世界大戦が貧困によるものだとして同世界大戦終戦直後に創設された)。この宣言には有名な「労働は商品ではない」「一部の貧困は全体の繁栄を脅かす」といったメッセージが含まれる。
 職場の問題をこのメッセージに照らして考えた時、改めて労働組合とは何か?なぜ、労働者が団結する権利を日本国憲法が保障しているのか?といった観点で考えを述べたい。
 労働組合が団結する権利は、雇用関係において個々の労働者は立場が弱いことから、団結することで経営者と対等な立場に立てることから担保されているものだと考える。ところが現在の労働組合の状況を見るに、労働者間において相対的に立場が強い正社員がその中心であり、立場の弱い非正規労働者は埒外におかれているケースが見られる。労働組合を必要としている方々にその機能が届いていないとすれば、それを広げていく責任が労働組合自身にある。
 職場で起きている問題、地域で起きている問題を直視し、そして世界の平和を展望した時、改めてフィラデルフィア宣言が言わんとしたことを、何度も何度もかみしめながら組合活動、労働運動を進めていかなくてはならないと思う。

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